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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドル本文・3rdヒロ子氏のパート・第14話が完了。
        
        14話とは最終話のことでありました。
        ゆえに、3rdヒロ子氏のパートが完了したということであります。
        え? なんですって? 聞こえなかったのでもう一度言ってください。
        ついでなのでもう1つ言っておくと、
        これにて、本文の作業が全て完了しました。
        え? なんですって? 聞こえませんでしたが、さっきとセリフが違いますよね?
        
        じゃあ嫌でも聞こえるように大声で言ってあげるから、耳を貸しなさい。
        すーはーすーはー、せーの、
        あ、待って待って、鼓膜攻撃はイヤです。本文の作業が全部完了したのでしょう?
        なんだ。聞こえてたんじゃないですか。うそつき!
        
        ええ、そうなのですよ。
        本文の作業が完了したということが頭ではわかっているのですが、
        今ひとつ、実感がともなわないのです。
        なんですって? じゃあ鼓膜に向かって直接大声で言ってあげるからすーはーすーはー、せーの、
        あ、待って待って、鼓膜攻撃はイヤですってば。
        
        大体ですね、そもそもですね、鼓膜にダイレクトアタックすれば理解できるでしょ、
        という発想がね、もうね、間違ってます。野蛮です。非文化的です。
        鼓膜は脳ではありません。
        なるほど。じゃあ脳にダイレクトアタックだ。せーの。やーめーてー。
        
        ちなみに申し上げておくと、
        プロローグつまり第0話はまだできてません。
        なんですって〜? 全部完了したって言ったのに全部完了してないじゃないですか。嘘つき!
        
        つまり、何が言いたいかというと、あなたを愛してますよ、ってことです。
        あ、違った。いや違ってはないのですけど、あまりにもいつもそう言いたがっているものですから、
        "何が言いたいかというと" という機会に乗じて、これ幸いと、口が滑ってしまったというわけです。
        気を取り直してもう一度。
        つまり、何が言いたいかというと、本文が全部完了したけれど、実感がない、ということです。
        時間もなくなってきておりますが、実感もない。おお、ダジャレですね。
        このダジャレを導くために実感がなかった。まさに仏の采配です。南無駄洒落仏。
        
        おかしいなぁ? 本文、全部完了したのでしょう?
        実は完了してないんじゃないですか?
        いいえ。完了しました。なお、プロローグは誤差とします。
        だったら、実感がないだなんておかしいじゃないですか。おかしいじゃないですかー。
        もっと、なにか、感慨深いものがあるだろう、と思っていたのですよ。
        完了したぜヒャッハー! と、向こう三軒両隣のご近所さんを巻き込んで大騒ぎするのも已むなし、
        というぐらい感慨深いであろうと予測していた。
        感動して涙が大量に放出されて砂漠が緑化されて枯れ木に花が咲くだろうと思っていた。
        つまり、これがホントの感慨農業。ヒャッハー!
        
        ちなみに今のは感慨と灌漑をかけた駄洒落です。
        灌漑(かんがい)を知らないお友達は DuckDuckGo で検索してみてね。
        その後でもう一度上のを読んでみてね。深まりますぜ? 感慨も灌漑も……イヒヒ。
        
        よーし、駄洒落は言えたし、DuckDuckGoの宣伝はできたし、まさに一石二鳥ですね。
        
        あっ! しまった!
        "一石二鳥" なんて言ってしまった!
        鳥さんに石をぶつけるなんてヒドイ!
        しかも二鳥。ヒドイヒドイ!
        庭には二羽の鳥さんがいらしたのに、乱獲されて今や0羽です。
        庭にはもう何もいません……。舌を噛むことさえできない。まさに世も末。
        大体ですね、人間は強欲ですから、一石二鳥では飽き足らず、一石三鳥、一石四鳥、と、
        効率を追い求めて庭から全ての鳥を取りつくすまでヤルに決まってるんです。
        ここはもう生物が住めない場所になってしまった。
        生態系を壊す一石二鳥に断固反対します!(ドンッ! と机をこぶしで叩く)
        
