マインドルのスクリプト入力・3rdヒロ子氏の第7話が完了。
よーし。できたぜ。
これにて前編が完了したぜ!
いやぁ、よく頑張った。
死ぬかと思いました。
もしかすると死んでいるのかもしれません。
ためしにほっぺをつねってみる。イタタ。
痛いってことは? つまり死んでるってことなのでしょうか? 生きてるってことなのでしょうか?
せっかく痛い思いをしたのに肝心のことがわからない。踏んだり蹴ったりですよ。
こうなったら、いかに頑張ったのかを振り返ってしみじみと味わおうではありませんか。
恒例の原稿用紙換算によると、前編は全部で1933枚らしいですよ。
おお、なんか迫力のある数字。1933っていうと、科学文明華やかなりし頃でしたね。懐かしい。
と、思ったら第一話の分はルートが分岐する前なので今回の作業には入らないらしいですよ?
だからちょっと目減りして1790枚ぐらいだ。江戸時代に逆戻りですね。懐かしい。
目減りしたとは言うものの、1stヒロ子氏のルートが1181枚で、2ndは1004枚だから、
それらをはるかに上回っている。もう何時代かもわからない。
いかによく頑張ったかがわかるというものです。これなら死ぬのも已むなしです。
それで、あと作業はどれだけ残っているのですか?
後編は合計すると1730枚らしいですよ。
ということは? すでに残りの作業よりもたくさんやってるってことです。
逆から言うと、残りの作業はすでにやった分よりも少ないってことです。
希望の予感。下り坂の予感。楽勝の予感。
たくさんの素敵な予感が出迎えてくれる。
逆から言ってみるって素晴らしいことですね。
新聞紙や竹やぶの火事とは違うのですよ、新聞紙や竹やぶの火事とは。
それでですね、さっそくですね、次のパートがですね、たったの175枚。少ない!
いやいや、充分多いんですけどね。1stおよび2ndのルートではどのパートもこれより少なかった。
しかしこれまで4回続けて300枚超のパートを通り抜けてきた直後ですから楽勝に見えて仕方がない。
今なら天下一武道会だって優勝できそうな気分です。懐かしい。
それでですね、実はですね、勢い余って次のパートを読み返してみたのですが、
何なんですかこれは。死ぬほど面白いじゃないですか!
これを読めば安らかに死ねそうな気分ですよ。
安らかに死ぬ。
どうなんでしょうね?
やっぱり安らかな方がいいですか?
どうせ死ぬんだし、安らかだろうが壮絶だろうが同じじゃないんですか?
どうせ胃袋に入るんだし、黄身が崩れてても同じなんじゃないんですか?
死ぬのは構わないですけども、痛いのは嫌ですよね。
死ぬのが目的なのであって、その手段として痛い思いをするというのは本懐ではない。
胃袋に入れるのは構わないですけども、黄身が崩れてるのは……あ、これはどっちでもいいか。
で、その、腹に入れば同じだぜ理論ですけども、
これってつまり、「食べる」ということの意味を揺るがす理論なのですよね。
我々が何かを「食べる」とき、一体「何」を「食べ」ているのか?
物質を体内に摂取しているのではない。たとえば「料理」という「雰囲気」を食べている。
だからよく言われるように、うつ病になると何を食べてもおいしくない、などいうことになる。
それまでは何を食べていたのかと言えば、「雰囲気」を食べていた。
その意味体系のネットワークから断絶されたわけです。夢から覚めた。実にめでたい。赤飯ものです。
その調子で大気圏脱出だぜ。
宇宙に浮かんで、全てから無関係になって、地球を眺めて思うこと。
この星に住む人々が幸せでありますように。
あ、インドが見えた。カレー食べたいぃぃぃ。
という思いを抱いて私は地球に帰って参りました。
あなた方が幸せでありますように。
それはそれとしてカレー食べたい。
なのですけれども、カレー粉って結構高いんですよね。困ったことです。
どの政党に投票すればインドを植民地にしてカレー食べ放題になるのですか?
おっといけない。人から奪えばいいだなんて。邪悪な思念に取り付かれてしまった。カレーは人を狂わせる。
いいえ違います。カレーを食べても狂わない心を養うこと。それが肝要です。
それでですね、安さを求めてスーパーの店内をBGM攻撃に耐え忍びながら探していて気付いたんですが、
カレー粉を買うよりもカレールーを買う方が安いんですよね。
一体どうなっているのでしょう? 何か邪悪な物質が入っているに違いありません。
そのようなものを食べていては心が狂うのも已むなしです。
そうです。食事です。食事に気をつけるのです。
腹に入れば同じ? いいえ、違います。
その腹に一体何が入っているのか?
そのことをとっくりと考えてみるのです。
ものを食べるとは物質を食べるということです。
物質を食べるとは地球を食べるということです。
地球にはあなたがいる。あの人がいる。街を歩いている一人一人の人たちがいる。
すなわち、食べるという行為を通して一人の人間は世界とつながるのです。
因果の網に参加することになるのです。
私は確かにここにいる。しかしその手足は因果の網にからめとられている。思い通りにならない。
私の腹には何が入っているのだろう?
腹に入れてしまえば同じ? 私はこの物質と同じく、ただの物質の集まりでしかないということなのか?
いいえ違います。大違いです。なぜなら確かにここに私という意識がある。
しかしその手足は因果の網にからめとられている。何一つ思い通りにならない。
だけど同じことです。
宇宙空間にいたときのことを思い出す。
無重力の中で、手足に触れるものは何もなく、ただ空間に浮かんでいることしかできない。
そこで地球を眺めて何を思ったか?
そこに住む人々が幸せでありますように。
同じことなのでした。
地球にいても宇宙にいても思い通りにはならない。しかし意識がある。
ならば同じことなのでした。
この意識の使い道は何だろう?
あなたの幸せを願います。
今日もあなたが幸せでありますように。
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