『学園棋神伝マインドル』の宣伝活動
もう4月なんですね。
私は4月にすることに同意した覚えはないのに、それでも4月にしてしまう。
この国の民主主義は一体どこまで腐っているのでしょう?
なお、このテンプレは毎月使用可能となっております。
と言うか3月は一回もこのページを書かなかったんですね。
どうりで最近「今日もあなたが幸せでありますように」って言ってなかったわけだ。
流石にこのセリフをツイッターで言うのはキモイですからね。え? ここで言うのもキモイって?
でも私は言います。首を洗って文末を楽しみに待っていやがれ。参ったかコノヤロー。
さて、そんなわけで、特に書くに値するような進展らしい進展は何もないわけですが、
ずるずると地球ばかり自転および公転してらっしゃるご様子ですので、
ここらで一旦区切りをつける意味で、経過や所感などを書き連ねておこうと思います。
何から書こうかな。ワクワク。
進展がないと申しますか、何をしてたんでしたっけ?
何もしてなかったわけではない。おめおめと生き永らえていた。
おめおめと生き永らえて何をしていたかと言えば、ツイッターです。
「マインドル」の知名度向上を目論んで日々、交流や情報発信にいそしんでいたわけですが……。
その結果はと言えば、お察しのとおりですね。
まったくの無駄ではないです。
無駄などと言っては、お相手してくださっているレアな方々に申し訳ない。
ご存知のとおり私は善人。感謝の気持ちの永世名人。
決して無駄ではないのです。無駄では。
「マインドル」云々ということだけではなく、いろいろとお相手していただけることは意義深いことではあります。
かと言って、このまま今と同じように続けてこの先一体どうなるのか? という話。
あまり努力というか、私が人為的にどうこうできることではなさそう、という気はします。さしもの永世名人もお手上げです。
ちなみに、私が確認できている範囲では、プレイしてくれてる善人が数名はいらっしゃるようですので、
実際には少なめに見積もって、その数千倍は存在すると見込んでいいだろうとは思います。単純計算なら任せてください。
新参者の某ウィルスに負けずに今後さらに増殖していただけるものと期待しております。たとえが悪い。
いやー、しかし。
前回も前々回も同じようなことを言ってた気がしますね。
「過度な期待」をしていたつもりというのはないつもりではありますけれども、
それにしても、こんなに厳しいとはなぁ、とね、
乾いた笑いであっはっは、という感じですよ。さぁ皆さんご一緒に。あっはっは。もちろんマスク装着で。飛沫防止。
この件について話すと不満を吐き出しがちになってしまうのではありますが、
別に誰が悪いわけでもありません。
結果的に今のところこうなっちゃってる、っていう以上でも以下でもないってことであります。
さて、無駄というわけではなく貴重な結果はあり、
私自身の努力不足や工夫不足や、さらに試してみたいことなども思い浮かぶものの、
根本的にこれ以上ツイッターで活動していてもあまり大きな進展は期待しにくいんだろうな、
という結論に到達しつつあります。
端的にそう感じる典型的な現象として、例えば、
「いいね」を押してもらえてもリンクはクリックしてもらえない、という件があります。
お相手してくれるのは率直に嬉しいことではあります。
ただ、ツイッター上でいくら賑わっても、実際にモノを見てもらえることにはなかなかつながっていかないものであるらしく、
そうである限り、本来の目的達成とは言い難いところではあります。
なお、知ってのとおり私は物分かりの達人ですので、
これに関する「正しい解釈」としては、
「"いいね" を押す程度の関心ではあったけどリンクをクリックする程度の関心ではなかった」であり、
それを回答として答案用紙に書いておけば、先生に褒めてもらえて、保護者を呼び出される心配もなく丸く収まる、
ということなのだとは理解できます。
ただですね、その「関心の程度」のモノサシの並び順が、
[いいねを押す] < [リンクをクリックする]
であることに、何の疑問も感じないと申し上げてしまっては嘘になってしまうところではあります。
逆じゃないんだ??????