        でもきっとダメですね。
        一石二鳥にいくら反対しても、人間が強欲である限り同じことの繰り返しです。
        いえ、もちろん、悪い人間だけではありません。
        わかってます。いい人もたくさんいます。
        でもですね、この世には、どうしょうもない人間というものがいるのです。
        そして、そのような人間もまた、人間の一員なのです。この地上でともに生きる仲間なのです。
        悪人だからと言って排除してはいけない。
        一石二悪人と言いたいところですが、そのような発想はいずれ善人をも滅ぼすでしょう。
        ゆえに、こう言わねばならない。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        おっと、うまくまとまったようだね?
        じゃあまた来週。
        
        いや、まだだ。まだ終わりにはできない。
        何か大事なことを忘れている。
        なんでしたっけ? 
        本文が全部完了したけど実感と灌漑がどうのこうの。
        
        ともかく、今回完了したという3rdヒロ子氏の最終話のことについてお話しましょうよ。うん、そうですね。
        しかし最終話なんですね。最終話。あらためて言葉にしてみると、感慨深いものがあります。
        お? 今、何て言いました? 感慨深いものがあります。うむ。よいですね。砂漠が緑化しますね。
        
        それで恒例の分量の話なのですが、原稿用紙換算で約329枚。やっぱり最後まで大長編なのですね。
        さて、全部完了したならば、やってみたくなることがあるはずです。分量を合計してみよう。足し算大好き。
        手元にある 64bit の計算機で計算してみたところ、約3663枚。ふむ。左右対称ですね。
        こんな長いの誰が読むんでしょう? 仏が読む。ゆえに問題なしです。
        こんな長いのを誰がこれからスクリプトとして入力するのでしょう? 私です。問題ありだ!
        
        ちなみに 1stヒロ子氏のルートは 1181枚。2ndヒロ子氏のルートは 1004枚でした。
        最近の 64bitマシンは優秀ですね。むずかしい足し算を簡単にやってのける。
        もはや人間は不要なのではないか? そんな論調が世間にはびこるのも頷けます。うんうん。
        しかしながら、だからこそ言っておかねばならない。
        コンピューターがいくら優秀になろうとも、それは他人です。
        すっごい科学技術で作り出すすっごいロボットはどのようなものかといえば、他人です。
        "私" を作ることはできない。
        "私" にそっくりなものなら作れるかもしれませんが、それは "私" ではない。"私" によく似た他人です。
        科学の力ってスゴイなぁ。こんなものまで作れるんだぁ。ふーん。
        でも、"私" はどこまでいっても、宇宙の果てまでいっても、"ここ" にいる。
        だからこそ、ロボットの出現は恐ろしいのかもしれません。
        この世における有用性とは切り離された生の "私" に ほかならぬ "私" 自身が向き合わざるを得なくなる。
        逃げ場がなくなる。この世のどこにも逃げ場がなくなる。
        なるほど。この世とは逃げ場なのでした。
        "私" が "私" から逃げるための逃げ場なのでした。
        すると、ロボットが蔓延して人間の居場所がなくなった世界での人間は、
        幽体離脱したまま、死ぬことも生きることもできずにこの世をさまよう浮遊霊のようなもの、ということでしょうか。
        苦しいですね。
        なるほど。ロボットは恐ろしい。
        いや、ロボットが恐ろしいのではない。"私" が存在しているという事実が恐ろしい。
        ロボットは "私" にそれを気付かせるのです。必死に忘れようとしていた紫の鏡を思い出させるのです。
        しかし、恐れる必要はないのでした。
        なぜなら、私はあなたを愛しているからです。
        宇宙空間に放り出されようとも、地上の喧騒に埋もれていようとも、
        いつだって、私はあなたを愛している。それが始まりであり、それが全てです。
        
        それはさておき、原稿用紙何枚ですって?
        私にもbit数の多い脳があれば理解できるのでしょうけれど、大きい数字を言われると意識がトンでしまいます。
        
        最初に作業したのが 2ndヒロ子氏のルートで、
        そのときも、思ったよりもズイブン大容量になったものだナァと思ったものですが、
        その次に作業した 1stヒロ子氏も、そんなに大容量にはならないだろうとの見積りに反して結局大容量で、
        挙句、3rdヒロ子氏の容量は、それらを上回るどころか飛び抜けてしまいました。
        ビックリせざるを得ません。ギャフンと言わざるを得ません。
        ルートによってこんなに分量に差があってもいいのでしょうか? いいのですよ。やった! 許可が出た!
        
