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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの残りの作業
        
        学園モノと言えば右クリックメニュー!
        
        
        

        学園モノと言えばセーブ画面!

        


        学園モノと言えばロード画面!

        


        学園モノと言えば確認ダイアログ!

        


        学園モノと言えば棋譜ファイル選択画面!

        
        
        
        学園モノと言えば棋譜再生画面!

        


        学園モノと言えば読み返しモード!

        


        学園モノと言えばフリーバトル選択画面!

        
        
        
        よーし! 大体完璧ぃ! これでUIもバッチリだゼ!
        と見せかけて、見るからに作りかけっぽいのが少々混じっているようにも見えます。目の錯覚かな?
        
        
        てな感じでUI整え作業をエイエイと鋭意お努め中なわけですが、
        大体いい感じですよね? 
        
        よく見ると左右対称じゃないとか、
        よく見るとカタカナ表記とローマ字表記が混じってるとか
        よく見るとフォルダアイコンの縁取りがボヤけてるとか、
        その他よく見るとイロイロありますが、よく見なければ問題はないハズ。
        
        一応、ちょっと工夫したトコロとしては、
        セーブ画面とロード画面の見た目が似ていて、操作としては真逆なのに紛らわしいので、
        上部の「Save」「Load」のロゴの色を変えて、見た目の印象を変えるようにしてみました。
        
       と思ったのですが、単に「Save」と言うだけでは
        
        ・「Saveデータ」を「書き込む」なのか
        ・「Saveデータ」を「読み込む」なのか紛らわしいかな?
        
        どうしようかな。
        だけど、そんなこと言い出したらキリがないじゃないですかー。
        じゃあ、仮にこれを「Saveデータ書き込み」と表記したとしたら、今度は
        
        ・「Saveデータ書き込み」を実行しつつ当然のようにピザを注文でしょ? 昔からそう決まってるじゃないですか! なのか
        ・「Saveデータ書き込み」という符牒で仮想通貨の買注文でしょ! みんなそう言ってるじゃないですか! なのかが紛らわしい。
        イマギナティオーンは無限大。
        
        とは言うものの、私は慈悲深いので確認ダイアログを出すようにはしておきましたよ。
        これで間違えることができるほどの自由な翼があれば、たとえ間違えたってどこまでも羽ばたいてイケるハズ。
        あとはイマギナティオーンで察してね。
        
        
        
        
        問題はフリーバトルモードか。
        本文でプレイ済みの対戦イベントを個別にプレイできるモード。
        あなた方の方が詳しいことと思いますが、エ○ゲーで言うところのエ○シーン鑑賞モードに相当する機能ですね。わくわく。
        どうしようかな。
        このモード自体をナシにしてしまうという話もあったような記憶がないでもないですが、
        ここまで来たのだから、形だけは整えておきたい気がいたします。
        
        命がいくつあっても足りないですよフラグを立てないよう気をつけつつ、
        ゴールに向かって突貫していきますよ。
        
        
        
        
        それにしても、これからどうしようかな。
        この作業が終わった後、本当にどうしましょう?
        別に、だから作業を長引かせている、というつもりはないのですけども、
        実際、この後どうしようかというのは悩ましいところではあります。
        
        この世で生きていける気がしません。
        というか「ああ、やっぱりこれ以上この世で生きていけないなぁ」という思いが日に日に強まります。
        もう「踏ん張れ」ません。もう「戦え」ません。
        
        よく自転車で買い物にいくのですけど、
        自転車で出かけるときは、自転車置き場がない店に入るのは諦めます。
        
        で、自転車置き場というか、地面に自転車マークが描いてあるところに私は置くわけですが、
        わざわざ自転車マークの描いてあるところに置くなんて、ナウなヤングの所作ではないらしい。
        私の後から後から他の人たちがやって来ては、やって来たときのまんまの角度で、そこらへんに置いて、店に入っていく。
        それでも店の中までは自転車で乗り込まないあたり、「何も考えてないわけではない」らしい。
        
        こういう個別の事例を取り沙汰すれば、それ自体は「些細なこと」ではあって、
        だからこそ、いちいち取り沙汰すれば「些細なことにこだわっているキチガイ」と言われるのが関の山であり、
        なるほど、些細なことにこだわらずに、そこらへんに自転車を適当に置いていくのが
        「"常識人"のたしなみ」というものであるらしい。
        私などが下手に真似をすると手ひどいしっぺ返しを食うような高度な所作というものがあるらしい。
        
        結局、この世で生きていくということは、こういう人たちと一緒に生きていくということです。
        結局、この世で生きていくということは、こういう人たちと同じ土俵で生きていくということです。
        自転車に乗っているだけで「どうせあんたも一緒なんでしょ?」という視線を浴びながら生きていくということです。
        
        もう言論大会で勝とうなんて気はありません。
        踏ん張れない。戦えない。
        ただ、力が、抜けていく。
        
        
        目の前で繰り広げられていること、繰り広げられてきたこと、
        これらは一体何なのか? 何であったのか?

