他人を巻き込まなければ気が済まない劇場型迷惑行為には苦情も正論も通じない
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■ 「迷惑」とは何か? 一般的な考え方・その限界
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騒音、タバコ、ペット等々、迷惑行為全般に言えることとして、
「迷惑」とは何かと言えば、「他人を巻き込む」ことに他なりません。
迷惑ということに関して一般的に言われている典型的な「釈明」は次のようなものです。
「わざとじゃない」「ついうっかり」「誰にでも失敗はある」「おまえだって気付かずに人に迷惑かけてる」
一言でまとめるならば「他人を巻き込むこと自体が目的ではない・可能な限り避けたい」ということです。
もちろん、そういうケースもあるでしょう。
それならば一言伝えて本人に気付かせてあげれば自発的に改善してくれる。
いきなり怒鳴り込まなくても、丁寧に伝えてあげれば、わかってもらえる。
事実、そういうケースは多々あります。
それならいいんです。それなら。
しかし、それだけでは説明がつかないケースが非常に多い。
いくら苦情を伝えても改善しない。やさしく言っても強く言っても変わらない。
または、敢えて言うまでもなくわかりきっているはずのなのに行為を頑固に続ける。
理由などあってなきがごとしなのに同じ行為を頑固にこだわって続ける。
明らかに本人は状況に気付いているはずなのに、やり方を変えようともしない。
こうなると、もはや単に「自分勝手」「まわりが見えてない」などという典型的な言葉では説明がつかない。
これは一体何なのだろう?
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■ 他人を巻き込まなければ気が済まない心理・精神構造
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音や煙を出すなどして他人を巻き込まなければ気が済まない。
そういう心理・精神構造というものが、おそらく、あるのだと思います。
たとえていうなら、幼い子供が自分が手に入れたものや作ったものなどを
いちいち母親に見せなければ気が済まなかったり、
何をするにしても目の届く範囲に母親がいないと不安になったり、
そういうのと同じように、いや、同じというか、
つまり、
他人を巻き込まなくても目的を達成する方法があっても敢えてそうはせず、
他人を巻き込むようなやり方に固執する。
他人を巻き込むような結果を伴わないと意味がない、
他人を巻き込むような結果を伴って始めて意味のあることをしたことになる、
という心理が、おそらく、あるのだと思う。
専門的なことはよくわかりませんが、「自我の形式」というか、そういうものが、
「他人を巻き込むこと」を必然的に内包しているような、そういう自我なのではないか?
念のために言っておきますが、これは決して複雑なレベルの話ではありませんよ?
複雑なレベルというのは、たとえば、店で何気なく買い物をするだけで、実は地球温暖化の原因になっている、など、
直感的には理解が難しいような話、お勉強が必要な話、のことです。
誰だって地球で生きてる限り他人と無関係ではいられない。
はい、その通り。
そうではなく、これは、もっと、わかりきってるレベルの話です。
たとえば目の前に人がいるのに煙を出せば、その人にも煙を吸わせてしまうことになりますよね?
地球の裏側のことまで想像する必要はない。
そういう、「わかりきってる」レベルの話です。
他人を巻き込むことがわかりきっているのに、そういうやり方に固執する。
別の方法があったとしても、同じやり方に固執する。
もちろん別の方法を模索しようともしないし、別の方法を提示する他人からのアドバイスに耳を傾けることもない。
> 他人を巻き込まなくても目的を達成する方法があっても敢えてそうはせず、
> 他人を巻き込むようなやり方に固執する。
タバコ → 煙を出さずにニコチンを摂取する方法もあるのにそうはせず、従来通りの「喫煙」に固執する。
音楽・テレビ → イヤホンを使って聴くことはせず、スピーカーから音を出すことに固執する。
ドアバン・足音 → ほんの少し気をつければ静かにできるのに、その "ほんの少し" を頑なに拒絶する。
火の用心 → 拍子木を鳴らさなくても見回りはできるはずなのに拍子木を鳴らすことに固執する。
防災無線 → 毎日時報を鳴らさなくても点検はできるはずなのに毎日時報を鳴らすことに固執する。
例を挙げるとキリがありません。
もちろん、目的達成のために他人を巻き込んでしまうことを避けにくいケースもあるでしょう。
しかし、できるだけ巻き込まないようにしようとは努力しない。むしろ「これ幸い」とばかりに他人を巻き込む。
曰く「○○なんだから仕方ないじゃないか!」
移動販売業者 → 拡声器を使って宣伝するという商法を変えようとしない。ボリュームを落とす気もない。
新聞配達 → 夜中のバイクの使用をやめようとしない。ブレーキを整備しようともしない。
ペット(特にinu) → 躾けない。
特にペット(特にinu)などは他人を巻き込むことが最初からわかりきっていることです。
なおかつ、生活上の必要性が低い。
にもかかわらず、わざわざ飼うということをする。
ということは、最初から他人を巻き込むことが目的だったのではないか? というのは果たして本当に疑いすぎでしょうか?
え? わざとじゃない? 誰にでも失敗はある? おまえだって気付かずに人に迷惑かけてる?
何を寝ぼけたこと言ってんですか? "最初からわかりきってる" じゃないですか。
迷惑がかかることが "わかりきってる" ことを "わざわざやってる" のは誰ですか?
「人に迷惑かけられないな」と思っている人ならば、最初から飼わないんじゃないですか?
そうです。「そもそも飼わなければ何も問題が起きない」んです。
わざわざ問題のタネを自分から背負い込んで、しかも他人を巻き込む。
さて、それって一体「何が目的だった」のでしょうか?