        うん。こうしてですね、分量の話をしてみるとですね、感慨がですね、深まりますね。枯れ木に花が咲きますね。
        よく作業したな〜。私は本当にエライですね。
        もちろん、量が多ければよいというものでは全くありませんが、
        ともかく、最後まで完遂したというのが素晴らしいではありませんか。私は本当に素晴らしいですね。
        
        そうですね。今、以前の日誌を読み返してたんですが、
        当初はそういう不安があった。
        本当に最後までヤレるんかなー、という不安。
        "大体こういうお話" という設計はあっても、絵に描いたモチでしかないのではないか、という不安。
        それがどうですか? 見てくださいよ。最後までデキたじゃないですか。
        出来の良し悪しはさておき、と言ってあげたいのはヤマヤマですが、それに関しては仏の領域ですから心配ありません。
        その手の謙遜を私は決していたしません。南無阿弥陀仏。
        
        謙遜の話が出たのもご縁ですから、一つ言っておきましょう。
        謙遜というのはですね、すればするほどよい、というものではないのですよ。
        私の存在は仏の計らいですから、その私が私の存在を貶めるのは仏を貶めることに他なりません。
        南無阿弥陀仏 ゆえに 南無私 です。
        
        とは言うものの、仏を貶めるのもなかなかオツなものだとは思います。
        頼るものが何もなくなって、宇宙空間に放り出されますからね。
        そして私は私の存在に気付き、あなたへの愛に気付くのです。
        
        ついでにもう一つ気付いたんですが、
        
        > 本当に最後までヤレるんかなー、という不安。
        
        微妙に下ネタっぽい。ドキドキ。
        
        うん。それで、無事に最後までヤレたんですよね。すっきり。
        だが、お楽しみはこれからだぜ。
        
        そういうわけで、これからのお楽しみについてのお話に入ろうかと思うのですが、
        その前にもう少しばかり、苦労話をさせてくださいよ。
        
        ラストシーンがねぇ、苦労しましたですよ。
        最初に思ってたのと結構違うものになった。
        ラストの手前まではスイスイ進みましてですね、ヨーシ、この調子でイッキにラストまで突貫んんん!
        と思ってたのですが、ラストでイッキに停滞ですよ。一日で終わる予定が二週間ぐらいごにょごにょしてしまいました。
        でも二週間で済んでよかったですね。なにしろ人類なんてゴルゴダ以来2000年ぐらいごにょごにょしてますからね。
        それに比べりゃアナタ、二週間なんて猫の額みたいなものです。ニャーン。
        多分ですけど、これ、比喩の用法が間違ってますよね?
        猫の額は面積の比喩だニャン。スズメの涙は分量の比喩ですよ。チュンチュン。
        ところでスズメも猫と同じように語尾にチュン的なものをつけようと試みたのですが、
        猫のようにはうまくいきませんでした。ですよチュン? うーん違和感。スズメ語むずかしー。
        それで、時間の短さをオシャレに言い表すにはネコじゃなくてスズメじゃなくて、何のクリーチャーを持ち出せばよいのですか?
        わかった! カラスだ! カァカァ!
        よし。わかったところで言い直しましょう。
        それに比べりゃアナタ、二週間なんてカラスの行水みたいなものです。
        いかがでしょう? 私のいわんとすることが的確に伝わったでしょうか?
        ちなみにこれも、語尾をカラス語にするのは難しいですね。
        カラスの行水みたいなものですカァ。って、疑問文か! 
        カラス語もスズメ語も難しい。やはり猫ですよ。これからは猫ですよ。
        グローバル化の時代に猫語こそふさわしい。猫語で関税障壁をニャンニャンせよ。
        そして猫帝国が世界を支配する。NWO(ネコ・ワールド・オーダー)の始まりです。あ、間違えた。始まりだニャン。
        
