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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルのCG作成
        
        学園モノと言えば居眠り。
        
        
        
        
        起きた。
        
        
        
        
        結構ガンバりました。主に机を並べる作業など。
        コミPo!に入ってる机素材を1個だけ出力して、あとはGIMP上で並べれば楽勝!
        と軽く考えていたのですが、コミPo!内では3D的にパースがかかっているので、
        単純に並べるだけではつじつまが合ってくれないのでした。さぁ大変!
        かと言ってコミPo!空間内で思い通りの位置と向きにオブジェクトを並べるのも実は結構ムズカシイ。さぁ大変!
        
        
        
        結局どうしたんだったかな?
        よく覚えてませんが、なんかゴニョゴニョしてるうちにビタッと並んでくれてました。
        いわゆる、我ゴニョゴニョする、ゆえに机ビタッと並ぶ、というやつです。昔の人はうまいこと言いますね。
        きっと偽札だってこの調子でゴニョゴニョすれば完成するに違いありません。がんばるぞ〜。
        
        
        それにしても、ライティングのエフェクトを入れると、まるで絵が上手な人が描いたみたいに見えますね。素晴らしい。
        きっと偽札にもライティングを入れると完成度がアップするに違いありません。がんばるぞ〜。
        
        ちなみに、ライティングを入れる前の状態。
        ↓
        
        
        ほぅら、こんなに雑……と言う段取りだったのですが、こうして見ると、そう悪くもないですね。なーんだ。ああよかった。
        悪くないですよね? はーい、悪くないでーす。
        ああよかった。
        じゃあライティングを入れてない手元の偽札もすでに完成しているってことですね。なーんだ。ああよかった。
        
        ちなみに、コミPo!上では、顔を上げてカメラ目線にするポーズがうまく作れなかったので、
        首は削除して、通常アングルで出力した頭部をGIMP上で2D的に斜めにしてくっつけております。
        
        
        うむ。完璧。
        よく見ると不自然ですが、つまり、よく見なければ自然ということ。ゆえに問題ナシです。自然を大切に。
        
        あと、見ての通り、この人の髪型もデフォルトではないので、毎回オーダーメイドです。
        立ち絵的には↓この人なのですが、
        同一人物ってことでわかりますよね? わかりましょう。
        
        
        
        そんなこんなで今週は上記のSSの分も含めて12枚片付きました。
        今週は例のODトリップに行っておりまして、作業ができない日がありました。
        妄想の中ではガンガン作業がハカドってましたが、現実はキビシイ。
        しかし、枚数的には意外とペースが落ちてません。私は本当にエライですね。
        このペースなら56億7千万年以内には完了できる計算ですよ。人類の未来は明るい。
        
        
        さて。
        トリップの翌日のリハビリを経て、その翌日。外出先で見た景色の美しいことと言ったら。
        幻覚剤を使った直後は、景色が美しく見えると言います。
        たまたま天気が良かったこともあり、そんな気がするだけかとも思いましたが、それだけではない何かがあった気がします。
        空や雲や木々や鳥を眺めていると、胸にグッと迫ってくるような、感動すら覚える何かがありました。思わず魅入ってしまう。
        もちろん私は常識人なので人通りの少ない街外れでの観賞ですよ。
        ちょっと足を止めて眺めるだけのつもりが、思わず長時間立ち止まってしまいました。
        おまわりさんに見つからなくてよかった。そう。この国では急ぎ足で通り過ぎなければ怪しまれてしまうのです。なんと悲しいことでしょう。
        
        あっちの世界の景色もなかなかのものではありましたが、鳥は飛んでなかったなぁ。
        景色自体は目まぐるしく変転してましたが、一つの景色の中で、雲がゆっくり動くだとか、そういう芸の細かさはありませんでした。
        そうなんですよね。
        風にゆれる木の葉の一枚一枚。ゆっくりと動く雲を背景に、鳥が弧を描いて旋回している。
        一体誰がこんなにも細やかな世界を作っているのでしょう?
        世界はこんなにも緻密で、こんなにも美しい。
        こんなに美しいということは、むしろこっちの世界が現実なのかもしれません。
        ん? そりゃそうか。
        私今、何て言いました?
        もう社会復帰は無理かもしれません。
        
        それにしても、世界はこんなにも美しいのに、なぜこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        この世の不幸は人間が作っているものばかりです。
        戦争にせよ、差別にせよ、債務貨幣制度にせよ、騒音にせよ、寒いダジャレにせよ、
        すべて人為的な要因です。人間の行為で、人間が不幸になっている。
        一体何をしているというのでしょう。
        
        一方、人為的な要因を排除しようという風潮もあります。
        自動販売機は薄ら寒い自動音声で挨拶し、検索エンジンはお節介なサジェストを出し、AIが世間を席巻する。
        「自分で判断する」ということを極力避けようとしているかのようです。
        そういえば、なぜ戦争や寒いダジャレがなくならないのかと言えば「仕方ない」から、なのでした。
        自分もその一員であるところの自分たちがしていることのはずなのに、
        自分以外の何かが決めていることであり、自分は関係ないというわけです。
        なるほど。
        前を向いて歩くより、スマホを見ながら歩く方が安全なのでした。
        近い将来、スマホを見ずに自分の目で前を見て歩いていると、自分で判断して事故が起きたらどうするんだ! マナー違反だ!
        などということになってしまうに違いありません。
        