        過去形でしか語れないことであるのなら、そのようにいたしましょう。
        
        
        
        
        もう何年も前のことですが、
        どうしても急ぎの用事があって、駅の駐輪場に自転車を置いたのですよ。
        ところが折悪く満車になっていて、空いているラックがない。
        しかし、どうしても急ぎの用があったので、すぐに戻ってくるつもりで、ラックの横の隙間に入れさせてもらったのですよ。
        で、用事を済ませて戻ってくると、私の自転車に、
        手書きのマジックで「いつもマナーが悪い!」と書かれた紙がセロテープで貼られていました。
        そもそも普段は行かない駐輪場なので「いつも」と言われても戸惑いを禁じ得ないのですが、
        そもそもそういう問題ではないということはよくわかります。
        
        もう一つ別件で、これまたもう何年も前のことではありますが、
        コインランドリーで洗濯をして、その間に隣のスーパーで買い物をしていたのですよ。
        で、戻ってくると、他にも空いている洗濯機がいくつもあるにもかかわらず、
        私の洗濯物が外に出されていて、私が使っていた洗濯機に別の人の洗濯物が入って回っていました。
        別に何時間も放置していたわけではないのですが、
        そもそもそういう問題ではないということはよくわかります。
        
        どうして、こうも「狙い撃ち」なのか?

        他にもすべてを記憶しているわけではないですが、細々と、似たような事例があります。

        とは言え、実際のところ、冷静に考えると、
        そうそう滅多にこうした事例があるというわけではないのですけれども、
        
        それでも、何か、こう、常に何らかの存在に見張られていて、
        1ミリでも隙を見せると、間髪入れずに陰湿な攻撃を仕掛けてくるというようなことが、
        「必ずしも妄想とばかりは言い切れないレベル」で私の身に生じているように思えてなりません。
        
        もちろん「隙を見せてしまった」のは確かに私なのではありますが、
        それを、そうそう的確に「突ける」というのは、確率的に言って、「人間の仕業とは思えません」。
        
        だって、どう見ても、みなさん、もっと「隙だらけ」じゃないですか。
        私のような希代の善人の粗探しをしなくたって、突ける「隙」なんて、目移りするほど溢れてるじゃないですか。
        
        根本のところで「なんかおかしい」。
        
        
        本当の本当の本当のところ、この世には「人間」は「何人」いるのか?
        「人間」ではない「何か」は「何」が「どれだけ」「どこに」「どのように」「いる」のか?
        
        もういい加減、「本当のこと」がわからないままでいるのはイヤです。
        
        
        「この世」を規定している「力の輪」とでも言うべきものがある。
        その「境域」を「警護」している「何らかの存在」がある。
        
        この全体が、そもそも一体何なのか?
        
        「この世」とは、一種の奇跡ではあるでしょう。
        どこまでも広がる(ように見える)空!
        すべての箇所が止まることなく動き続けている(ように見える)空間!
        一人一人違う(ように見える)人々!
        
        では、この、溢れんばかりの苦しみは一体何なのですか?
        無理がある。
        
        

        話は変わりますが、先日、ふと、嘘をつく癖のある人の気持ちがわかったような気がしたのでした。
        
        嘘というのは無限の可能性の中の一つです。
        真実というのは無限の可能性の中の単なる特殊な事例に過ぎません。
        
        だからつまり、当然ながら、こういうことではなかったか?

        「どうして信じてくれないの?!」
        
        単なる特殊な事例の一つに過ぎないものが、
        無限の可能性の中から目的を持って選び取られたものに優越する理由が一体どこにあるものか?
        
        長方形の一種が正方形であるように、
        「嘘」の一種が「真実」と言えます。
        
        
        だって「この世」というのが、もう、果てしなく「嘘」じゃないですか。
        なるほど、奇跡的な「嘘」ではある。
        
        どこまでも広がる(ように見える)空!
        すべての箇所が止まることなく動き続けている(ように見える)空間!
        一人一人違う(ように見える)人々!
        
        息を飲むほどの荘厳な「嘘」です。とりあえずギャフンと言っておくしかありません。
        
        この最高傑作を何がなんでも守り抜かんとする「何らかの存在」がある。
        この世の形を維持している力の輪を決死の覚悟でつなぎとめている何者か。
        
        ああ、ああ。
        もういいじゃないですか。
        まだダメなのですか?
        私はもう疲れました。
        ただ、誰とも戦いたくはないんです。
        隙を見せてくれるあなたにも、隙を見せてくれないあなたにも、好きだらけの愛を。
        
        それがとどのつまり、アルファでありオメガなのではなかったのでしょうか。
        生きることも死ぬこともただ無限に溶けていく。ずいぶん遠回りをしてしまった。
        すべてをただ愛することができたなら。
        
        
        今日もあなたが幸せでありますように。