        さて、苦労話をしようとすると、なぜか猫が邪魔をしにくるので、
        そろそろ、これからのお楽しみについてのお話に移りましょう。
        
        と、思ったのですが、もう少しだけ。苦労話。猫に逆らって。
        苦労話というか、実感の話です。完了したぜ、という実感の話。
        
        作業の順番としては、2ndヒロ子氏 → 1stヒロ子氏 → 3rdヒロ子氏 というふうに進めてきたわけですが、
        2ndヒロ子氏のパートが完了したときには、「まずは1つのルートで本文が完了した」という実感があった気がします。
        そもそも「本文」という作業そのものが、できるものなのかどうか? という実験、という意味合いがあった。
        つまり実験大成功だぜヒャッハー、という意味合いです。
        
        1stヒロ子氏のパートが完了したときには、大きな実感があったことを覚えてます。
        最高にハッピーな気分になったことを覚えています。
        ずーっと前から、私自身が求めていたお話だったから、だと思います。
        
        ではさて、3rdヒロ子氏のパートの場合や如何に? ということですが……
        このお話を授かったのが、かなり最近なのですよね。
        だから私にとっては新鮮なのですけど、思い入れは比較的少ない。
        
        えーっと、1stヒロ子氏のお話が私の知るところとなった時点で死んでもよかったぐらいだと思うのですけれども、
        残念ながら3rdヒロ子氏のお話を授かってしまったので、死ぬのが延期されてしまったんでしたっけ? 他人事かよ。
        つまり3rdヒロ子氏のパートというのは "まだ生きるんなら必要なお話" ということですか。
        
        だから、その、"生きる" ということの意味合いや如何に? ということですよ。
        別に生きなくてもいいんですけど、生きるんだったら、ね、ということですよ。
        
        そんなわけで、宇宙空間から地上に降りてきた。
        うむ。久方ぶりの地球の空気は窒素と酸素と温暖化ガスとあなたの脇の下の香りがするぜ。
        え? あなたの脇に臭いなんてないって? こりゃ失敬。
        でも私、何を隠そう、あなたの脇の臭い、キライじゃないですよ。
        
        しかしながら、相変わらずですよね。地球。
        むしろ前より悪化してるんじゃないですか?
        騒音だらけ。自転車置き場ぐっちゃぐちゃ。
        
        っていうか「駐輪場はコチラ→」という看板を無視して、本来は駐輪場じゃない場所に自転車を山積みにするのはなんでなんですか? 
        あなた方は文字が読めないのですか? 地球人の習性は本当に相変わらずですね。
        だから、みんなが積み上げてる自転車の山を無視して看板の通りの場所に移動してガラ空きの駐輪場に自転車を置く私は
        「空気の読めないヤツ」というわけです。
        ええ、そりゃあもう、なにしろ宇宙帰りですからね。地球の空気にはいつだって馴染めません。
        
        あと救急車がねぇ、調子に乗ってますね。
        今までは、救急車は大目に見てあげてたのですよ。
        なにしろ人の命がかかってるわけですし、そんなに頻繁に通るわけでもないですし。
        しかし最近、私の住んでる自治体だけかもしれませんが、サイレンだけじゃなく、アナウンスをするようになった。
        あれですよ、「左へ曲がります」と同じですよ。
        
        今までも、運転してる人?が、必要に応じてマイクでご注意を呼びかけることはありましたが、
        あくまでも必要なときだけ、運転している人?自身の言葉で言っていた。
        それが少し前から、録音された音声を必ず鳴らすようになった。必ずです。ピーポーだけでは満足できないらしい。
        
        「左へ曲がります」以外にもバリエーションがいくつかあって、
        つまり左折時に限らず鳴らす。大通りじゃなく住宅街の路地でも鳴らす。大音量で何度も何度も繰り返す。
        だからトラックの「左へ曲がります」以上にタチが悪いですよ。トラックと違って土日にも出没します。
        
        夜間はどうだろう? 今のところ私は夜間には救急車のアナウンスを聞いてませんが、
        本当に鳴らす必要があって鳴らしてるのなら夜間だろうが鳴らすはずです。
        だから、「夜間だから」という理由で鳴らすのを自粛してるなら、それこそ「人の命を軽視してる」ことになる。
        「人の命を救うために鳴らしている」というのは嘘ということになる。
        
