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◆◆ したこと: ◆◆

        屋内マップを実装した
        
        
        前回の日誌はダンジョンのマップの実装が完了したことを記念したものだった、
        という話はしましたっけ?
        進捗報告的なことをすっかり書き忘れていた気がしますが、
        何を隠そう、そういうことだったのですよ。
        で、今回は屋内マップの実装が完了したことを記念してのカキコとなりはべりにそうろう。
        カキコと言うからにはそれに相応しく、古文っぽく言ってみました。
        
        これにて一応、マップに関しては一通りデータが埋まったことになります。やったね!
        これで人類がまた一歩救済に近づいたというわけです。
        愛するあなた方と、この福音を共有せずにはいられません。
        
        具体的に言うと、一通りのマップとは、
        ダンジョンの内部マップ、フィールド、街の中、そして今回の屋内マップです。
        「屋内」と言うのはつまり、街マップの中の「家の扉」から、中に入ったマップということです。
        
        実際のゲーム内容には直接関係ないだろうな〜、と思われる家も多々あり、
        さらに内装は大体どこも似たようなものなので、
        作業量を軽減するためにも、必要な箇所だけに絞り込んで、
        内装はデータを共通化して、あれして、これして……
        
        ……とか考えてたら身動きができなくなって死ぬかと思ったので、
        もう、街マップを作った時点で見た目的に扉をつけてしまった家は全部、
        対応する屋内マップを1件ずつ作って中に入れることにしました。無為無策の力技。
        想像以上の作業負荷に死ぬかと思いましたが、またしても死ななかったようです。コンチキショー。
        
        思うに、一般論として、入れる家が多ければいいというわけでは多分なく、
        実際、市販のRPGを見てみると、入れる家は一部で、ほとんどは見た目だけだったりするのですよね。
        こういうところでスマートにやれず作業負荷が無駄に大きくなったりするのも、
        個人製作のRPGが頓挫しがちな要因の1つだったりするのではないかな、などと想像しました。
        実際に手を動かしてみることで、衆生の苦しみが理解できる。
        これもまた地球に生を受けた私の使命ということなのでありましょう。
        私がこの世に生まれて、あなた方は本当にラッキーでしたね。
        
        
        さて今後のロードマップ。
        と、書いて唐突に思ったのですが、「ロードマップ」って「労働マップ」みたいでイヤな響きだ。
        類まれなダジャレの才能がこんなところで牙を剥くとは。天才も楽じゃありませんね、ヤレヤレ。
        
        では、えーっと、なんて言えばいいんだ。
        完成に向けての作業の見通し。うむ、名訳。
        
        大きな柱は2本。
        NPCの配置とモンスターの配置。
        
        NPCはストーリー的な要素を語ってもらう役回りのものですが、
        今回のゲーム内容的には、ゲームの本質要素ではないというか、あくまでワビサビ要素というか、
        基本的に、誰とも話さなくてもゲーム自体は進行させられる内容になる予定。
        
        「ゲームっぽく」するにはモンスターの配置が先ですかね。
        「モンスター」と言っては語弊があるかな。
        プレイヤーの遊び相手になってくれる大切な存在者さんたちです。
        
        なお、私の大ファンの皆さんはご存知の通り、私はもう戦うゲームは作らないので、
        今回も「戦う」わけではありません。
        伝統的なRPGの様式は踏襲しつつ、あれが「戦い」である必要はない。
        さしあたり「セッション」とでも呼んでおこうかな。
        
        で、そのセッションのシステム自体はすでにできているので、
        あとは「お相手存在者さんたち」を設定して、全国各所にて待機していただくようにするのみです。
        「のみです」などと勢いよく簡単に言いつつ、
        全然「のみです」じゃないんだろうなとは容易に想像できますけども。
        
        ともあれ、そんな感じで、まずは、
        ざっくりと「ゲームっぽく一通り動かせる状態」を目指して進めていくですよ。
        
        
        で、今回のゲームを作る目的というか、
        まだ死なずにこの世にいるのであれば、やっておかずばなるまいと思っていたこととして、
        上記の通り、「戦わないゲーム」を明確な形で具現化しておきたいというのがあります。
        
