マインドルの対戦パート作成
学園モノと言えば真剣マインドル対決。
立ち絵作業の序盤のときに頑張って用意した懐かしの着衣乱れバージョンのブレザーです。
ちょっとキミたちには過激すぎるかな〜? 鼻血でキーボードが壊れちゃうかな〜?
と心配だったので、胸の谷間は描き足さないことにしました。私は本当に慈悲深いですね。
絵が描けないのでこれが限界というのも粋な巡り合わせと言えるでしょう。言えるらしいですよ。やったね。
というわけでキャラ3ルートの前半まで対戦イベント大体実装完了。大体って何だ。自信がないのか。
キャラ3ルートはルート自体が長いということもあって、対戦イベントの件数も最多です。
来週までに残りの分も終われるかな?
元気があれば終われる見込み。元気があるかどうかはわからない見込み。未知の可能性に高鳴る鼓動が抑えられません。ハラハラドキドキ。
実際、予想以上に気力がなくなって未知の領域に突入するなんてよくあることですので、
自分が常に元気なつもりで作業の見積りを立てていると宇宙空間で道に迷ってしまいます。
なお、道だけに未知、などと言うつもりはほんの少ししかありませんでした。ご了承してね。
それにしてもこれからどうしようかな。
今にも完成しそうな気もしつつ、まだまだいつまでも完成しなさそうな気もしつつ。
残りの作業はどれだけあるのか?
客観的に考えて、そんなに大きな作業は残ってないハズ。
しかしちょっとした作業と見せかけて予想外に時間がかかってしまったりもするので油断なりません。
そもそも私が10人ほどいればとっくに完成しているハズだったのですよ。
ところがなぜか、広大な宇宙のどこを探しても私が1人しかいないという摩訶不思議なことが発生してしまっておりますので、
すでに予定は狂いに狂っているというわけです。
この宇宙が一体全体どうなっているのかさっぱりわかりません。あなた方への愛だけが道しるべです。
それにしてもこの世は闇ですね。
どこにも希望がありません。絶望あるのみ。
個々別々の問題に関して、個々別々に考えて「これが正解」というようなものは、ある程度得られたりはするわけですが、
たとえ、それが、いくら、「根拠のある」「確実な」ものであろうとも、結局のところ、
「そうは思ってない人(たち)」が世間に一定数いらっしゃり続ける、という状況は変わらない。
「そういうふうに」しかなりようがない。
そういうふうにしかなりようがない中で、個々別々の問題について「正しい考え」のようなものを
個人的に追求しても「そういうふう」な中の一つにしかなりようがなく、
またはそれを世間に向けていくら啓蒙しようとしたところで、
やっぱり、「そういうふうに」しかなりようがない。せいぜいSNSが炎上するだけ。
「人によっていろんな考え方がある」などとは言いますが、
実際はそんなご立派なものじゃなく、
「人によっていろんな思い込みがある」という程度のことです。
逆に、そういう中で下手に「考え」なんてものを持ってしまうと、ケンカの元にしかならなかったりする。
メリットがあるとすれば、せいぜい、トラブルが起きて議論になった場合に議論に勝てるかもしれないという程度のこと。
じゃあ「考え」ない方がいいのかと言えば、そんなハズはない。
そもそも、なんで「考え」るのかと言えば、解決すべき問題がある(あった)からです。
しかし「考え」た挙句にケンカになっているようでは何がなんだかわかりません。
「考え」れば、「考え」が元でケンカになり、「考え」なければ「思い込み」が元でケンカになる。
もう絶望するしかありません。
こういう「人の世の構造」が変わらない中で、いくら個々別々の問題に対する個々別々の対処方法に習熟したところで、
同じことの繰り返しにしかなりません。
愛し合うことはできないものなのかな。せっかく同じ時代に同じ地球上に生きているのに。
一体何をしているのか。
何を「考え」るのもバカバカしい。何かを「考え」るなら、愛し合う方法を考えたい。
しかしそれも結局、「考え」になった途端、ケンカの元になるような予感しかしません。
Aと言えば誰かがAじゃないと言い、Bと言えば誰かがBじゃないと言う。どこにも希望がない。
宗教戦争か、さもなくば、弱肉強食か。
どっちも嫌ですよ。仲良く焼肉定食を食べられたらいいのに。おっと私は肉食べないんだった。いやたまには食べますけど。
誰とも戦いたくないな。
一番いいのは死ぬことですが、この世にいることに何らかの意味があるとするならば。
考えでもなく、思い込みでもなく。
じゃあ、せめて、お祈りでも。
今日もあなたが幸せでありますように。
今日すれ違いざまに私を怒鳴ったおばちゃんが幸せでありますように。
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