ところがどっこい、この星では逆じゃないらしい。星に入っては星に従えと申します。
私の星の感覚からすると、逆なように思えるのですが、
私の星の感覚に合うように行動すべしという法律はまだこの星の国会で可決されておりません。法律は守る所存でございます。
「リンク先を見てないのに何を "いいね" と思ったの?????」と暴れたい気持ちはほんの少ししかないので、
おとなしく「そういうもの」と飲み込む所存でございます。何しろ私は物分かりの巨匠。
私の感覚はさておき、目の前で起きている現実は現実として認める以外にありません。
さらに、こういう場合は「私のコンテンツの魅力が足りないから云々かんぬん……」
というふうに謙虚スキルを発動しておくことにより、バーチャル頭ナデナデを獲得できるという攻略情報は存じ上げてはおります。
しかし当方のバーチャル頭ナデナデなら自給率100%超でございます。ゆえに、そのようなものは不要。
というわけで、あくまで冷静に考えるに、
リンクをクリックされにくい現象は、必ずしも私のコンテンツの問題とは言い切れないと思われます。
なぜなら、他の人のコンテンツに感想を書いた場合でも、
ツイッターのアナリティクスの数字を信用する限り、
そこに付記しておいたリンクがクリックされる回数は、「いいね」などの回数に対し、極めて少ないのが常だからです。
何かニュース記事などを引用した場合も同じですね。
リンク先の情報を確認することなしにイイネや拡散をする、というのがこの星の人々の習い性ということのようです。
ただですね、もちろんですね、どうか勘違いなさらないでいただきたいのですが、
「イイネや拡散をするんだったら、最低限、リンク先の情報を一度は見た上で責任を持って云々……」
などとエラそうに説教したい気持ちはほんの少ぉ〜ししかなくてですね、
私自身は少なくともリンク先に一度は目を通すのが当然だと思ってそうしている、
などとエラそうに自慢したい気持ちもほんの少ぉ〜〜〜〜ししかありません。
この私が物分かり界の首領(ドン)であることをご存知ないとしたら、あなたもまだまだヒヨっ子と言わねばなりませんね。
他人を操ることはできませんし、ましてや良し悪しを判定できるような立場の人間でも私はありませんし、
昨今のSNSの使われ方とは「そういうものなのだ」と、現実の1つとして受け止める所存ではあります。これぞ匠の技。
そもそもネットでの広告の話で「クリック率」というものが常に問題になることからもわかる通り、
一般論として、リンクというのは極めてクリックされにくいものであると承知せざるを得ません。
これは「いいね」機能を備えたTwitterであっても、「いいね」機能とは関係なく、そういうものであるらしい。
良し悪し以前の現実として。
それと、たとえ実際には見てもらえてなくても「いいね」などの数字を増やしてもらえれば
それ自体で嬉しさを感じるというのも正直なところではあり、そこは(私の)「弱味」と言わざるを得ないのかもしれません。
だからこそ「いいね」を押されただけで満足していては本来の目的を見失うぞ、と次回も今回も自戒するところなのですが。
ただ、その数字が目立つ位置に強制表示される仕様になっている以上、
「箔が付く」のは実用的に言って有難いことではあります。
もちろん本当に「役立って」るのかは検証しようもないのですが、数字を増やしてもらえれば、頼もしくはあります。
そう言えば、
Web拍手
http://www.webclap.com/
って、この手のソーシャルいいねサービス?の元祖(かどうかは不明ですが初期のもの)だと思うのですが、
これの場合、得られた数字は、管理ページで確認できるのみになっていて、
訪問者の目に触れる仕様にはなってないのですよね。
その点、その後の後発の拍手系サービスでは、数字が訪問者の目に見えるのが一般的になっていったと記憶しております。
今では上記の元祖(多分)Web拍手は下火になっている様子ですね。
後発サービスのカシコイ皆様方は、そうした「見栄・外聞」の効用をよくご存知だったということでしょうか。
おそるべきことです。まるで悪魔のようなカシコサですね。くわばらくわばら。
> それと、たとえ実際には見てもらえてなくても「いいね」などの数字を増やしてもらえれば
> それ自体で嬉しさを感じるというのも正直なところではあり、そこは(私の)「弱味」と言わざるを得ないのかもしれません。
とは言いましたが、明らかな営業だな、っていうものもありますよね。
もちろん具体的にどれ、というのは得意の霊能力に物を言わせればクッキリハッキリ霊視できることです。
などと今こうして私がこんなところで改めて言うまでもなく、
「いいね機能」が「営業目的」で使えてしまうというのは誰しも気付くところではあるでしょうし、
私自身、そういう下心を含めて押す場合が全くない等とは口を裂いてから言わねばならないのではありますが、
そうは言っても、私は善人ですから、あまり露骨にやるのは「気が引ける」というリミッターが魂に内蔵されてるわけです。
この点は大なり小なり他の善男善女の皆様方もご同様のことと拝察いたします。え?一緒にするなって?裏切り者め!
