"神なんて人間が作ったものだ" とかなんとか言ってバカにするけれど、
じゃあ、人間として、神にも仏にも頼らずに、この世界の面倒を見る覚悟があるのか?
結局どこかで自分以外の何かに責任を丸投げしているのではないのか?
人智の及ばぬ領域がある。
その領域に、自分の手に負えないものを無自覚に投げ捨てている。
せめて有り難がってお任せするならまだしも、
都合のいいときだけ "理性的な人間" のフリをして、まやかしの小さな勝利を誇る。
人間として、神の代わりにこの世界の面倒をみる。
その覚悟がないならば、神をバカにする資格はない。
その覚悟がないまま神をバカにするとき、人間は人間ではなく野獣か何かになっていることでしょう。
内面を失った、人間ではない何か。
では、ただ単に神や仏をありがたがってお任せしまくってしまえばそれでいいのか?
それもまた人間であることを放棄した生き方ではないか?
神や仏にはなれないけれど、人間には人間としての責任の取り分がある。
尊大にならず、卑屈にならず。
> 尊大にならず、卑屈にならず。
現代において恐るべきは卑屈になることの方でしょう。
謙虚さを尊ぶ、という。
しかしそこには罠がある。
謙虚さは無責任と紙一重だからです。
"どうせ私なんて……" と言って責任を逃れようとする。
"どうせ" かどうか知らないけれど、そこには確かに "私" がいる。どうしたって、いる。
その事実を無視しようと思っても無視できるものではない。
にも関わらず無視しようとすると、無限に "どうせ" と言い続けなければならなくなる。
そうやって死ぬまで逃げ続けるつもりなのか?
とりあえず私は選挙に行く。
何の話でしたっけ?
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