        なお、今回景色を見ていて美しいとは思いましたが、
        建物などの人工物に対しては特に何の感動もありませんでした。空や雲などの自然物が美しい。
        そして拡声器から放出される人工の音声が美しさを台無しにするのでした。
        
        人間がいない世界が美しい。人がいるところには人の不幸がある。
        だけど、そんなのはおかしなことです。
        人間がすることで人間が不幸になるだなんて、おかしなことです。
        人間がすることなら、それで人間が幸せになるのでなければ、おかしい。
        
        「仕方ない」などと言うなら、つまり生まれてきてはいけなかったということです。
        なぜかと言えば自分の意志を放棄しているからです。
        そこにいるのが自分ではなく、同じ顔と同じ名前とAIを備えたロボットでもいい、むしろその方がいい、と言っているわけです。
        しかし「仕方ない」というのと同じ口で少子化を嘆いてみせたりもする。
        赤ん坊を見れば「かわいい」と言う。本当によく出来たAIです。
        
        先日、私の住んでいる市で市長選挙がありました。
        その投票率、約25%。
        住民全員に関係のあることが、一部の物好きのイベントになってしまってます。
        こんなの、もう、選挙自体が無効なんじゃないんですか? しかしもちろんそうはなりません。
        減税を訴える候補が落選し、マラソン大会を推進する現職が続投となりました。
        
        なぜこんなにも「ドウショウモナイ」のか。
        
        
        
        トリップから帰ってきて食事をしていたときのこと。
        自分の手が、自分の手じゃないような感覚に陥る瞬間がありました。
        知らない人の手が私の口に食べ物を次から次へと押し込もうとしている……。
        
        レポートの方には書きそびれてましたが、トリップ中にも似たようなことがあったのでした。
        布団に寝そべって、両手を組んでおなかの上に置く。
        すると、知らない人と手をつないでいるかのような感じがするときがありました。
        
        そういえば今回は、いわゆる自我の崩壊と思しき体験があったのでした。
        自分の体が、まさに自分の体であり、自分の意志で動かしている、という認識も、
        いわゆる自我の機能の一部なのかもしれません。
        
        だとすると、それは「自分の身体」に限ったことではないのではないか?
        「この世界」に「私」がいて「関わっている」という認識。
        つまり、それが「現実感」ということであるはず。
        
        ただ実体のない幻覚を眺めているというのではなく、
        私が、ここに、いて、関わりを持って、いる。
        そのような場所こそが「現実」であり、
        そのような者として存在しているものこそが「私」であると言えるのではないかと思います。
        
        
        トリップ後の外出で、普段以上に美しく見える景色を楽しんでいたときのこと。
        空の青と雲の白が織りなす遠景の中、遠くに黒い煙が立ち昇っているのが見えました。
        おそらくお風呂屋さんのようです。
        煙突から立ち昇る黒い煙が、白い雲に向かって、ゆっくりと空に溶けていく。
        その様子も含めて、あー、キレイだなー、と呑気に思っておりました。
        
        が。
        
        仮にその煙突が私の住んでいる建物のすぐそばにあって、窓を開けるたびに黒煙が入り込んできてしまう、
        というような環境だったとしたら、それでもキレイだな〜などと言っていられるでしょうか?
        
        つまり、なぜキレイだな〜などと思えてしまうかと言えば、
        私にとって関係ないから、ということです。
        
        同じことは空や雲やその他の自然物についても言えます。
        私が無関係なんです。
        はるか天空を優雅に旋回する鳥を見て、キレイだな〜、とは言えますが、
        近所の電線をねぐらにして、付近の道路にフンを落としまくられていたら、おのれ鳥どもめ! ってなもんです。
        遠くから見る景色は美しくても、自分の体で歩く街はゴミゴミしているばかりです。
        
        宇宙から地球を眺めたら、さぞかし美しいに違いありません。
        なぜかと言えば、自分がいない地球を外から眺めているからです。
        
        他ならぬこの私が、他ならぬこの地上に、他ならぬこの身を置いて、関係している。
        まさに他人事ではない。
        のっぴきならないこの瞬間。
        観光客ではなく地元民。
        ここが私の生きる場所。あなたとともに生きる場所。
        他人事のように呑気に観賞している暇はないのです。
        
        が。
        
        だからこそ、やっぱり、私は、この場所が美しい場所であって欲しいと思います。
        あなたや、あの人や、その人が、幸せに暮らせる場所であって欲しいと思います。
        
        そして、ここが、他ならぬこの私が、他ならぬこの身を置いて、関係している場所なんです。
        
        私などにできることがあるかどうかはわかりませんが、そういうテクニカルな問題はさておき、
        根本の願いがそれである限り、それに沿うようにしていきたいし、それに反することのないようにしたいと思います。思うのです。
        テクニカルな問題はさておき、そのように思う。思っている。思わないわけがない。他にありえない。
        なぜ他にありえないかと言えば、宇宙から見た地球は美しいからです。
        テクニカルな問題はさておき、そのように思う、ということを無視するならば、生きている意味がありません。
        なぜ生きている意味がないかと言えば、私がいる、という事実の否定だからです。
        
        しかし、この場所が、そのような否定をしなければ生きられない場所なのだとしたら?
        それはとても悲しいことです。
        
        今日も、どうにもなりませんか?
        どうしても、どうにもなりませんか?
        
        テクニカルな問題はあるでしょう。
        それはさておき、どうなって欲しいですか? どうあって欲しいですか?
        
        あなたの願いを聞かせて欲しい。