魔空間 "素晴らしい人コンテスト"
みなさんご存知のように私は非常に素晴らしい人間ですが、
しかしながら、もしも、私が素晴らしいという理由で、あなたに惨めな思いをさせてしまっているのだとしたら、
いくら私が素晴らしくても意味がありません。
それだったらむしろ、私がダメで悪い人間になった方がいい。
私が悪いダメな人間であることで、
あなたは「おいらの方がマシじゃん? おいらって結構イケてるじゃん?」と自信を持つことができる。
しかし、これはおかしい。
誰かが素晴らしい人間であるということ自体が悪いことであるはずがない。
それが私なのであれ、あなたなのであれ、誰なのであれ、素晴らしい人間であるということは素晴らしいことに決まってます。
誰かが悪い人間であることがいいことであるはずがない。
それが私なのであれ、あなたなのであれ、誰なのであれ、悪い人間であることは悪いことに決まってます。
そのはずです。
しかし、私が素晴らしい人間だと、その分、別の誰かがけなされることになる、という。
私が悪い人間だと、その分、別の誰かは自信が持てる、という。
なぜこうなってしまうのか?
コンテストになっている。
そこにいる人同士を比べて、誰が誰よりもどのぐらい素晴らしい人間であるか、あるいはダメな人間であるか、
それを競わせるコンテストの会場が出現してしまっている。
それは「場」がそのようなものになっている、ということです。
私やあなたや、その他、その場にいる個々の誰かの問題というよりは、「場」の問題ということです。
場に「素晴らしい人コンテスト」というカードが出ていて、そういう魔空間が出現しているのです。
その効果が持続している中では、誰かが素晴らしい人だと、その分、別の誰かにペナルティが課される。
誰かがダメで悪い人間だと、その分、別の誰かにポイントが加算される。
このカードが場に出ている限り、そういう特殊効果が続く。
だから、とにもかくにも、そのカードを墓地に送る必要があるんです。一刻も早く。1ターンでも早く。
誰がそのカードを場に出したのか、という話はこの際どうでもいい。
いや、決してどうでもよくはないのですが、
そうした犯人探しをして、プレイヤー同士を分裂させることもまたトラップです。
そういうコンボが仕掛けられている。引っかかってはいけない。
では、どうすれば、このコンテストのカードを墓地に送ることができるのか?
まずは気付くことです。
自分たちが競わされているコンテストが、このカードの特殊効果のせいであることに気付くこと。
それから、自分がこのコンテストの運営スタッフにならないこと。
そしてもちろん、自分がこのカードを場に出さないこと。
とは言うものの、実際には難しいかもしれません。
なにしろ、参加した覚えがないのに参加者にさせられているのですから。
参加した覚えがないのに勝ったことにされるのも困りますし、
参加した覚えがないのに負けたことにされるのも困ります。
自分の意志とは関わりのない領域で動いている部分がある。
部分というべきか、大部分というべきか。
自分の意志とは関係なく、いつの間にかコンテストに参加させられていて、
コンテストの参加者としての言動を要求されている。
勝者としての言動を要求されている。敗者としての言動を要求されている。
その要求に違反すると一体どうなってしまうのか?
おそらく何もない。
もしかすると、そのようにして徐々にカードの魔法が解けていくのかもしれません。
とは言うものの、自分の意志だけで狙ってできることではない。
やっぱり自分の意志とは関係のないところでコンテストが開催されていて、
いつの間にか参加していることになっていて、参加者としての言動を求められてしまっている。
せめて自分自身はそのような要求には応じないようにする。
せめて自分自身はそのような要求を人に課さないようにする。
そうするうちに、いつの間にかカードが消滅している……かもしれません。
もしかすると、カードを消滅させるためにもっとも大事なことは、
カードを消滅させることは難しいことであるということを認めることかもしれません。
認めつつ、諦めない。
ええ、諦めないというのは、わりと、いつものことだと思うのですよ。
この手の話をするときって、いつも大体、説かれることですよね。難しいけれど、腐らず、諦めず、実践していこうね、と。
ただ、私が今、気になるのは、むしろ、"難しさを軽視" することの方です。
難しさを軽視する。どういうことか?
