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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        「騒音への苦情が増えた」のだとしても、現実は静かにはなっていない
        
        
        騒音擁護派の人はよく、
        「最近は何でもかんでも騒音呼ばわりして文句ばかりいう風潮でケシカラン!」
        みたいなことをおっしゃります。
        
        では、そうした苦情に対応して、
        世の中が以前よりも静かになっているのか?
        なっていません。
        注意喚起のアナウンス、防災無線、その他の拡声器音、増える一方です。
        
        あるいは、そうした苦情のせいで、
        音を出さないようにビクビクしなければならないような世相が出現しているのか?
        していません。
        少し「苦情」を言っただけで極悪人のように扱われる。
        出現しているのは "気軽に意見を言えない世相" です。
        
        
        もちろんこれは大雑把で全体的な話ですから、
        個別的に見れば例外はありますよ?
        除夜の鐘を中止にしたお寺の話とかね。
        で、そういう「ニュース」に大勢の人が大挙して押し寄せて
        「何でもかんでも騒音扱い! ケシカラン!」と大合唱するんです。
        「世相」や「風潮」と言うなら、むしろそうした大合唱の方をこそ、そのように呼ぶべきです。

        ちなみに私自身は除夜の鐘は不快ではありませんが、不快に感じる人の主張を否定しようとは思いません。
        いろんな人がいていろんな主張があって当然です。
        しかし少しでも人と違う意見を言おうものなら「何でもかんでも苦情! クレーマー! 異常者!」と袋叩きにされる。
        そんな「風潮」の方こそ、私は問題だと思います。
        
        そもそも、「苦情が増えている」というのは果たして本当なのでしょうか?
        私の肌感覚ですが、実際に声を上げる人というのは非常に少ないです。
        それ以前に、騒音を騒音だと感じる人自体が少数派です。
        その少数派の中で、実際に「苦情」を言う人はさらに少数派です。
        少数派中の少数派なんですよ。
        
        そんな少数派をピックアップして「世相」や「風潮」と言うのは言葉の定義として間違っています。
        世の中の大多数の人が音に敏感になって少しの音でも苦情を言いまくるようになったならば、
        そこで初めて「最近はすぐに騒音の苦情を言う風潮が云々」と言えるでしょう。
        
        だから「世相」や「風潮」というならば、むしろ、
        「最近はほんのちょっと反対意見を言っただけで極悪人のように言われてしまう。なんとも心の狭い世の中だ」
        とでも言うべきです。
        それが「最近」なのか昔からの伝統なのかはわかりませんが、
        「うっかり周囲と違うことを言うと村八分になってしまう」という恐怖感が世間に渦巻いていると感じます。
        
        そういう中で「苦情」というのは非常に言いにくい。
        「話を聞いてもらえない」わけですから。「村八分」を覚悟しなければならないわけですから。
        よっぽどじゃないと言えない。よっぽど思い切らないと言えない。
        試しにやってごらんなさい。ものすごく精神的に疲れますから。
        
        そんな精神的にコストの大きな行為が「増えている」とは私にはあんまり信じられない。
        増えているのは苦情ではなく、苦情を言ったときの「反動」ではないでしょうか?
        つまり「文句を言うなコノヤロー!」というのが、
        「何でも騒音呼ばわりでケシカラン!」の内実のような気がしてなりません。
        
        実際は「苦情が増えている」というより、
        むしろ騒音の側が「好き放題の野放し」なのであり、
        そこへ「わずかばかりの抵抗が各地で散発的に起きている」というのが
        より実状に即した表現ではないかと私は思います。
        で、そうした散発的な抵抗を弾圧する風潮が、以前にも増して強力になってきている。
        
        
        もちろん、統計をとったわけでもなんでもなく、私の主観に過ぎません。
        もしかすると私が知らないだけで、
        我が国の人口の半数以上が音に対して何らかの抗議行動を実行しているのかもしれません。
        だとしたら、いい加減なこと言ってごめんなさい。
        
        
        さて、こんなことをいくら書いても、
        騒音擁護派の人たちの「考えを変えさせる」ことができるとは思っていません。
        しかし、騒音被害者の人たちを勇気づけることならできるかもしれないと思って書いています。
        私は常に騒音被害者の味方です。
        何もできませんが、いつも祈っています。
        騒音の被害って人に理解してもらえない孤立感がありますよね。
        少なくとも私はあなたの味方です。
        
        
        
        ▽ こちらも読んで欲しい:騒音被害者応援テキスト集です
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