しかし私などは可愛いもので、「本気でやってる人」というのは全然ちがいますね。
具体的に誰とは言いませんが、いつも高確率でいいねを押しにきてくれる人がいらっしゃいます。
それでいて私のコンテンツに興味を持ってくれてる様子は壊滅的にゼロなので、
ああ、いつものお兄さんだ、ご苦労さんであります、という感じで、
たまに押しにこないと逆にどうしたのかな? おコロナでも召されたのかな?って
心配になってアカウントを見にいっちゃうぐらいなんですけど、
でね、
いいねの履歴って見れるようになってるじゃないですか。
プロフィール欄とTL欄の境目の、タブみたいになってるところの右端。
で、ちょっと気になって、その人のいいねの戦歴を拝見したんですよ。
予想はしてましたが、驚きましたね。
普通のツイートの件数は数百件程度と比較的少なめなのに対し、いいねの件数は数万件。
詳しくは書きませんが、アカウント開設日から単純計算しても、一日平均で毎日かなりの回数いいねを押してらっしゃる。
ツールでも使ってるのかな?
特定のキーワードを含むツイートを自動でいいね、みたいなツールが存在すると聞き及んでおります。
でもその人のアカウントのいいね履歴を見た感じ、
そういう機械的な法則で対象を選んでいるようには思えませんでした。わかりませんけど。
実際、私の投稿に対しても、ただ闇雲にいいねを押しているわけではなさそう、と感じます。
仮にツールを使っているのだとしても、
あれだけ大規模に使用していればキーワードの登録や管理・運用も楽ではないでしょう。
注ぎ込まれた努力には並々ならぬものがあると驚嘆せずにはいられません。
ではさて、じゃあ、そこまで努力して、果たして効果があるのかと言えば……あるっぽい。
これも具体的には言わないでおくというか、あんまり批判がましいことを言うつもりでは決してないのですけど、
そのお方、実績としては、そこそこ当たり障りのない恋愛物?の短篇ノベルを一本公開してらっしゃるだけで、
現在制作中のものもあるようですが、そう頻繁に進捗を上げてるわけではない。
上記のとおり、いいね件数は数万件なのに対して、通常のツイートは極端に少ない。
ところが、たまに投稿されてる通常のツイートに、大量の反応がついている。
「新作のタイトルが決定しました」などと言った日には3桁に届く勢いでイイネや祝辞が殺到する。
すごい。
端的に すごい の一言。
これを「人望」を呼ぶのであれば、なるほど、「人望」なのでしょう。
私から付け加えて言うことは何もありません。
どういうことなのか?
目の前にこういう結果があり、そこへ何か分析的なことを言っても結果論にしかならないでしょう。
しかし、理屈として見えてくるものがないではありません。
つまり、その人の「ファン」としてそこに参集しているのは、
その人の懸命ないいね営業を受けて、純粋に嬉しくなって、その人のことを好きになった人たちなのでしょう。
「懸命ないいね営業」というフィルターを通り抜けてきた人たち。
いいねを押されることを素直に嬉しいと受け止める、人を疑わない、純粋な人たちなのではないか。多分。
そういう人たちが、結果的に、その人のもとに「残って」いる。
良し悪しを語るという野暮なことはしないでおきましょう。
ただ努力の賜物と言わずして何と言えばよいでしょう。
その人のもとに集っているファンの方々も同様、
そこにはただ純粋な盛り上がり・善意に満ちた賑わいがあるのであり、外野から否定すべき点などどこにもありません。
で、その人のことはさておきですね。
ということはですよ?
私も同じようにすれば同じような効果が得られるのではないか? って?
いやいや、甘いですね。
もっと効率のいい方法があるでしょう?
わざわざツイッター全体を巡って営業活動をする必要はありません。
その人のもとに参集している人たちに対して営業をかければよいではないですか。
つまり、その人が一生懸命に営業をしてくれたおかげで、
「フォロワー一覧」や「リプ欄」という形で「優良な営業先名簿」が目の前に出来上がっているわけです。
それをありがたく活用させていただけば、その人以上に効率的に効果が得られるのではないか? お主もワルよのう。
しかし、気が引けます。いろんな意味で気が引けます。だって私ワルじゃないもん。
と言いつつ、ごめんなさい、実験的に、少しだけやってみてしまいました。やはりお主はワルかっ。
というのはですね、
今、話に出したその人のところではないのですが、
さらに露骨なアカウントを見つけてしまったのですよ。
「絵師」であると名乗り、アイコンはアニメキャラ風。
冒頭に「絵師さんとの相互を受付中」である旨のツイート。
そして、その他の投稿はネットビジネス関連のアフィリエイトという露骨さ。
絵師であると名乗っているのによく見ると(よく見なくても)絵が1つもアップされてない。アイコンだけです。
通常のツイートは片手で数えられるほどなのに対し、いいねの件数は6万件。
個人でイラストの活動をしているアカウントを主な対象とし、いいねを押しまくってらっしゃるご様子。
いくらなんでも、こんなの真に受けて相手にする人いないだろう……と思うのですが、
しかし驚くなかれ、
その人の冒頭のツイートに、
「いいねありがとうございます! よかったら相互しませんか?」
といったリプが三桁に届く勢いで殺到している。
「いいね」の件数に至っては4桁に届きそうな勢い。
フォロワー数は数千人。
そこのリプ欄やフォロワーリストは非常に純度の高い「優良営業先名簿」になるものと思われます。
まさにウホッ!いい名簿……ってやつです。
そこまでして人を集めるなんて、なんてアカウントなんだろう……。
しかし、いかにも純粋なリプの数々を見ているうちに、
そんな営業じみたことをためしてみたい欲望が……。
やらないか?
