究極の騒音対策:静音コミュニティ
私は騒音対策として静音コミュニティの構築を提唱しています。
静かに暮らしたい人同士で集まって生活する、というものです。
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■ 引越しはリスキー
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騒音から逃れるには引っ越すしかない、とよく言われています。
なぜかと言うと、騒音を出している騒音主に何を言っても無駄だからです。
しかし引っ越した先にも同じような騒音主が住んでいるかもしれない。
あるいは、今は静かでも、いつ騒音主が近くに引っ越してくるかわからない。
そこで静音コミュニティです。
そもそも静かに暮らすことを是とする人たち同士で集まっているならば、安心して生活することができます。
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■ 生活騒音の心配がなくなる
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コミュニティには静かに暮らそうとする人しかいないわけですから、生活騒音の心配はありません。
もちろん、人がいれば音は出ます。あるいは静かにしているつもりでも気付かずに音を出してしまっていることもあります。
しかし、そこにいる人たちの間で「できるだけ静かにしよう」ということで意見がもともと一致している。
「おまえが神経質だから悪いんだ!」「このぐらい我慢しろ!」などと言う人は一人もいない。
「音が出ているので静かにしてね」という話が通じる。
あるいは「音が出にくいように床に吸音材を設置する」など、住環境そのものを改善する話もしやすくなります。
個人攻撃をする必要がない。静音な環境を作るためにお互いに協力することができる。
それというのも、コミュニティ全体で「静けさを求める」という考え方が一致しているからこそです。
「話が通じる」というのは大事なことです。
騒音問題とは単に音が大きいということだけではなく、「話が通じない・こじれる」ことに問題の核心があります。
もともと意見が一致している人同士のコミュニティであれば、そうした問題は発生しません。
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■ 拡声器騒音への抗議がしやすくなる
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コミュニティの内部は静かでも、外側から拡声器で騒音を浴びせられることは避けられません。
しかしそうした場合でも、コミュニティとして団結していれば、抗議がしやすくなります。
拡声器騒音を出しているのは大抵、自治体や業者です。
自治体や業者に個人で立ち向かうのは不利です。
しかし、コミュニティとして団結して立ち向かえば、言われた方としても無視はしにくくなるはずです。
たとえば灯油販売や廃品回収などの移動販売業者。
こうした業者の典型的な言い訳は「お客さんが待ってるんだ!」というものですが、
そこが静音コミュニティであれば、この言い訳は成立しません。その地域にそんな業者を利用する「客」がいるはずがないからです。
防災無線や火の用心にしても、そこが静音コミュニティであれば
「みんなのためにやっている」という理屈は成り立ちません。
その地域に住んでいる「みんな」というのは、静けさを求めている人たちのことだからです。
そもそもその地域の町内会に火の用心のようなハタ迷惑なことをしようという人がいるはずもありません。
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■ 防音対策から解放される
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防音工事をすれば騒音から逃れられるでしょうか?
答えはノーです。
仮に防音工事がうまくいって、騒音を遮断できたとします。
しかし、騒音主がほんの少し音を大きくしたりスピーカーの位置を変えたりしたら音が入り込んでくるかもしれません。
そのたびに防音工事をやり直して、壁を分厚くしなければならない。
音のボリュームの目盛りを1つ大きくするのは騒音主の気まぐれで指一本でできますが、
防音工事で壁を1センチ分厚くするには何十万、何百万といった工事費用がかかります。
そもそも騒音主が近くにいることが問題なんです。
騒音主が近くにいる限り、騒音からは逃れられません。
しかし、静音コミュニティならば、その心配はありません。
騒音主の存在しない世界です。
静音パラダイスです。
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■ デメリット:「嫌なら引っ越せ!」にお墨付きを与えてしまう
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「文句があるなら引っ越せ!」とは騒音の被害を訴えたときに返ってくる定番の暴言です。
静音コミュニティが完成すると、こうした暴言をますます助長してしまう可能性があります。
あるいは、「ここは静音コミュニティじゃないんだから音のことで文句など言うな!」
といった言い訳がまかりとおってしまう危険性もあります。
仮に静音コミュニティが完成したとしても、誰もがすぐにそこへ引っ越せるわけではないでしょう。
ましてや、静音を求めるならば強制的にそこへ引っ越さねばならないなどということにはなりません。
もちろん、静音コミュニティの外ならば騒音を垂れ流してもよい、ということにもなりません。
しかし、静音コミュニティが存在することで、そうした暴論を助長してしまう可能性がある。
静音コミュニティを推進する者として、その可能性について無責任でいるわけにはいきません。
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■ デメリット:「被害者である自分たちが身を退く」という理不尽さがある
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同じことは引っ越しやその他の防音対策全般に共通していることです。
被害者であるはずの自分がコストをかけて対策をしなければならないという理不尽さ。
静音コミュニティ自体は理想的な静音環境であるはずですが、
被害者であるはずの自分がそこへ移住しなければならないというのは
被害者感情を傷つける可能性があります。
被害者感情としては、むしろ逆に騒音主の方をこそ、一ヶ所に収容してやりたいと思うのではないでしょうか?