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■ 「迷惑野郎」は他人の存在を意識している
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迷惑野郎を称して「自分勝手」とか「まわりが見えてない」とか「人のことを考えない」等と一般的にいわれます。
が、私が思うに、それはあまり正しくない。
迷惑野郎というのは、実に周囲の他人のことを気にしているものであると私は思います。
以前勤めていた職場でのことです。
ヘビースモーカーが一人おりました。
オフィス内は禁煙なので、勤務中に何度も席を立って喫煙所へ移動する。
で、彼が戻ってくると、体中がタバコ臭い。戻ってくるたびに部屋中がタバコ臭くなる。
なので彼が戻ってくるたびに私は窓を開ける。
あまり露骨にやると申し訳ないかな、と最初は思っていたのですが、
そんな繊細な神経を持ち合わせているなら、そもそも、タバコ臭い体のままで戻ってくるようなことはあるまい、
というわけで彼には遠慮せず、彼が戻ってくるたびに盛大に窓を開けてうちわで扇いだりしていました。
ところがある日、部屋に私と彼とで二人になったとき、彼が私に詰め寄ってくるんですよ。
「なんでいちいち窓開けてんの? タバコ臭いとか思ってるの? 喫煙所で吸ってきてるのに何が悪いの?」
とか言って詰め寄ってくる。
驚きました。
何に驚いたって、迷惑野郎がまわりを見ていたってことが驚きでした。
だって、私が窓を開けていた理由まで察して自分がどう思われていたか気が付いてたんですよ? これってすごい。
傍若無人で自分のことしか見えてないはずの人物が、自分が人から嫌われていることを気にしていた。
びっくりです。
もちろん、その言動は「常識人」とは真逆でして、
嫌われてることに気付いたから、嫌われないように気をつける、という発想はなく
嫌われてることに気付いたから、俺を嫌うのは許さん、という
さすが迷惑野郎の面目躍如というべき斜め上の言動なのですが、
いずれにせよ、他人の存在が視野に入っていた、ということが私には新鮮な発見でした。
あと、近所の人がアロマテラピーか何かに凝ってて、私の住んでる室内にまで匂いが漏れてくることがありました。
耐えかねて苦情を言いにいったところ、何か、インド製のお香を使ってるとかなんとか、楽しそうに自慢されてしまいました。
「やめて!」という私の意志が伝わらない。
幸運なことに、その半年ほど後、その人は引っ越していって平和が戻ってきましたが、
それまでの間、そのインド製のお香とやらを焚くのをやめてくれることはありませんでした。
私に嗅がせるのが目的だったのか???
さて、世の中の迷惑野郎全員が上記の人たちと同じように「まわりを気にする」迷惑野郎かどうかはわかりませんし、
中には本当に「自分のことしか考えてない」迷惑野郎もいらっしゃるかもしれない。
ただ、迷惑野郎の心理や行動原理というものを考える上で、
ステレオタイプ的に「自分勝手」「傍若無人」「自分のことしか考えてない」などと言ってしまうのは、
おそらく、わりと高確率で、ハズレなのではないかと思うのです。
たとえばペット(とりわけinu)を飼う行為にかかり、
「そんなこと気にしてたら inu なんて飼えるか!」ってセリフ、どこかで聞いたことありませんか?
最初っから迷惑かける気まんまんなんです。むしろそれが目的かもしれない。
決して「自分のことだけを考えて」することとは言えない。
そもそも他人を巻き込むことを前提とした劇場型迷惑行為なんです。
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■ 「苦情」は逆効果
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だから「苦情を言う」というのは、逆効果なんです。
逆効果というか、「苦情を言ってくるやつ」というのも、あらかじめ「配役」として想定されている。
その上で「あんたが神経質なんだ!」といったお決まりの「セリフ」が演じられることになる。
すでに舞台に「巻き込まれて」しまっているわけです。
その劇場は第三者までをも巻き込んでいて、苦情を言い続けていると、
「あなたこそ神経質なんじゃないの?」などと「たしなめられて」しまう。
劇場の出口はどこにあるのか? やはり無人島に行くしかないのか。
よく騒音問題について「苦情を言ったら余計に悪化した」という話を聞きます。
単純に解するなら「苦情を言ったことで嫌がらせとして音を大きくされた」ということになりますが、
劇場型迷惑行為であると解するならば
「苦情を言うキャラが登場したから、ますます張り切って音を出すようになった」
ということになるでしょう。
厄介なのは正論が通じないことです。
「音を聴かされるのは迷惑だ」
そんなことは、おそらく、騒音主は百も承知なんです。
「だからこそ」音を出している。そのように理解すべきでしょう。
それが劇場型ということであり、他人を巻き込まなければ気が済まない心理ということです。
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■ どうか諦めないで
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では一体、どうすればいいのか?
どうすれば被害から逃れることができるのか?
わかりません。
どうすればいいんでしょうね?
ともかく一生懸命考えましょう。
諦めず、思考を積み重ねていきましょう。
ただ、身に染みて思うのは、
「苦情や正論を繰り返しても無駄」ということです。
「正しいことを言えば正しい結果になるはずだ」というのは幻想であると心得なければならない。
劇場の内部では苦情や正論はシナリオ内で想定済みの「セリフ」として処理され、虚しく響くばかりです。
ただし、劇場の外に届く可能性もあるので、声を上げ続けること自体は無駄ではないと思います。
私はあなたの声を聞きたい。
どうか、諦めないで。
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