いい名簿に弱い私はその言葉につられてホイホイとついていっちゃったのだ。
それじゃ…
やります…
というわけでためらいながらも適当なリプを一つ見繕って、アカウント名をクリック。
(アカウントのページに)は…はいりました…
素朴なイラストが並んでます。
決して技巧的ではないけれど、「絵を描くのが好き!」ということが伝わってくる。
ああ…つぎはいいねだ。
それじゃ、押します…
決して嘘じゃないんです。その中で、本当に「いい」と感じたものに押したんです。
でも私はこの程度でもためらいを感じてしまう。
逃げるようにブラウザを閉じ、何事もなかったように日常に戻る。
約24時間後、あまり期待もせずにツイッターにアクセスしてみると……
うちのツイートの1つにその人からの「いいね」がついているではありませんか!
……反応してくださったんですね。
ありがとうございます。本当にありがとうございます。
そしてごめんなさい。
でも嘘じゃないんです。
キッカケと動機はクソミソ風味ですが、あなたのイラストを見て、本当に「いい」と思ったから、いいねを押したんです。
……っとね、はい、ご覧の通り、私には無理ですね。一回で心が折れる。こんなことを継続的に貫徹なんて到底できない。
営業するにも一種の「才能」が必要なのでしょう。心を鬼にせねばならない。
私は絵師じゃないので、その人は私のコンテンツには関心を持ってくれないだろうなと思ってましたが、
それでも、お義理なのだとしても、少なくとも反応はしてくれたわけです。
このケースだけでは何とも言えないところではありますが、
その「名簿」の優秀さは充分に予感される手応えではあります。
こういう要領で、自分のターゲット層に合わせて、ツイッター上に落ちている「名簿」を見つけ出し、
心を鬼にして徹底的に営業をかければ、それなりの効果は見込めるのではないかと思われます。
あるいは自分のターゲット層に合うような「名簿を作る」目的で、
別のアカウントを作って事前に「釣り」をするという手も考えられますね。
ううむ、すごい。一体誰がこんなことを考え出したんでしょうね?
私のような生粋の善人は逆立ちしたって思いつきません。こんなことを思いつくのは鬼のようなやつに違いありません。
もちろん、私は鬼じゃなくて善人。善人には到底実行不可能なスキルでございます。
いやしかし、そもそもツイッター上で賑わっても、
目的のモノを見てもらうことにつながっていくかどうかは別なのであって、
そこもまた「こういう手法に訴えてまで……」と気持ちが白けてしまうところでもあります。
だからこそ、なりふり構わず「数字」を追いかけてしまうところでもあるのでしょうけれど。
上記のアカウントの人、アフィリエイト売れてるのかなぁ。
あと、他にもね、
こういう、いかにも「技」という感じのものに関しては、
むしろ一種の「割り切り」というものが感じられて、潔さすら感じるところではあるのですが、
もうちょっと、こう、活動のありようとして、「営業熱心」だな、と思うことはあります。
むしろこれの方が、具体的に言い出すとイヤラシイ話になってしまいますね。
そもそも私含め、自分のコンテンツを宣伝したいという思いは皆さん大なり小なり同じではあるでしょう。
だから具体的・個別的に誰のどういう行動が、ということではないのですけども……
結局何だかんだ言いつつ、自分のことにしか興味ないんだな、というのはありがちなケースではあります。
あくまで全体的な傾向感の話であって、露骨なケースというのは「ほんの少ししかない」とは申し添えておきます。
そういえば以前どこかで、
「ゲーム制作者の相互目的のフォローはお断りします。気持ち悪いので」と明言してらっしゃる方がいました。
それを見たときは、何かよっぽど嫌なことでもあったのかなと思いましたが、
今は何となくですが、その人の気持ちが分かるような気がしなくもありません。
昔、一時期、ゲームの投稿サイトをやってたときのことも思い出します。
もうかれこれ10年近く前になるのか。
既存の投稿サイトに投稿しても高確率で埋もれるだけだし、お互いにお互いのゲームに感想を書き合おう!