その逆に被害者である自分たちが特定の場所へ逃げ込む、というのですから、
これは被害者としての怒りの度合いが高ければ高いほど耐えがたいことでしょう。
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■ デメリット:「神経質な異常者を隔離する」という解釈を助長しかねない
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上に述べたこととも重なりますが、
被害者感情としては、騒音主の方をこそ一ヶ所に収容してやりたいと思うところです。
同じように(同じとは言いたくありませんが)騒音主の方でも、一種の暴言として、
被害を訴える者をどこかへ隔離して自分たちの生活圏から追い出せ、というようなことを言う。
「そんなに嫌なら無人島にでも引っ越せ!」「山奥にでも引っ越せ!」「精神病院に入院しろ!」
などの暴言をどこかで聞いたことがあるはずです。
静音コミュニティの存在が、そうした暴言のバリエーションとして語られてしまう可能性があります。
あるいは静音コミュニティに住んでいる人々のことを悪し様に罵る暴言が発生する可能性があります。
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■ デメリット:メンバーがメンバーに「お説教」をしてしまう恐れがある
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騒音被害を受けて静音コミュニティに移住するということは、
騒音主との直接対決を諦めた、ということでもあろうかと思います。
諦めは他者への抑圧に変化する危険性がある。
被害者感情で怒りや悔しさを抱えている他のメンバーへ向かって、抑圧を強いる「お説教」をしてしまう危険性がある。
「他人を変えることはできないんだ」
「過去のことにこだわるな」
一定の真実を含んでいるかもしれませんが、被害者感情で傷ついている心を抑え込んで目を逸らすことにもなりかねません。
同じ苦しみを味わった者同士として互いに理解し合えるはずなのに、
互いに抑圧し合うことになってしまうとしたら、それは残念なことだと私は思います。
あるいは、
「我々みたいな神経質な異常者はここでひっそりと引きこもってるしかないんだ」
のように卑屈な自虐をメンバー間に流通させてしまうかもしれません。
同じ苦しみを味わった者同士として、協力して前向きに生活していくことができるはずなのに、
互いに否定し合うことになってしまうとしたら、それは残念なことだと私は思います。
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■ デメリット:被害が比較的に軽いメンバーが萎縮するかもしれない
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被害の大きさを競い合うかのような被害自慢、と書こうと思ったのですが、
おそらくそれはない。
それよりも、被害の比較的軽い人が、壮絶な被害体験を持つ別の誰かに対して、
「自分の被害なんて大したことない。自分などがここにいる資格はあるのだろうか?」
と、(自主的に)萎縮してしまうことが心配です。
世の中には筆舌に尽くしがたい壮絶な被害体験を持っている方がいらっしゃいます。
そういう方がコミュニティのメンバーとしてふさわしいのは当然ですが、
そうではないからコミュニティに加わる資格がない、などということは断じてありません。
もちろん、直接的に被害を受けた経験がなくても、静かに暮らしたいならコミュニティの成員にふさわしいと言えます。
被害経験の有無や大小は本質的なことではない。
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■ デメリット:コミュニティを作るのは簡単ではない
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私の知る限り 2016年現在、日本にそれに類するコミュニティは存在しません。
ないなら作る必要がある。
ではどうやって作るのか? 誰が作るのか?
課題は山積みです。
しかし静音コミュニティは騒音問題に対する一つの「解」には違いありません。
今すぐ実現することはできなくても、可能性として脳裏にとどめておくことは、
被害者にとっての希望になるのではないでしょうか。
それに、難しいとは言ってもどうしても不可能というほどではありません。
タイムマシンよりは簡単に作れるでしょう。恒星間宇宙船よりは簡単に作れるでしょう。
規模だって、いきなり大きくなくていいんです。
いきなり日本全国を静音コミュニティに改造しなくてもいいんです。
たとえば、静かに暮らしたい人同士で隣同士に住むだけでも意味があります。
冷静に。前向きに。これから先の人生のプランの中の可能性の一つ。選択肢の一つ。
そのように考えていけばいい。
しかし私が心配なのは頭ごなしに「無理だ」と決めつけて、絶望を誘うような言動が横行することです。
被害の真っ只中で騒音主への怒りと絶望に苛まれ、
「静音コミュニティ? そんなの無理に決まってるだろ! あればとっくに引っ越しとるわ!」
のように、「現状の絶望感」を表現するための代名詞のように使われてしまうことを私は懸念します。
どうか、希望を忘れないで欲しい。
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■ 静音コミュニティの精神
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上に挙げたようなデメリットはありますが、
それでも静音コミュニティは「現実的」で「前向き」な騒音対策であると私は考えます。
上記のようなデメリットはありますが、
だからといって、現状のまま被害を受け続ける方がいいということにはならないはずです。
デメリットを上回るメリットがあるはずです。
ですが、デメリットのことを忘れてはいけない。
これは個人的な選択のトレードオフという問題ではありません。
コミュニティが存在するということ自体が、別の誰かを傷つけている可能性がある。
そのことを無視してはいけない。
被害者感情を「お説教」で「我慢」させるようなことがあってはいけない。
卑屈になってはいけない。
なにしろ「悔しい」ことなんですよ。
「なんで私が! 悪いのはあいつらなのに!」
その通りなんですよ。果てしなくその通りなんですよ。
その感情を絶対に否定してはいけない。
静音コミュニティは「静かに暮らしたい」と思う人々を肯定する場であるはずです。
それなのに、騒音に苦しめられた被害者としての感情を「お説教」で「我慢」させるようなことがあっては、
たとえコミュニティが実現できて物理的に静かな環境が確保できたとしても、
騒音対策として、思想的に失敗していることになります。
いや、仮に「思想的に失敗」だとしても、物理的に静かな環境に住めるなら、そのこと自体が重要ですね。
なにしろ被害の真っ只中にあっては、今この瞬間がのっぴきならないわけですから。
音を聞かされている今この瞬間、あるいは今は鳴っていなくてもいつまた鳴り始めるかわからない恐怖。
そういう環境に身を置いている。絶え間ないストレスがある。
ともかく「静けさが確保されていること」が最優先には違いありません。
しかし、静音コミュニティにはそれ以上の可能性がある。
被害者としての感情を否定せずに受け止め、
同じ苦しみを味わった者同士として協力して生活を作っていく。
そうした姿勢があってこそ、静音コミュニティは静音コミュニティとして力を発揮するでしょう。
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