        結局、マイ○ドル以降、2つしか作ってませんからね(なお、マイン○ル自体は戦うゲーム)。
        しかもその2つとも、「戦いの要素がない」ことは私が言わなければ誰も気付かないであろう隠し味レベル。
        
        現在の地球人の進化レベルでもハッキリと理解できるよう、
        もっと明確に「戦いではない」ことを前面に打ち出したものが必要だろうなと、
        あなた方を愛する慈悲深い私は常々思っているわけです。
        
        案としてはRPGの他に格闘ゲームがありました。
        むしろ、そちらの方が「格闘」と「戦わない」の
        ギャップのインパクトが強くてよろしいのではないかなとは思っていて、
        先にそちらに着手しようかなと、当初は思っていたのですよ。
        
        で、さしあたり今後に備えて、いつでも動き出せるよう、
        システムの基本部分だけ、(両方とも)作っておこうかな、
        ということで作業に取りかかったところ、RPGの方が先に形になり、
        その後は「ついでにデータをちょっと入れてみよう」からの空中コンボで現在に至るというのは前回お話した通り。
        
        ちなみに以前、コミPo!のキャラにアニメーションをつける技術を実験していたのは、
        この格闘(?)ゲームの準備という意味合いもあったりしました。
        
        それにしても、やはり「戦わない」を地球の皆さんにお伝えするには、
        格闘ゲーム案の方が分かりやすいだろうと思うのですけども、
        なんでこうなってしまったんでしょうね?
        どうも何か、地球人としての私はイマイチ思い出せませんが、宇宙意志のハカライがあったっぽいですね。
        いつもながら報告・連絡・相談の精神が欠如した連中ですが、こうなったからには仕方がありません。
        
        さっさとRPG案を片付けて、その後も生きてるようなら、格闘ゲーム案に取りかかりたいですね。
        なお、RPG案が片付く前に気分転換などと称して別のものに着手しちゃったりすると
        エターナり神の王国に真っ逆さまであることは数々の定跡研究で明らかになっていることですので、
        それだけは断固禁止で邁進して参りますよ。
        
        
        なにもかも虚しい。
        なんでこの宇宙が存在しちゃってるのかは相変わらず意味不明のコンコンチキですが、
        せめて、無意味な争いで人々が苦しむことがなくなって欲しいものです。
        
        「無意味な争い」なんて言うと、じゃあ「有意味な争い」だったらいいのか、って話になってしまいますが、
        結局、なんやかんやと「意味づけ」をして争いをヤメない、というのが根源という気がいたします。
        「あいつらがやってる争いは無意味だが、俺様がやってる争いは意義深いのだ」という問題ではない。
        
        誰もが「意義深い争い」に自分を位置づけたがっているかのようです。
        「争い」を言い訳にすることは、「無意味さ」からの逃避にちょうどいい。
        「自分は意義深い人生を送っている」という感覚を維持するためのドラッグです。
        
        結局、その背景には「何のために生きているのか分からない」という存在不安があるような気がします。
        なんやかんやと「意味」を語って、競争的な世の中に「Yes」と言い続けるのは、
        そうでもしなければ「自分の意味」を見失うという、ニヒリズムの裏返しのように見えます。
        「勝ち負け」の問題ではない。
        「無意味な自分」を直視できず「負けた私の物語」に魅了されてしまう。
        自覚なき空虚さが無批判な穴埋めに駆り立てられ、暴走が止められなくなる。
        などと「斜に構えて批判する」のもツマラナイ話ですね。
        こういうのは、「ただそういう現実がある」ということであって、
        「批判」してどうなるというものではない。
        これは全体的な風潮のことであって、特に誰のことを言っているというわけでもないのですけども、
        下手に力説してもかえって反社会的な印象になり、人に嫌な思いをさせるばかりでしょう。
        
        ゲームは「すること」であることを踏まえ、
        「戦い」とは異なる形での、安らぎや充足の体験を示唆できれば、と思います。
        
        
        念のため誤解のないように何度でも言っておきますが、
        上記の話は世間の風潮のことであって、
        「戦い」を内容とするゲームが「悪い」という話ではないですよ?
        一種の反映という側面がないとは言いませんが、それはまた別の話です。
        