という主旨でエントリーを募ってたのですが、エントリー自体はそこそこ集まるものの、
ほとんど誰も他の人のゲームに感想を書こうとせず、サイトが成立しなかった思い出。
言いたいことはイロイロありますが、これまた18禁も真っ青のイヤラシイ話になってしまうのでモザイクかけて言うと、
ゴニョゴニョゴニョ! ムニャムニャムニャ! ニョキニョキニョキ!
って感じです。最後のやつはちょっとモザイク薄かったかな? ご想像にお任せいたします。ドキドキ。
もうそんなサイトが存在していたことさえ誰も覚えてないでしょうけど、
アレに関しては私の力不足だったということにしておいてあげます。私は本当に慈悲深いですね。
あれからそれなりの時間が経過し、SNSが普及し、個人の発言力が増したかのように思われます。
しかしそういう全体の傾向自体はあんまり変わってないなと思うところではあります。
どこかの投稿サイトに投稿して何かのランキングを競うとか入賞を目指すとか、
そういう「(仕掛けられた)競争」への参加や権威に承認されることに対する熱量の大きさというものは依然としてあり、
一方で個人同士は相変わらず、あるいは以前以上に分断されており、
結局お互いに不利な状況のままになってしまう傾向はあるような感じはいたします。
私が知らないだけで、何か協力的なコミュニティを作ってうまくやってる人はいるのかな。
でもどうせ結局その中でランク付けだとかレビューで点数をつけるだとか賞を創設して競わせるだとか、
そういう競争的なフランス革命をやり出してしまいがちなんじゃないのかな。わかりませんけど私の霊能力の前では以下略です。
などと霊能力を少し発揮すると、ご存知の通り、
「人の評価なんか気にせずに自分で楽しくやっていればいいじゃないか〜」
的な声がどこからともなく生々しく聴こえてきてしまうわけですが、
この手の話は本当に悲しいなぁ。
学校の教科書にこの手の台詞が載っていてお受験のために暗記させられちゃうわけですよね。
それができない子はバケツ持って廊下に立たされちゃうわけですよね。お説教の効果音は「ガミガミ」なのですよね。
こんなに悲しいことってありません。うぇ〜ん、しくしく。
誰のことも責められない。
なぜこの世はこのようなのでしょう?
あるいはもっと霊能力が強ければ、何かを見通せるのかな。
今はただ黙祷を捧げるのが精一杯です。
そもそも自分で何かモノを作って人に見せるということ自体が非常に不安を伴うことで、
卑屈な気持ちになりがちなことかなとは思います。
ついでに言えば、まるで当然のことであるかのように何かと各種の「数字」を強制表示するSNSの仕様も、
人々の卑屈さを煽ることに一役買っているのは間違いないですね。得意の霊能力でクッキリハッキリ認識できます。
霊能力はさておき。
活動の方向性は少々ズレてたかなと思うところはあります。
ゲームを作ったので宣伝を、ということでTwitterのアカウントを開設して皆さんのお世話になってきたわけですが、
いわゆるアレですよね、「ゲーム制作者界隈」っていうんですか?
「ゲームを作った」と標榜して活動していると、そのあたりの皆さんのお世話になる感じにはなってくるところで、
それはそれで意義深いことではあるのですけれども、
そもそもの目的である「宣伝」という観点では、ちょっとどうなのか? という話。
いや? ちょっと待てよ?
なんでこうなったんでしたっけ?
そもそも最初は無作為に「相互フォロー&固定RT」で作業的に回しまくってた。
それはもう、割り切って、ひたすら回しまくってた。そのまま突っ走るつもりだった。
しかし、それにも限界が見えてきたこと、
プラス、
結果的に徐々に、他の制作者の方たちからお相手をしていただけるようになってきて、
そっちに舵を切ったんじゃなかったでしたっけ?
