「~~なので注意しましょう」を連発しないための代替表現を模索せよ
「注意しましょう」とか「ご注意ください」とか。
拡声器のお節介放送の定番表現ですね。
もはや、これを聞かされるたびに神経がビリビリするのでご注意ください。イラッ!
拡声器騒音の注意喚起お節介放送に限ったことではありません。
文章を読んでいても「~~なので注意しましょう」という表現を頻繁に見かけます。
こんな日本語はもうイヤだ。
そういう表現を見かけるたび、
頭の中で、単に「~~です」に置換して読み替えてみる。
意味がほとんど変わらないと気付く。
じゃあなんでわざわざ「注意しましょう」という「余計な」一言を付け加えるのか?
なんでなのでしょうね?
そもそも「注意」って何なのよ? 「注意」って。
「~~なので "金を払え"」というのではなく、
「~~なので "スクワットを100回やれ"」というのでもなく、
「~~なので "注意しろ"」という。
だから「注意」って何なのよ? 「注意」って。
結局、何も言ってないのと同じだ。
実際のところ、単に「~~です」で文を終わらせても同じなのですよ。
それだと語尾が落ち着かない、ということでしょうか?
その気持ちはわからなくもないです。
「~~です」と言い切ったあと、お尻がムズムズして、その場でダンスしたくなってしまいますもんね?
だから、うっかりすると文章の語尾が「注意しましょう」だらけになるので注意しましょうよ。
今のフレーズも「うっかりすると文章の語尾が「注意しましょう」だらけになります」でも意味は同じなので注意しましょう。
> 「注意」って何なのよ? 「注意」って。
> 結局、何も言ってないのと同じだ。
実質的には間違いなくそうなのですが、
「注意しましょう」をくっつけておけば、何か意味のあることを言ったという味付けにはなるのではないでしょうか?
たとえば「qあwせdrftgyふじこなので注意しましょう」という場合、
単に「qあwせdrftgyふじこです」でも意味としては同じなのですが、
果たしてその「意味」とは何ぞや?
重大な意味があるからこそ言ったのでしょう? もちろんです。だから「注意」すべきなんだぜ? 「注意」しろよ? わかったな?
そういうことではないでしょうか?
つまり、「注意しましょう」が無意味な語尾であるのと同じぐらい、
そもそも「qあwせdrftgyふじこ」も無意味な文章であった、ということです。
もともと無意味だから、その無意味さをごまかすために「注意に値することなんだぜ? へへへ」と言っている。
だから、語尾に「注意しましょう」とくっつける以前に、
そもそも、その文章に「注意」するほどの意味があるのかどうかを反省する必要があるのではないか? 書き手が。
あるいは、何のために書くことであるのかを反省して自覚する必要があるのではないか?
どのような目的で書くことなのかを自覚しないままであるからこそ、
「とりあえず注意してね」と、無反省な「価値づけ」に頼ってしまうのではないか?
「注意しましょう」は単に「~~です」で事足りるだけでなく、
その他、もっといろいろなバリエーションがあって然るべきです。
それこそ「~~なので金を払え」とか「~~なので腕立て伏せ100回せよ」とか、
つまり「何のためにその記述をしたのか?」を明示するような語尾がついて然るべきです。
「有料なので注意しましょう」じゃなくて「有料なので金を払いましょう」であり、
「カロリーが高いので注意しましょう」じゃなくて「カロリーが高いので腕立て伏せ100回しましょう」であるはずです。
そのような具体的な目的が書けないのであれば、
そもそも、その発言自体も無意味ということではないか?
無意味な発言の無意味さをごまかして「注意してください」と言い、
無意味さを指摘されれば「注意しないよりは注意した方がいいに決まってる」と形而上学的安全論に逃げ込む。
なるほど。「注意しましょう」を脱構築していく試みは、
無意味な拡声器騒音をなくしていくことにつながるかもしれませんね。
ところで先日、興味深い表現を見かけました。
・東京外国語大学言語モジュール・スペイン語
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/es/gmod/courses/c01/lesson12/step2/card/034.html
動詞の不規則変化に関する箇所です。
(引用)
> これらの不規則動詞はどのグループにも当てはまらないものです.
> 1つ1つ覚えるより仕方がありません.しかも,よく使う動詞ほど不規則な形が多いので頑張りましょう.
「頑張りましょう」と来た!
いいですね。この沸き立つほどの汎用性。
ここは、うっかりすると「注意しましょう」と書いてしまいがちな典型的な場面だと思いますし、
実際、別の語学の解説サイトの同じような場面で何度となく「注意しましょう」に遭遇した記憶があります。
日本語って表現が貧困な言語なのでしょうか? 愛国心が萎えてしまいます。
いや、引用元のページはスペイン語を頑張って覚えましょうという主旨のページですので、必然的に「頑張りましょう」なわけですよ。
内容に目的があり、また、目的が自覚されていればこそです。
そこがユルイままだと、「注意しましょう」などと意味不明な言い回しの連発に陥ってしまう。
それにしてもこの汎用性の高さには魅了されます。使わざるを得ない。
しかもスペイン語の解説ページで日本語を教わった。なんというお得感。
「頑張りましょう」。うむ。おいら頑張るよ! いろいろな場面で使えそうです。
今度から「注意しましょう」の代わりに「頑張りましょう」と言ってみてもいいのかもしれませんので頑張りましょう。
ちなみに、うつ病の人に「がんばれ」と言ってはいけないので頑張りましょう。
「頑張りましょう」は汎用性が高そうですが、それでいて「注意しましょう」ほど曖昧ではない。
文章の無意味さをごまかす作用はあまりなさそうです。
それどころか、無意味さをあぶり出す作用が期待できる気がします。
> なるほど。「注意しましょう」を脱構築していく試みは、
> 無意味な拡声器騒音をなくしていくことにつながるかもしれませんね。
たとえば、
「左へ曲がります。ご注意ください」を
「左へ曲がります。頑張りましょう」と言い換えてみる。
バカバカしい響きになります。
一体何をどう頑張れというのか?
語尾を言い換えることで、そもそも「左へ曲がります」と言うことの無意味さが浮き彫りになった。どうだ参ったか。
「注意しましょう」は何にでもくっつけることができる。できてしまう。だから無意味さをごまかす呪文になってしまう。
その点、「頑張りましょう」は本当に無意味な文にはくっつけることができない。
だから、「頑張りましょう」をくっつけてみれば、その文の無意味さが際立つ。
世の中に存在する「ご注意ください」系の注意喚起お節介放送の「ご注意ください」を、
頭の中で「頑張りましょう」に置き換えて想像してみる。
「お忘れ物のないように頑張りましょう」
「車が出庫します。頑張りましょう」
「置き引きが多発しています。頑張りましょう」
お節介放送のバカバカしさが、百の言葉で語るよりも、はるかにストレートに腑に落ちてくる気がします。
ただし、理性での理解とは別の種類の理解なので注意しましょう。じゃない。頑張りましょう。スクワットもやってみようか。
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