マインドルの対戦パート作成
学園モノと言えばキング・オブ・マインドラーズ。
これだけでは少々ムサ苦しいのでもう一枚。
はい、そんな感じで件数多めだったキャラ3ルートの対戦イベントも実装完了!
と思ったらもう一件残っていたのだった。
対戦イベントというか、序盤に「次の一手問題」のシーンがありまして、後回しにしていたのを忘れておりました。
というわけであと一息! ぜーはーぜーはー。おっと二息ついてしまったじゃないか。
ようやく対戦シーンのスクリプト作成の要領がつかめてきて作業がノッてきたと思ったら間もなく終了。
その理屈でいくと、死ぬ直前が人生最高のノリノリタイムということになるのでしょうか。実に楽しみですね。わくわく。
この勢いで完成に向けて突き進んでいきますよ。
と、作業の方は絶好調この上ないのですが、今週はパソコンのOSを新しいバージョンのものに入れ替えていて大変でした。
こんな週ぐらいは7日と言わずせめて70日ぐらいあってくれてもいいのにな。この世とは待ってくれない世界のことなのでした。
新バージョンが出たと言われてもワクワク感なんて正直全然なくて面倒くさいだけなんですけど、
セキュリティが云々と言われれば逆らえません。親切な人に密かにパソコンを操って作業してもらうのはまたの機会です。
Linux Mint17.2から間をすっ飛ばして19.1に。
性能大幅アップ! などということはなくほぼ同じというのは予想どおり。
ビミョーーに操作感覚が変化しててむしろ神経が削られるのも予想どおり。
強制的に不器用にさせられた気分ですが、少しずつ慣れていくしかありませんな。
唯一意表をつかれたのは以前とまったく同じバグが残っていたこと。そんなところで意外性を見せてくれるとは侮れません。
そして予想通りコミPo!が起動しなくなってマインドルのビルドも通らなくなってましたが、
予想通りイロイロがんばってどうにか解決できましたよ〜。めでたしめでたし。
コミPo!はもう使わないかな? 今まで動いてくれてたのがラッキーと思わなければなりませんね。ありがとうございます。
コミPo!はさておき、ビルドの件は少し心配です。
予想していたこととは言え、ちょっと環境が変わっただけで意味不明なエラーが出まくるようでは
最終的な成果物のリリース作業が思いやられます。共有ライブラリが不整合とかそういう類の面倒くさいやつ。
結局Windows専用にしてしまうのが一番楽なのかな。私も皆さんも。
なんかくやしい。コンチキショ〜。
ともかく今は完成に向けて前進あるのみですよ。
一日も早くあなたのお手元に届けたい。
今日もあなたが幸せでありますように。
それにしてもこの世は御しがたいな。
一人の人間の意志を飲み込んで押し流す「世の流れ」というやつは一体何なのでしょう?
現象だけを見れば、そこには人間がいるだけです。複数の人間がいる。それだけです。
この世に2人しか人間がいないのだとすれば、話はわかりやすい。
たとえば私とあなたがいて、何か意見が対立するとする。
で、どちらか片方の方が立場が強かったりする、と。
あるいはそのときどきによって、私の意見が優先される場合もあれば、あなたの意見が優先される場合もあるでしょう。
わかりやすい。
で、この世全体というものもその延長に過ぎない、はず、と、見た目には見えるのではありますが、
単なる「複数の個の和」を超えた、得体の知れない何か、があるように思われてなりません。
神の見えざる手、という言葉がありましたっけね。
その神とやらが善なる存在ならば、その手に任せておけばいいのかもしれません。
いわゆる世間の道理とやらに任せておけばいいというやつです。
みんなの大好きな常識ってやつです。なんやかんや言って世の中うまくいくようになってんのさ、とかなんとか。
だから、そこが怪しい、という話。
何らかの「見えざる手」はあるように思えてなりません。
が、しかし、そんな神さまがいるようには思えません。いるとしたら悪魔です。
強力な、ドウショウモナイ、得体の知れない、何かがある。
> で、この世全体というものもその延長に過ぎない、はず、と、見た目には見えるのではありますが、
「そのはずなのだから、人間一人一人の意志で世界をより良くしていこうぜ」的な話が散発的に持ち上がる。
しかし、そのたびに我々は挫折してきたのではなかったか。
しまいには「苦しむことに意味がある」みたいなことを言い出す始末。
本当にドウショウモナイ。
恐るべきは、そのすべてが人間の手で行われているということです。
いくら見えざる悪魔の手があるかに思えても、現象としてはすべては人間の手で行われている。
それ自体は否定しようのない事実です。
悪魔自身が姿を表して直接手を下すことはない。そういう仕掛けになっているらしい。
そういう悪魔のようなものが「いる」か「いない」か、という議論をしてもあんまり意味がないのですよ。
そんなことは無用な争いなのであって、それこそ「思うツボ」ってやつです。
かと言って「人間一人一人の意志の力で……」的な話が常に挫折するというのもまた事実。
何か、こう、人間外の存在を認めるざるを得ない気がするのですよ。
そこを全否定して純粋一途に「人間一人一人の意志の力で……」とばかり言い続けるだけでは同じことの繰り返しです。
「オカルトにのめり込む」のでもなく、「常識的」になりすぎる、のでもなく、
言葉どおりの意味での「現実的」な方図というものがあるような気がいたします。
現代にふさわしい現実的な「悪魔学」。
「悪魔学」などというと、いかにも中世的なおどろおどろしい迷信じみたものがイメージされてしまいそうですが、
そうではなく、現代的な感覚での、実用的な研究があってもいいというか、むしろ必要なのではないのか。
センショーショナルに「爬虫類人間は実在した!!!」とか何とか、そんなんじゃなくて。
人間外の何らかの存在というものを明確に仮定した上で、対処方法や進むべき方向を模索するような態度。
この「ドウショウモナサ」を超えていくことができるとすれば、そういうような何かではないのか。
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