そうでした。そんな気がします。
つまり、活動の方向性として、
こっち方向こそが適切なんじゃないか、って、思ったのですよね。先月ぐらいのこと。
確かにそうなんですけど、しかし今思うと、それもどうなのかなぁ。
上述の「ゲーム制作者の相互目的のフォローは気持ち悪いのでお断りします」の人じゃないですが、
制作者同士のつながりを優先するのが果たして本当に適切だったかどうか、というのは少し考えたい気はしないでもありません。
実際、「お仲間」にお声掛けをいただけるのは嬉しく、頼もしく、意義深いところではあります。
それはそれでいいんですが、しかし「宣伝相手」じゃないよな、って話。
たとえば企業が自社のゲームを宣伝する際に、同業他社に向けて宣伝するか?
マーケティングのことには疎いですが、そんなことはしないだろうとは思います。
宣伝相手は同業他社ではなく、潜在的なプレイヤー層ですよね。
それがどうして、個人制作だと、同業(?)同士になってしまうんだろう?
いや、私が勘違いしていただけかな???
いや、でもねぇ、企業の場合はそうかもしれないですけど、
それは企業は「商品」を「売る」のが目的で、他社とは「競争」しているからなわけですよね。
私(や他の皆さん)は企業とちがって、「競争」する必要はないハズなのですよ。「そのハズ」なんですよ。
などと言い出すと、これまた繰り返しになってしまうところですかね。
ただ私自身の問題として、目的を明確に見定めて動いていたとは言い難いのかなと反省すべきかもしれません。
宣伝がしたいのか? それとも同業(?)の人と交流したいのか?
いやー、しかし、そんなふうに割り切ってしまうというのも、なんだか殺伐としていて厳しいなぁ。
私以外の皆さんは、そのへん「わきまえて」らっしゃるのかな? どうなんでしょう。おっと霊能力霊能力。
ゲーム制作をしてる人たちには「親近感」を感じるところではあり、
SNSという形で交流ができるのは意義深いところではある。
が、「宣伝相手じゃないだろ」と言われれば確かにそうだなと認めざるをえないところではあります。
いや別に誰かに言われたわけじゃなく、あくまで霊能力で生々しい声を聴いただけなんですけども。
だから、これまた繰り返しですが、
同業(?)の人たちと交流することが、すなわち、宣伝にもなる、という協力関係が築ければ理想ではある、ってことですかね。
とは言え、それも私の手前勝手な理想。
皆さんそれぞれお考えやご都合もおありでしょうし、現実的にはなかなか難しいところではあります。
え?単に私がハブられてるだけだって? やかましいわ!
さて、じゃあ「宣伝」ということをもっとクッキリハッキリ意識して、
直接「マインドル」の内容に興味を持ってくれそうな人たちにアピールしていったらどうか、って話になるわけですが、
それもまた、なかなか難しいところだったりはします。
実際、Twitterを見てると、「ああ、この人にぜひマインドル見て欲しいな〜(冥土の土産に)」って思うこと、しばしばあるのですよ。
そこまでピンポイントではなくても、それ系の界隈というものはある。
しかし、直接的なアピールはしにくいですね。
まず「ゲーム好き」とは限らない。少なくともそういうつながり方を求めていると標榜されてはいない。
そして、これが一番根本ですが、
人から上から目線で説教される的なことに対する嫌悪感や警戒感が強いことが予測されます。
そういう感覚、すごくよくわかります。霊能力がビンビンです。
たとえば「自殺」ですが、実際、世間に存在する「自殺モノ」でロクなものがあるかって話。
あるのかなぁ? 私が知らないだけで、イロイロあるのかな。
警戒感が強いというのは私自身がそうで、あんまり積極的にその手のものに触れてないってのは事実ですね。
「イロイロ」はあるのでしょう。「イロイロ」は。
しかし、ハズレを引いて嫌な思いをするリスクを踏んでまで、敢えて探し出そうとは思わないですね。
むしろ「自殺をテーマにした問題作!!」などと言われると、「どーせそんなもん」と思って、見る気が失せます。
そんなもんは「信用ならん」わけです。
私と同じ思いの人は少なくないはず。
その点、「マインドル」は共感してもらえる部分があるのではないかな〜、っと(私は)思っているのですが、
そもそも他人から何かを言えるという性質のものではなく、
結局生きちゃってる私の話など同様に「信用ならん」としても仕方がないとは思います。
それに、なんだかんだ言って、こういう「制作物」としてまとめた形にしてしまっている時点で、
決して「上から目線で説教」しているつもりはないといくら言ったところで、
「私が考えたことを伝えたい」という「尊大なおこがましさ」があるのは事実で、
しかも「あくまでフィクションなんだから」という言い訳を可能にしているという狡猾さのオマケつきなのであり、
その点で、「汚さ」を見抜かれてしまうと申しますか、いくら嫌われても嫌われ足りませんね。
そこまで卑屈にならなくてもいいのかな。どうだろう。
実際何か言われたわけでは今のところないのですが、あんまり歓迎されないであろうことは想像できますし、
センシティブな領域なだけに、下手に「押し付け」て傷つけてしまうことは避けたい。
一方、あくまでも「学園モノのノベルゲームっ!」という「体裁」を選んでいるのであり、
むしろ、普段「その手のこと」をそんなに考えてない人に、「ノベルゲームっ!」として受け取ってもらって、
フェイント的に不意打ちを食らわす、という目論見があったりもします。(じゃああのPVはヤメた方がいいかな……)
しかし、特に絵柄がそうですが、
では「ノベルゲーム好きな人」にアピールできるような見栄えになっているのか?といえば、力不足を認めざるを得ません。
これはTwitterで他の皆さんの物を拝見して、改めて実感させられるところです。
SSの見栄えが、もうね。なんであんなにセミプロだらけなんだ……。
さらに上記の理由で、内容に直接共感してもらえそうな人たちにも届けにくい、と。
こういうの何て言うんでしたっけ?