        昼間に倒れた人は可能な限り大騒ぎして急いで病院に運んでもらえるのに、
        夜間に倒れた人は「夜間だから」という理由で優先度を下げられてしまうのでしょうか? そんなバカな話がありますか。
        
        「人の命」を最重要視して、「念のため」「安全のため」に鳴らせる限りの音を鳴らす、というのであれば、
        夜間だろうが何だろうが鳴らさないとおかしい。
        
        「夜間だから」という理由で鳴らすのを自粛してるなら、実質的な必要性ではなく、ただのポーズとして鳴らしてるということです。
        その程度の理由で自粛できるほどの意味しかない、ということです。
        それとも、夜間は車の交通量が少ないから鳴らさなくていいということなのかな?
        じゃあ、昼間も、車の交通量が少ない場合は鳴らしてないのでしょうか? 本当ですかぁ? 本当ですかぁ?
        
        サイレン自体も前より大きくなってる気がします。
        なんて言うのかな、印象としては、「救急車が最近増えたな〜」という感じなのです。
        でも、救急車(が通ること)自体の頻度がそうそう急上昇するなんてことは多分ないですよね。テロがあったとも聞いてないですし。
        だから、つまり、サイレンやらアナウンスのおかげで、「救急車の存在を認識する頻度」が上昇したのだと思います。
        私が倒れて運ばれるときもあの調子で鳴らしまくるんでしょうか? 鳴らしまくるんでしょうね。イヤだなぁ。見殺しにして欲しい。
        
        今までは、私の中では、救急車は「騒音」としてはカウントしていなかったのですよ。
        むしろ、許容できる例外的な音の例としてカウントしていた。

        つまり、こうです。
        
        私が街にあふれるスピーカー騒音について苦言を呈する。
        すると誰かが「だったら救急車もダメだっていうのかよ〜!」と反論というか、揚げ足をとるようなことを言う。
        それに対して私は、「いえいえ、救急車は必要があって鳴らしてるんだからいいのですよ」と答える。
        
        しかし、現在のようにアナウンスを鳴らしまくるようになってしまうと、
        「救急車ならよい」とは言えなくなってしまう。
        むしろ、揚げ足を取る側の人にとって、都合のいいサンプルになってしまう。
        
        どうしょうもない。
        文句を言っても「人の命ガー! ふじこふじこ!」となることは火を見るより明らかです。
        そして、一旦こうしてアナウンスを鳴らすことになってしまうと、今後、鳴らすのをやめることはないでしょう。
        
        今までの音(基本的にサイレンのみ)では何か不都合があったのかどうなのか?
        仮に不都合があったのだとして、今のやり方に変えたことで、その不都合は解消されたのか?
        たとえば今までは周囲の車が道を譲ってくれないことが多かった? 
        それで、アナウンスを鳴らしまくれば譲ってくれるようになった?
        ……とかなんとかね、そもそも、こういう合理的な会話が成立する世界ではありませんからね。
        
        鳴らさないより念のために鳴らした方がいいでしょ、という安直な形而上学的安全主義で、隙さえあれば際限なく音を増やす。
        そして、一言でも反対意見を言う人間には人の命を軽視するエゴイストのレッテルを貼って袋叩きです。
        
        スーパーの宅配や廃品回収であれば、一部の利用者の都合を盾に開き直られても、
        まだ一応、それなりに抵抗のしようがありましたが、救急車で同じことをやられるとお手上げです。
        本当にどうしょうもない。
        
        救急車が騒ぐなら、じゃあ、その分、他のものは静かなのか、と言えば、全然そんなことはないですからね。
        他のものは相変わらず、救急車以上に騒がしい。
        というか、他のものが不必要に騒がしいから、救急車がそれ以上に騒がざるを得なくなってしまったんじゃないでしょうか?
        他が静かなら、救急車も最低限の音で済んでいたのではないか?
        