        
        > ゲームは「すること」であることを踏まえ、
        
        話は飛びますが、マ○ンドルは、ひたすら「読んで」もらわないといけないというのが、
        キビシイところだったかなとは思うところだったりします。
        あれはあれで、あれが最適の形だったとは思うのですけど、
        間口を狭めてしまった事実はあるかなとは思います。
        如何にこの私の文章が優美華麗であるとは言え、
        他人が書いた文章を読むのって、かなり気力を要求することだったりするわけで。
        この文章だって、ここまで読んでくれるのは宇宙全土に100億人しかいない私の大ファンだけでしょう。
        (などと随所に無駄な冗長フレーズを仕込むファンサービス)
        
        なので今回は「読んで内容を理解する」というより、
        「すること」を通して体験する、という側面を意識して構築していきたいと考えております。
        それもこれもあなた方を愛すればこそ。
        いつもながら私の慈悲深さには感動するばかりですね。
        
        
        さて、すでに大量に書いてしまいましたね。
        他にもお話したいことはあったのですけど、次回にまわした方がいいかな?
        この私があなた方をいかに愛しているかについてとか。
        ツイッターでの今後の活動についてとか。
        
        活動と言うほど大層なことをしているわけでもないですが、
        既にマイン○ルの宣伝という当初の目的がほぼ失われている中で、
        漠然とアカウントを維持していることに関し、思うところがあったりなかったり。
        これについて話し始めると第2部に突入してしまうので見送ろうと思いますが、
        明日死なないとも限りませんので、ぜひ私の大ファンの皆さんとシェアしておきたい重要なことを一つだけ。
        
        他の人の作ったゲームをプレイしてプレイ報告を書くということをしばしばしているわけですが、
        その際のコメントの書き方について。
        
        あくまでも「プレイした上での独り言」なのではありますが、
        作者に捕捉される確率が高いことは分かった上で書くわけですので、
        それを念頭に置かずにいるのは不可能です。
        
        で、ゲームのプレイ報告を高頻度で書いているのは私だけではないわけで、
        一人、興味深いムーブをしていらっしゃる方が。
        
        黙ってSSなどを淡々と上げていくスタイルというわけではなく、
        毎回何かしらのコメントを書いている、
        ……と見せかけて、ほぼ無言でSSを貼るだけのこともしばしばある。
        
        あまり批評めいたことは言わず、あくまでも「いかに楽しんだ」かに記述を絞る、
        ……と見せかけて、たまに批評的なことも書いてらっしゃる。
        
        このムラは何か? 単なる気まぐれか?
        どうも、相手(作者)によってスタイルを使い分けているような気がする気がするのです。
        
        基本的には「いかに楽しんだ」かに焦点を絞った書き方が多いようですが、
        「これからゲーム製作の腕を磨いて良いゲームを作っていくぞ」的な作者の場合には、
        多少の改善案などを、あくまで愛を込めた建設的な物言いで伝えている模様。

        一方、人からの評価を過剰に受け止めてしまいそうな相手の場合には、
        ただ言葉少なにSSなどで「あなたの作ったゲームをプレイした」という事実を伝えるにとどめている模様。
        
        あくまで私の推測に過ぎませんが……と思ったのですが、
        そういえば私はテレパシーの使い手なのでした。
        なので多分絶対私の思った通りで間違いありません。
        
        これはなかなか真似できることではないですね。
        ゲームにあまり詳しくなければ善意ではあっても社交辞令に傾いた内容になったり、
        ゲームに詳しい場合には(悪い意味で)評論家じみた方向に傾きがち、
        というのが大抵のところだと思うのですが、
        人一倍ゲームに関する見識の深さを持ち合わせているようでありながら、
        作り手に対するリスペクトを常に保ちつつ、
        良い意味で相手に合わせる懐の広さと、
        必要に応じて相手のために自分の見識を活用する愛情を両立させておられる。
        人格者だ。
        こういう人に日本の大統領選挙に出馬して欲しいですね。ぜひとも投票したい。
        
        というわけで日本の将来は安泰ですよという心温まるお話を皆様とシェアいたしました。
        
        ではまた次回、生きてたらお会いしましょう。
        今日もあなたが幸せでありますように。