帯に短しタスキに長し? 前門の虎後門の狼? 隣の客はよく柿食う客だ?
早口言葉は専門じゃないのでよく分かりません。
>「ノベルゲーム好きな人」にアピールできるような見栄えになっているか?といえば、力不足を認めざるを得ません。
ちなみに、コミPo!界隈でたまにご注目いただいているみたいっす。恐縮っす。
やはり見た目のインパクトというのは重要と言うところでしょうか。
でもやっぱりゲームをダウンロードしてプレイする、というところまでは行動を起こしてもらえない感じですねぇ。
残念ですが、そこまでの興味を持ってもらえないのは仕方がありません。
仕方がない、のかな? うーん。
あわよくばそれを入り口として……と期待してしまうところではあるのですが、
単にコミPo!の立ち絵を使ってるという以上の意味での関心を持っていただくのは難しい感じではあります。厳しい。
なんだか、どうも、かみ合わないですねー。きまきまみっ(噛んだ)。
> 単にコミPo!の立ち絵を使ってるという以上の意味での関心を持っていただくのは難しい感じではあります。厳しい。
すると、私から見ると「ノベルゲーム的に見栄えのする絵柄」のように見える諸先輩方も、
案外、内実としては、それぞれに困難を抱えてたりするのかな? わかりませんけど。
素朴に霊能力を空に飛ばしてみるに、
分断された孤独な個人が分散している様子が見えるようではあります。
それからもう一つ進めていた(いる)のが、別のゲームの作成です。
以前にも申し上げたように、マインドルだけでは賑わいが足りないので、
このサイトを「ゲームが置いてある場所」として皆の衆に認知してもらえるよう、数を増やそうという話ですね。
で、ちまちまと作業を進めているものがあるにはあるのですが。
正直あまり元気は出ないですね。
理由はイロイロありますが、まず第一に、そもそもの目的である「賑わい」上昇効果への疑義。
現状のマインドルの「惨状」を鑑みるに、
他に公開タイトル数を1つや2つ増やしたところで、大して流れに変化が起きるとは思えません。
残り少ない人生の時間と労力を注ぎ込む意欲としては、あまりわいてこないですね。
あるいは1つや2つと言わず100本や200本増やせば「迫力」が出るのかもしれませんが、
それこそ命がいくつあっても足りない話。
現実的にはせいぜい10本ぐらいが目標というところでしょうか。
で、そうやって件数を増やせば流入効果が実際にあるかどうか?
他の人の事例をいくつか見る限り、これまたあまり「過度な期待」はできそうにないですね。
ミニゲームを大量に制作して公開してらっしゃる方はときどきおられますが、
じゃあ、その理由で「知名度」という観点での有利さが発揮されていると言えるかどうか?
パッと見「賑わってる」ようには確かに見えるんですけども、
ダウンロード件数が見えるようになっている場合や、その人のSNSアカウントの状況など、
そうしたものを外部から見る限り、ただ公開タイトル数が多ければいいというものではない、
とは言わざるを得ない感じはいたします。
当然と言えば当然ですが、品質度外視で大量生産すればいいというほど単純なものではなさそうです。
もちろん品質の高いものを大量に作れれば理想ですが、それこそ命がいくつあっても足りないってやつです。
なお、これは「人の流入を増やす」という陰謀の上での話であって、
本人が本人なりの意義に基づいて(≒楽しんで)活動しているものを批判する意図はない、とは申し添えておきますよ。
そうなんですよ、確かに、そういう、ミニゲーム大量型の方って、
すごくご本人自身が楽しそうに活動してらっしゃる様子が伝わってくるのですよ。
そうした雰囲気に触れるにつけ、私はちょっと、少なくとも今は、そういうふうにはできないなー、って思ってしまいます。
いや、人のことは分かりませんけどね。おっと霊能力霊能力。
制作に乗り気になれない理由は他にもイロイロありますが……。
結局、一言で言ってしまうと、
「これを作ったら、絶対 "イイ" !!」
という確信が持てずにいるというのが根本的なところなのかな?