        はい。とかなんとかね、合理的な話をしても誰も聞く耳を持たない。騒ぐの大好きですもんね。
        そもそも「最低限の音で済ませよう」という発想がないわけですよ。
        
        「可能ならば、可能な限り静かな方がいい」という原理が、おそらく、(実は)普遍的ではない。
        むしろ、
        「可能ならば、可能な限り騒ぐ方がいい」という原理で、世の中が運営されているような気がする。
        
        だから、
        「できれば静かな方がいいでしょ?」という話に、「念のために鳴らす方が安全でしょ?」と、
        話が永遠に噛み合わない。
        
        「いかにして静寂を保つか?」ではなく「いかにして騒いでやろうか?」なんです。
        出発点からして、もう、ちがってる。
        
        そして、ここが重要なところですが、
        周囲の人々からして、「できれば静かな方がいい」とは、おそらく(実は)思っていない。
        むしろ「できるだけ騒がれたい」「できるだけ巻き込まれたい」と思っているようです。
        それでいて「自分は他人のために我慢してあげてる立派な人間だ」と思っているようです。
        我慢中毒なのであり、我慢のネタを取り上げられることには断固として反対する。
        しかし「騒がれたい」「巻き込まれたい」だから「我慢」と言っても、苦しんでいるわけではなく、「我慢のポーズ」と言うべきですね。
        「我慢のポージング大会」が常時開催されていて、街全体を包み込んで連日の大賑わいです。
        救急車やボイスアラームや防災無線やその他のあれこれは大会にネタを供給する重要なリソースですから、手厚く保護される。
        私はそんな大会に参加した覚えはないのですが、なにしろ街全体が会場ですから、逃げ場はどこにもなく、
        私が何を言っても、あくまでも「大会のルール」でジャッジメントが下される。すなわち「我慢が足りないぃぃぃ!」というやつです。
        
        勝手にやっててくれる分にはいくらでも勝手にやっててくれて構わないのですが、
        私を巻き込まないで欲しい。
        ところが巻き込まずにはおかないのですよね。
        はい。地球とはそういう星なのでした。知ってますよ。よーく存じ上げておりますよー。
        
        やっぱり地球から出て行くしかないのかもしれません。私が。
        宇宙は静かでしたよ? なにしろ空気がありませんからね。まさに天国。まさにヘヴン。
        ヘヴンの「ヴ」は下唇を噛みながら息を吐き出すようにして発音ですよ?
        でも空気がないから発音はどうでもいい。イヤッホゥ!
        
        騒音のことだけじゃないです。
        他にもあれとかこれとかそれとかはれとかほれとかひれとか。
        
        地球は前以上に住みにくい星になっていた。
        
        何の話でしたっけ?
        本文の作業が終了した実感の話だ。
        
        本文の作業が完了ということは、ストーリーという面において、やることをやり尽くしている、ということです。
        ではさて、これで充分なのか?
        
        なんていうのかな、このストーリーがいくら完璧でも、
        地球は相変わらずなのですよね。
        その意味で、物足りない感じ、が、ある。
        「これだけ? でも、地球は相変わらずだよ?」ということです。
        実感のなさ、というのは、おそらく、そういうことなのだと思います。
        
        ストーリーがまだ出尽くしていないうちは、ささやかながら、希望があった。
        最強の呪文が飛び出すのではないか?
        そういう、ささやかな希望があった。
        しかしながら、そんな呪文は出てこない。
        「こんなもんなのですか?」ということです。ええ、こんなもんなのでしょう。すなわち、実感がない。
        
        もちろん、このお話が存在したからと言って、地球がパラダイスに変化するだなんて思ってませんし、
        そんな野望があったわけでもない。
        というのは嘘で、そんな野望ならありました。
        だから、つまり、「ああ、やっぱり無理っすよね。へへへ」ということです。すなわち、実感がない。
        
        今思えば、ラストシーンで二週間の足踏みが発生したのも、そういうことが理由なような気がします。
        「え? これで終わってしまうの? でもこれじゃ、まだ地球はゴミ溜めのままですよ?」ということです。
        しかし、つまり、ゴミ溜めの中で生きるしかない、ということでしょう。
        ゴミ溜めの中で、あなたの幸せを願いながら、ゴミ溜めに参加する。
        それがすなわち、生きるということなのでありましょう。
        猫語で言うとにゃんにゃにゃにゃーにゃーにゃにゃにゃーにゃんにゃーにゃにゃにゃーです。
        あ、誤解のないように言っておきますが、適当ににゃを並べただけじゃないですよ?
        試しにお手元の猫に言ってみてください。通じますから。
        
