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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドル本文・3rdヒロ子氏のパート・第12話が完了。
        
        完了です! 素晴らしい。
        いつもながらちゃんと完了するというのがすごい。
        まさに南無阿弥陀仏。
        実はわりと毎回、着手の前に、心配になるのですよ。
        今回こそはうまくいかないのではないか? って。
        しかしその心配があたったためしがありません。
        残りあと2話。
        心配もあるのですけど、やっぱりいつものように大丈夫なのだろうな、という気がしています。
        仏をアテにしております。
        
        さて、第12話完了ということで、思うところ感ずるところを語っていこうと思うわけですが、
        どうしましょう?
        思うところ感ずるところはたくさんあった・あるのですが、思い出せません。
        こんなことではテストでいい点取れませんよ。困ったな。
        
        まずはわかりやすいところから。
        分量。
        原稿用紙換算で256枚。覚えやすい数字なので受験生ならみんな覚えてます。
        大長編というほどでもないですけれども、中長編ですね。中編なのか長編なのかどっちだ。
        この分量なら費やしてしまった時間の分量もうなづけるところなのでしょうか?
        なんだかんだと一ヶ月以上かかってしまっているのですよね。困ったな。
        もうすぐ8月だなんて何かの間違いに決まってます。
        間違いは誰にでもありますからね。間違ってもいいんです。
        先生が怒ってるのはキミたちが間違えたからじゃあないんです。
        間違えたのにヘラヘラ笑ってるからです。今からおまえたちを殴る!
        
        中身の方はどうかと言うと、これがまたびっくりです。
        残りあと2話といえば終盤なわけですが、うまい具合にラストに向けて盛り上がっていってくれております。
        そんな計算、一体誰がしてるんでしょうね? いつもながら南無阿弥陀仏といわざるを得ない。
        
        ところで、ボードゲームとしてのマインドルも最近やりこんでいるのですよー。
        α版のAIを微調整しながら、お互いに切磋琢磨している次第であります。
        おかげさまで、マインドルというのがどういうゲームなのかが少しずつ見えてきました。
        
        以前は強力だと思ってた作戦が実はあんまり強力じゃなかったとか、
        以前はあんまり意味がないと思っていた手が実はわりと有効だとか、
        発見が相次いでおりましてですね、とってもエキサイティングなのですよー。
        
        そして今のところ全宇宙でただ一人私しかこのゲームの存在を知っている人間がいないというのがまた面白い。
        今私が死んだら人類はこのゲームの存在を知らないままになってしまうのですね。
        それを思うと死に甲斐があるってもんです。イヒヒ。
        
        AIと切磋琢磨している件ですが、どうしても序盤に穴が生じます。
        パラメータを微調整すると如実に指し手の傾向が変化してくれて頼もしい。
        それで少しずつよい感じにはなるのですが、
        何度も対戦していると序盤に同じ手順で勝負がつくパターンを(私が)発見してしまう。
        パラメータをいじれば指し手が変化して、穴はふさがるのですが、また別の穴が必ずある。
        序盤にそのパターンさえ使わなければ、全体としていい勝負をしてくれる。
        ということは、もう、つまり、あれですね。
        序盤だけは、定跡のようなものを覚えさせて、通常の思考処理とは別に、やってもらうしかないのかな。
        いや別に「強いAI」である必要はなくて、序盤にパターンがあるのもゲーム的には必ずしも悪くない。
        とは言うものの、その穴さえつかなければ「おっ、結構強いじゃん!」という感じなのに、
        それを全然発揮できないというのは、残念なことだと思うのですー。
        だから次の課題は序盤に定跡を使うように処理を追加することなのですよー。
        うむ。エキサイティングです。
        
        で、早速作業に取りかかりたいところではあるのですが、
        プログラミングってやり始めると夢中になってしまう。危険なドラッグです。
        今は本文を進める方が優先ですからね。
        ドラッグを飲むのは本文が終わってからにしようと思います。
        
        そうなのですよね。
        楽しそうな要素がたくさんあるのですけど、本文が終わらないことには、次に進めない。
        早く死にたいんですけど、本文が終わらないことには、死ぬわけにいかない。
        あっ、違った。本文だけじゃなく、この作業を完遂するまでは生きてないといけないのか。ちくしょー。
        早く誰か私の代わりに生きてくれる人が現れてくださいよ。
        ずーっと募集してるのに誰も応募してこない。日本はおかしな世の中です。ぷんぷん。
        
        実際、この作業が終わったら、もう生きてなくていいなーって気がします。
        たとえば、作業の中で、思いがけず、昔の知識が役に立つことがあります。
        なるほど、無駄な知識かと思ってたけど、ここで役立つことになってたのかー、と仏の采配に感嘆する。
        
        ということは、つまり、この作業が終わったら、
        もう何も、役立たせるアテというものが存在しなくなるわけです。
        一切が無意味になる。
        
        たとえば少し前までは、何か本を読めば、この作業の中で何らかの形で役に立つ可能性があった。
        だけどこの作業が終わったらそれはなくなる。本を読む必要がなくなる。
        
        実際、すでにその兆候はあってですね、
        所用で図書館に行ったのですが、何も読む気がしない。
        いや、まだ「興味の痕跡」のようなものはあって、気になるタイトルの本を手に取ってパラパラとめくるのですが、
        ・今は本文の作業が忙しいから読んでいる暇はない。
        ・本文の作業が終わったら知識を仕入れる必要がなくなる。
        
        つまり、今は読む気がしないし、その理由である「この作業」が終わった後は、もう読む必要もなくなる。
        だからその後も読むことはないだろう、ということです。
        この世にいる必要性が如実に減ってきている。よいことです。
        
        あと、作業中は気分転換として、ちょこちょことゲームをしたり動画をみたりしているのですが、
        いざ作業が一段落して(たとえば今みたいに)、さぁ盛大に一休みするぞ!
        と思っても、やりたいことが特にない。
        作業中に気分転換としてやっていたゲームにも、全然興味がなくなる。
        作業中に精神エネルギーが枯渇している中で、持て余した意識の持っていきどころ、としては、
        そうしたゲームなどが、それなりに「興味の対象」になっているのですけれど、
        いざ、さぁ盛大に一休みするぞ! となってみると、何もやる気がしない。素晴らしい。
        
        この作業が終わったら本当に死ねるんかな?
        今死ねない理由は何かと言えば、それは間違いなく、
        「この作業を完遂しなければならないから」です。
        さて、この作業が終わったらどうなるんかな?
        楽しみです。
        
        さて、残りあと2話!
        その後はシステムを微調整して、グラフィックを用意して、スクリプトを入力して、テストプレイをして、
        それから、えーっと、あっ、もちろん、あなたの幸せも祈りますよ! むしろそっちがメインかもしれない。
        
        なんだか結構まだまだすることがたくさんあるのですねぇ。
        早く私を死なせてください。