「賑わいを増やす」だとか、そういう「策」はさておき、作ること自体に意義を感じられれば前進はしていくのでしょうけれど。
その点、「マインドル」のときは理屈抜きの前進力がありましたね。
有り体に言えば「疲れた」ってことなのかな。
確かに、もうあんなに制作期間が長期間に及ぶようなものは作りたくないですね。
作るのであれば、うまい具合に小規模にこじんまりと収まるようなものにしたい。
で、今作業中のものも、そういう点を気をつけて計画を「まとめて」あるつもりではあるのですが。
やっぱり今ひとつ元気が出ないですね。今はとにかく死にたい。
進捗のSSや動画などを元気よくお見せできるといいのですが。
どうも、そういう「やってるぜ!」ってな気分ではない。今はとにかく死にたい。
さて、死ぬのはいいんですけど、死んだ後どうなるのかっていうのを、自分なりにハッキリさせたいところではありますね。
この世は一体何なのか?
そういえば最近全然トリップしてなかった。
なんだかんだと一年近くやってないのか。
やらねばとは思いつつ、去年の3月のやつが思いの他、強烈なトビで、あれがちょっと尾を引いているというのはあります。
あの後、マインドルの作業が終盤に入って、ともかくそれが終わってから、と思いつつ、今だにヤレずにいます。
「あの先」にイカネバ、とは思うものの。
当時の日誌には書きませんでしたが、
あの後、かなり激しい離人感が一週間ぐらい続いて、日常生活がキツかった。仕事も全然手につかなくなってしばらく無収入でした。
見慣れているはずの周囲の全てのものがガラス一枚隔てた遠い世界のことのようで、
身体感覚や理性はあるものの、
どこか遠い異次元の果てからこの身体を通して間接的に周囲を見ているようなと申しますか、
それでいて解放感のようなものはなく、
見知らぬ世界に連れてこられて、出口もなく閉じ込められているような絶望感と申しますか。
周囲の一切が、冷たく、生気のない、作り物のような、色あせた、よそよそしいものに成り果ててしまった。
むしろそれこそが普段から考えているとおりの「本当」のことなのではないかとも思うものの、
ただの「考え」ではなく、まさに実感としてあの状態に閉じ込められるのは、正直言って、キツイ。
そういう後遺症のこともですが、トリップそのものも、正直言って、恐ろしい。
ヤルとしたら、前回以上の深みを目指すことになるわけですが、
「あの先」に果たして何があるのか? 戻ってこれるのか?
だからこそ見なければならないとは思うものの。
結局こうして一年近く実行できずにいるということは、無意識レベルで「足がすくんで」いるのかもしれません。
まだまだ修行が足りませんね。
さて、進展はないものの、一区切りつける意味で日誌を書いてみると言いつつ、
これで一体何の区切りがついたのかな?
具体的にこれからのことは見えておりませんが、ちょっと足を止めて考え直したいかなという気はしております。
そういえばそろそろこの世が終わりそうな気配なんでしたっけ。
思ったより早かったかな? ようやくというところかな?
待ちくたびれたのは確かですね。
予想は天変地異か戦争だったので、ウィルスというのは「やられた」って感じです。戦争はこれからかな?
いずれにせよ、これで一安心というところではあります。あー、やれやれ、ってなもんです。
思い残すことならいくらでもありますが、これ以上頑張らなくていいというのは肩の荷が降りた感じですね。
「マインドル」は人類滅亡に間に合うようにと頑張って作っていたわけで、
なんとか滑り込みセーフだったということでしょうか。
できればもっと多くの人に普及して欲しかったという思いはあり、そこは正直言って残念ではありますが、
少数の人であっても、届いてくれたことは本当に良かった。
人類滅亡の前にマインドルの存在を知ってプレイできたあなたは本当にラッキーでしたね。
さて、お話は尽きませんが、人類の命運はそろそろ尽きそうです。
またお会いできる日があるかな? ないかな? ドキドキ。
今日もあなたが幸せでありますように。(予告通りだぜ)
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