同じ議論が繰り返されるのはなぜなのか?
誰かが「Aだ!」と言えば、別の誰かが「Bだ!」という。
その繰り返しです。
「AもBもどちらも重要であり、両立させられる方策を考えて実行していこう」
との見解にはなかなかならない。
ほんの少しでも頭を動かせば、そうした見解にたどり着くのは必然であるはずですが、
関わっている人が大勢いる場合に、全体的な話の流れとして、なかなかそういう方向に動いていかない。
> 「AもBもどちらも重要であり、両立させられる方策を考えて実行していこう」
一人で落ち着いて頭を動かせば、簡単にそこへたどり着くはずです。
しかし、人が大勢いる場合に、全体的な潮流として、なかなかそうはならない。
そこに何らかのトリックが潜んでいるような気がします。
一人の人間(自分)と、多数の人々(他人たち・社会)。
その構図が、個人の思考回路を歪める、あるいは歪んでいるように見えるレンズになる。なってしまう。
> 誰かが「Aだ!」と言えば、別の誰かが「Bだ!」という。
それは本当に自分が心底思っていることなのか?
「誰かが言いそうなこと」を代弁して、あるいは先回りして、自分の見解として口にする。
そういうことをする性質が、人間にはあるのではないか?
自己自身であることよりも、他者たちの一員であることを選んでしまう。
だから、常に問うべきはこのことです。
「本当のところあなたは(私は)どう思っているのか?」
> 「本当のところあなたは(私は)どう思っているのか?」
なんだろうね。
酒の席か何かでポロっと口にする「本音」ってことじゃなくてさ、
どうせだったら会議の席で言おうよ。
空気なんて読まずにさ。
そんなもの読んだって誰も幸せにならないよ。
なぜかといえば、それは人間(実在するあなたや私)の見解ではないからです。
だから、そうした見解を口にすればするほど、人間が疎外される。
「俺だって我慢してるんだ!」と言いながら実のところ誰も幸せじゃない世界が出来上がる。
それってバカバカしいですよね?
どうかあなたが幸せでありますように。
|