        さて、ネコ・ワールド・オーダーには逆らえませんので、
        そろそろ、これからのお楽しみのお話に入りましょう。
        
        
        完成に向けて、必要な作業は何であるか?
        細かいことを言えばキリがないのですが、
        おおざっぱに言えば、スクリプト作りです。
        本文はすでに具現化しているので、それを、システムが読み込める形式のデータに落とし込んでいく。
        単純作業ですね。基本的にコピペ進行ですね。楽しそう!
        
        システムそのものはα版として一応動くものがすでにあるので、
        スクリプトのデータを本番用のものに入れ替えれば出来上がり、ということであります。
        なーんだ。簡単そうじゃん。朝メシ前じゃん。
        ただ、機能は今のところ最低限のものしかないので、
        もうちょっと気の利いた感じに強化する必要はあるだろうな、ということです。
        
        つまり、一言で言うと、もう出来たも同然、ということですよね?
        それは少しだけ言い過ぎではありますが、あくまでも、少し言い過ぎなだけです。
        すなわち、少しの言い過ぎを許容していただけるならば、もう出来たも同然、ということです。ヒャッハー!
        
        そうですねぇ。なんか、まだまだ先は長いような気がしなくもないのですけど、
        冷静に考えてみると、やっぱりもう、出来たも同然のような気がしてきました。
        つまりですね、「ただ単に動いているだけのもの」でよければ、すぐにでも、こしらえることができる。
        いいですねぇ。よいですねぇ。ヒャッハーですねぇ。
        
        アテにしている素材屋さんのウェブサイトに久々にアクセスして、閉鎖されてないことも確認したし。
        おかげさまで完成の目処がビキーンとそそり立ちました(あっ、下ネタ!)。
        あとはもう突っ走るだけです。
        
        なんか、もうね、「私自身が頑張らなきゃいけない作業」はすでに終わってると言ったら過言ですか?
        正確に言うと私じゃなくて仏なんですけど、
        つまり、無から有を引っ張り出す苦しみ、というやつは、もう終わっていると思うのです。
        もう終わってしまったかと思うと、少々サミシイ気はいたしますが、
        ともかく、もう、そういうのは終わってる。
        
        なので、するべき作業は、まだまだ山積みなのですけれども、
        今までやってきたことに比べれば、ものすごく気楽、です。
        肩の荷が降りた、という気分です。
        これから何をしよっかな〜、と、目移りを楽しむ余裕がある。
        
        うむ。目移りをエンジョイせよ。
        これから何をしよっかな〜。自殺しよっかな〜。
        
        一番の山は AI の強化ですね。
        いや、別に、マインドルの腕前そのものが強くなくてもいいのですけれど、機能面を強化したい。
        ストーリー中におけるプレイヤーの対戦相手としての機能面を強化したい。
        
        とくに、キャラクターごとに、棋風の変化を持たせられるようにしたい。
        たとえば序盤の陣形を使い分けてくれたりすると、キャラごとの特徴を実感しやすいですよね。
        そういうのを思考処理としてどのように実装するか? というのもそうですが、
        なにより、私自身が、序盤の陣形として、どのようなものがあり得るか? を理解する必要がある。
        それに限らず、つまり、マインドルとはどういうゲームなのか、を、私自身が、研究する必要がある。
        
