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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        "人間である" ということを言い訳にする言い方がある。
        
        つまり、不完全なんだ、ということですね。
        失敗だってする。欲望に流されることもある。
        "だって人間だもの" というわけです。
        人間なのであって、全知全能の神ではない。完璧にプログラミングされたコンピューターでもない。
        なるほど。確かにそうでしょう。
        しかし、そこで単に開き直ってしまったら、人間じゃなくて野獣か何かです。
        "人間である" というからには、反省や考察をする内面的な心を持っているはずです。
        
        人間 "だから失敗はする" けれども "反省しなくてもいい" ということにはならない。
        人間だというのなら、なおさら、反省しないとおかしい。だって内面があるでしょう?
        
        ただし、その反省というのが単に機械的・外面的な規律への無批判な従順を意味するならば、
        そこではやはり内面は否定されていると言わざるを得ません。(自分から、あるいは、権力者の外圧で)
        
        もしかすると、案外、内面を持つというのは難しいことなのかもしれません。
        いや、持っているかいないかで言えば、持っていないはずはない。
        そこらへんを歩いてる人間の姿をした肉の塊が、本当に "人間の形をした肉の塊" でしかないだなんて、そんなはずはない。
        そこには必ず内面があるはず。
        
        難しいのはおそらく、
        内面の存在に気付くこと、
        内面に向き合うこと(向き合い続けること)、
        です。
        
        "人間である" というのは、実はわりと難しいことなのかもしれません。
        
        
        では一体何が "人間である" ことを妨げるのか?
        これを単に "怠け心" だとか "不誠実さ" などといった道徳的な言葉で批判するだけでは、何の意味もない。
        そうした言葉は「外圧」なのであり、内面が否定されてしまいます。
        だから何かもっと別の角度から光を当てたい。
        
        おそらく、"人間である" ことは苦しいことなんです。
        人間をやめてしまう方が楽。
        どのように苦しいか?
        
        
        > どのように苦しいか?
        
        つまり、何もせずにじっとしていようとしたときに、すぐに顔がカユくなってくる、ということです。
        じっとしていられない。
        それがつまり、人間であることの苦しみです。
        
        すぐに何かに意識を奪われてしまう。
        自己自身であり続けることは、それほどに難しい。
        
        そしておそらく、生まれてから死ぬまでずっと人間のまま、ということはない。
        ずっと人間であることを放棄したまま、ということもない。
        一人の人物が、あるときは人間であったり、別のあるときは人間をヤメていたりする。
        揺れている。
        そういうものなのだと思います。
        
        
        
        21世紀初頭の現在、地球の人口は約70億人とも言われておりますが、
        今このとき、果たしてその中の何人が "人間" でしょう?
        "人間じゃない何か" の割合が高ければ高いほど、この世は人間の手に負えないものになってしまう。そんな気がします。
        きっと今、その割合はかなり高い。
        
        地球を人間の手に取り戻そう。
        人間の人間による人間のための地球を。
        
        まずは自己自身が人間でいられますように。
        同時に、隣人が人間であることを許容できますように。
        
        
        > 同時に、隣人が人間であることを許容できますように。
        
        世間には "人間をヤメロ!" というメッセージが渦巻いていると思うのです。
        もちろん、表立ってそういう言い方はしません。が、そういう意味になっている。そういうメッセージが渦巻いている。
        
        メッセージは2種類ある。
        一つは他人と比べさせること。
        もう一つは欲望を煽り立てること。
        
        どちらも "あなた自身であることを放棄せよ!" というメッセージです。
        
        
        > 一つは他人と比べさせること。
        
        対処 → そうした比較や分類そのものに一体どのような意味があると思いますか?
        
        
        > もう一つは欲望を煽り立てること。
        
        対処 → それは本当にあなたが "欲しがって" いるものですか?