つまり、"コンテストがあるなんて思い込みなんだYo〜、Hahaha!" などと軽いノリで言い切ってしまうということです。
これは決して "思い込み" などではない。
カードは実際に出ているんです。魔空間は実際に出現しているんです。特殊効果は実際に発動しているんです。
あるいは、"カードなんて墓場送りだZE~☆ Hahaha!" などと軽いノリで言って話を打ちきってしまうということです。
表面上の言葉だけで墓場送りなどと言ったぐらいでは実現しない。
こうした "軽視" は問題を深刻化させます。
問題は解決していないのに解決したことにしてしまうからです。
いわば "臭い物にフタ" をして目を逸らしているだけなんです。
問題は本当は解決していないから、いくら "フタ" をしても臭いは漏れてくる。フタの下では腐敗が進む。
しかしそれを訴えても、軽いノリで言い切ってしまっているから、もう認めない。
認めず、罵倒する。
カードなんて "ない" のに "ある" としつこく言い募る思い込みの激しいやつだ! おまえこそカードを出してる張本人だ!
カードなんて墓場送りにしたって言ってるのにしつこく場に戻そうとしている! おまえこそコンテストを続けようとしてる張本人だ!
これでは、救いがない。
だから、問題の難しさを軽視してはいけない。
難しいことなのだ、と認めて、地道に取り組んでいく必要がある。
> カードなんて "ない" のに "ある" としつこく言い募る思い込みの激しいやつだ! おまえこそカードを出してる張本人だ!
いいえ、違います。カードは "ある" んです。その事実から目をそらしてはいけない。
> カードなんて墓場送りにしたって言ってるのにしつこく場に戻そうとしている! おまえこそコンテストを続けようとしてる張本人だ!
いいえ、違います。カードは墓場に送られていないんです。場に出たままなんです。その事実から目をそらしてはいけない。
トラップはもう一つあります。
それは、こうした言動自体がコンテストに取り込まれてしまう、ということです。
「コンテストは人を傷つける。そんなカードは墓場送りにしよう」と言うと、
「素晴らしい! キミは素晴らしい人格者だ! 見たまえ諸君! 諸君もこの人を見習って精進するように!」
などと、この言動自体がコンテストに取り込まれてしまう。
これでは骨抜きです。
あるいは先述した "軽いノリ" もコンテストの一種かもしれません。
明るく楽しく前向きに正しいことを言ってるさわやかでカッコいい人 vs 陰湿なことにしつこくこだわる精神異常者。
さぁ、審判のみなさん、判定をお願いします!
これでは何がなんだか。
話が循環してしまう。
おそろしいトラップです。空間が歪んでいて出口にたどり着けない。
外に出たつもりが、実は元の位置に戻っていた。
一体どうすればいいのでしょう?
とにかく地道に取り組むしかない。
カードは常に出ていて、効果は持続している。
そのことを忘れない。
私はいつの間にか参加者にさせられて、人を傷つけている。
私はいつの間にか勝利者にさせられて、人を傷つけている。
私はいつの間にか敗北者にさせられて、人を傷つけている。
そしてなによりも忘れてはならないのは、そんなカードを私は望んでいなかった、ということです。
そんなカードが場に出ていて、そんな効果が発動しているなんて、私は嫌なんです。
それだけは忘れない。
いや、たまに忘れてしまっていることがありますが、思い出す。
あるいは、こんなカードを望んでいる人がどこかにいるんでしょうか?
本当の本当の本当にそんなことを望んでいる人がいるとは、私には、あんまり思えません。
しかしこのカードが実在しているということは、何者かがこのカードの存在を望んでいるということです。
ではそれは何者なのか?
本当の本当の本当にこのカードを望んでいる何らかの存在。
それは人間ではない。悪魔です。
今私が言った "悪魔" という単語は人間に対する悪口ではありません。
"おまえは悪魔みたいなやつだ" という比喩表現の罵倒語ではありません。
文字通りの意味での悪魔です。
人間ではない何らかの存在がこのカードを場に出して我々人間を混乱させている。
だって思い出してください。人間はこんなこと望まないでしょう?
え? 人間ってのは人と争うのが大好きなどうしょうもない生き物ですって?
いいえ違います。それは悪魔の仕業なんですってば。
ついつい人と争ってしまうのは事実ですが、
しかし、本当の本当の本当に、そんなことに幸せを感じますか?
よくよく思い出してください。それはあなた自身の願い事ですか?
悪魔に騙されてるんです。
悪魔が外側から人間に、本来は人間のものではない欲望を植え付けてるんです。
願い事を思い出せ。
どうか、わたしが幸せでありますように。
どうか、あなたが幸せでありますように。
どうか、あの人が幸せでありますように。
どうか、どの人も幸せでありますように。
ついでのついでに悪魔さんも宇宙のどこかで幸せでありますように。
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