        そういうわけで、こういう、AIまわりの作業、が、残りの作業の中で、もっとも、
        もっとも……何だ? 難しい? 未知数? わくわく? ヒャッハー?
        気がかり。
        うむ。それだ。気がかり、ですね。
        もしかすると、あんまりうまくいかない、という可能性もなくはない。
        そもそも、これって、「こうなれば完成」というゴールがない。
        現状でも一応それなりに動いててそれなりに強いわけでありまして、
        そのままじゃダメかと言えば、ダメということはない。
        ただやっぱり、ストーリー上は別のキャラと対戦してることになってるのに、指し回しが同じだったら違和感あるでしょう?
        中の人さっきと同じじゃん、ソフト指しかよ! ってね。いやソフト指しなんですけどね。そのものなんですけどね。
        いえいえ、そんなことを言ってはイケない。
        私はあなたとお話しているのであって、あなたの脳神経回路のインプット&アウトプットと戯れているのではない。
        あなたは存在している。
        私があなたの存在を見出すのです。
        つまり、ストーリー上のそのキャラクター、が、指すんです。それはフィクションではなくて事実です。
        その事実に、システムの側が追いつくようにする。
        プレイヤーとキャラクターとの橋渡し、としての、システム。
        今のままだと、システムの側の機能が不足している、から、そのキャラクター自身、に、指してもらう、ことができない。
        今のままでも表面上は動きますが、キャラクターさんは内心「これは私が指してるんじゃないよー」と思ってしまうことでしょう。
        その声を無視して、表面だけを誤魔化してしまうと、まさに単なるソフト指しです。脳神経回路のI/Oです。
        なるほど。こうして考えてみると、本文とは別の意味で責任重大ですね。
        
        とは言うものの、あんまり心配はしてません。
        プログラミングは楽しいですからね。
        本文の作業は苦しかった。心も体もロボロボになる。違った。ボロボロになる。
        というか、もうすでになってますからね。
        本文の作業を開始する前と、今とで、何か、失ったものが少なからずある感じがする。違う人間になってしまった感じがする。
        こんなに大変だとはね、思ってませんでしたよ。
        しかし、やり切った。私は本当にエライですね。
        
        さてさて、話題は尽きませんが、人生は有限ですので、そろそろまとめに入ります。
        まとめ? まとめって何だ?
        こういうことですか?
        本文の作業が全て完了した。
        これから残りの作業に入る。
        うむ。そういうことですね。よくできました。
        
        ともかく、本文が無事に完了してよかった。ありがとうございます。
        いろいろ大変でしたが、途中で死ななかったことだけが心残りです。
        最も精神を削るパートが終わったわけで、残りは気軽に片付けていきましょう。
        あわよくば今年中に完了。
        いいえ、それは無理です。それをやると私が死にます。死ぬんならいいじゃないですか。それもそうですね。
        
        ひとまず休みたい。少しだけ休みたい。
        カラスの行水程度でいいので休みたい。
        しかし、カラスが行水をする場面を目撃したことがないのですが、そんなに短いのでしょうか?
        つまり、目撃する間もないほど短いということですか。目にも止まらぬ。俺様の動きはカラスの行水だぜヒャッハー!
        いいですね。その調子で光速を超えて過去にタイムスリップしましょう。
        あっ、でも過去にタイムスリップしたら、せっかく完了させた本文の作業も巻戻ってしまうんじゃないですか? そんなのヤダヤダ!
        こうして人はこの世への執着(読み:しゅうじゃく)を深めていくのです。
        それはさておき、休みたい。
        カラスの行水程度でいいなんて言いましたが、嘘です。じゃあ牛のヨダレでどうですか? 汚いなぁ。
        死ぬほど休みたい。いっそ死んではどうか? なるほど、その手があった!
        
        あと、お金が欲しい。
        どこかに落ちてないかな?
        あっ、言っておきますが、お財布はダメですよ? 
        私にはお財布を拾うと届けるべきところに届けたくなる習性があるので、お財布はダメです。
        裸の現金でお願いします。持ち主を推測しようがないほどの状態で札束が落ちているとよいです。
        多少雨とかで湿気っててもいいです。そんな贅沢は言いませんから。ね?
        
        うーん、なんかね、脳が壊れた感じがする。モノを考えることができない。
        牛のヨダレ程度の休憩で治るでしょうか?
        本文が完了したとは言え、まだ作業は残っているのですから、もう少しは生きてないといけない。
        しかし、こんな状態で一体どうすればよいというのでしょう?
        前後不覚です。わけがわかりません。
        が、一つだけ確実なことがある。
        あなたを愛しています。
        
        お、いいですね。まとめに入れそうな流れになってまいりましたね。この隙を逃すな!
        
        今日もあなたが幸せでありますように。