人間を否定するために神の名を持ち出す
戒律だから、とか何とか。
なぜそんなことを言うのか?
結局、人間の名においては、人間を否定することはできないからです。対等だから。
だから、人間を否定するためには、人間以上の何かを持ち出してくるしかない。
そういう、攻撃的な目的のために、神の名が使われてしまったりするのではないか?
無論、全ての "神(という名の使い道)" がそういうものだと言うつもりはないのですけれども。
ただ、重要なのは、人間が否定されるのはおかしい、ということです。
結果的に人間が否定されるようなロジックが生じている場合、"それは何かおかしい" と疑ってかかるべきではないか?
神が人間に与えた戒律だから、疑ってはいけない? バカいうな。私は人間です。あなたも人間です。
人間のことは人間が決める!
自分で判断する。人間として。
> だから、人間を否定するためには、人間以上の何かを持ち出してくるしかない。
> そういう、攻撃的な目的のために、神の名が使われてしまったりするのではないか?
つまり、「人間以上の何か」ということです。
むしろ現代の我が国では「世間」や「社会」や「常識」と言った方がリアリティがあるでしょう。
そうした「個人よりも優先するもの」を持ち出して、人間を否定する。
個々別々の具体的な「私」や「あなた」が否定されてしまう。
それは間違いなく、おかしなことです。断言できます。
なぜ断言できるかと言えば、人間が否定されているからです。
確実に存在している「私」や「あなた」が否定されている。
まさにそのことこそが、それがおかしなことである証拠です。
人間の社会で人間が否定されるなんて、こんなにおかしなことってない。
人間の人間による人間のための社会を!
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