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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        無力感がある。
        
        
        なんだかすごく、無力感がある。
        いろいろと考えたり、気持ちを整理したりしたつもりで、ぐるっと一周して、元の位置に帰ってくる。
        結局、何の変化ももたらすことができない。無力感。
        
        正しいことを言っても、何も起きない。
        もちろん、間違ったことを言っても、何も起きない。
        何を言っても、何も起きない。無力感。
        
        卑屈なことを言いたくはない。
        ダメだダメだと卑屈なことを言って、それで何か言ったつもりになるとしたら、それは根本的に倒錯している。
        謙虚さを装った傲慢にも等しい。
        
        正しいことを言いたい。意味のあることを言いたい。
        正しいことをしたい。意味のあることをしたい。
        
        いつだって、正しいことを探している。意味のあることを探している。
        しかし、結局何も起きない。
        では正しいと思っていたことが、実は間違ったことだったのか?
        別の答えを提示することで、何か、意味のあることが展開し始めるのか?
        
        騙されたと思って、試しにやってみる?
        
        騙されたと思って、試しに、空き缶をガードレールの柱の上に放置してみる?
        騙されたと思って、試しに、自転車置き場でさえない地面に、ナナメに自転車を置いてみる?
        騙されたと思って、試しに、ドアをバンバンと盛大に閉めてみる?
        騙されたと思って、試しに、図書館の本に傍線を書き込んでみる?
        
        何食わぬ顔でそれをしている、あの子と一緒に?
        
        実はそれが正しいことなのだとすれば。
        
        だって、いくら正しいことを言っても、状況が何一つ変化しないんですもの。
        実は私の方が間違っているんじゃないかと、自信を失くします。
        
        
        諦めるための言葉なら、何度も聞いたことがある。
        
        「世の中にはいろんな人がいるからね」とか。
        「そういう人はどこかで必ず損をしているものさ」とか。
        「かわいそうな人なのさ」とか。
        
        こういう言葉を上手に使いこなして、問題など何一つないかのような顔をして日常生活を維持するのが一人前の大人であるらしい。
        そういう言葉を使うことを拒否し、諦めずにいると、そういう言葉を推奨している人たちの機嫌が悪くなってくる。
        だから、こういう言葉を推奨されてしまったら、もうそれ以上、話を続けることはできないということです。それが私の学習したこと。
        
        そのことも含めて、こういう言葉に触れるたびに自分が無力になるのを感じる。
        何も変わらない状況の中に、無力なまま自分が取り残されている。
        そうやって無力になって、無力になって……その果てに、何が残る?
        
        
        > 騙されたと思って、試しにやってみる?
        
        上に挙げたような、誰もが少なくとも表面的には認める種類のことだけではない。
        何度も指摘されながら、相変わらず世間で繰り返されている悪しき習慣についても、全く同じ仕組みがあります。
        
        長時間労働とか。貨幣経済とか。環境に厳しい肉食とか。フェアじゃないトレードとか。あれとか。これとか。
        ことあるごとに、何度となく、問題が指摘されている。
        しかし、そうした指摘自体が古臭く聞こえるようになってしまうほど、状況は相変わらず。
        指摘が古くなったのではなく、変わらない状況をこそ嘆くべきであるはずなのに、指摘すること自体が、ますます冷笑を誘うようになる。
        
        それぞれの問題について、個人レベルで活動できることがある。
        というより、この手のことはどこかのエライ団体が勝手に頑張って解決してくれるという種類のものではない。
        むしろ個人レベルで、一人一人の意識および日々の習慣が変化しない限り、どうにもならない。
        
        しかしそういうことを言ったりやったりしていると、あっと言う間に村八分になる。それが私の学習したこと。
        「世の中そんなもんだよ」と濁りきった目で言ってのけることが一人前の大人の証であるらしい。
        
        そのことも含めて、この言葉に触れるたびに自分が無力になるのを感じる。
        そうやって無力になって、無力になって……その果てに、何が残る?
        
        
        
       	> むしろ個人レベルで、一人一人の意識および日々の習慣が変化しない限り、どうにもならない。
        
        そうじゃない予感もあります。
        ある日、大きな戦争や災害が起きて、現行の社会秩序が崩壊し、
        今とは全く異なる仕組みの世の中が、突然、降ってわいたように、否応なく、出現してしまうかもしれない。
        案外、そういう形でしか、世の中の仕組みは変化しないものなのかもしれない。
        
        たとえトップダウンでも、世の中の仕組みが変われば、それに応じて、人々の心もまた、変化していくのでしょうか?
        案外、そういう形でしか、人の心は変化しないものなのかもしれない。
        
        しかし、それでは意味がないような気がする。
        一人一人の個人が、意識的に、よりよい未来を願って、責任を引き受けるようになる必要が、やはり、あるような気がします。
        そうでなければ生きている意味がないし、そうであってこそ、生きている意味があると思うのです。
        
        
        ……と、いうこともまた、何度となく、これまでに繰り返し結論されてきたことです。
        
        これ以上進めない。
        
        ここが行き止まりだ。
        ぐるぐる回って、ぐるぐる回って、ぐるぐるぐるぐる回って回って、いつもここで突き当たる。同じ場所だ。
        ここが行き止まりなんだ。
        
        なるほど。
        私にできるのは、ここまでだ。
        
        他人を操ることはできない。
        
        これが私の限界だ。
        
        私は私の意志で、私の心がけや行動を変えることができる。
        しかし、他人を操ることはできない。
        
        他人が絡んでくる領域になると、もう、私の手に負えない。
        
        私はあなたを操ることはできない。
        
        
        
        ああ、そうか。
        だから、願うことしかできないということなんですね。祈るしかないんですね。
        
        世界中の一人一人が、幸せであるように、と。
        私の知らない一人一人が、幸せであるように、と。
        私の知っている一人一人が、幸せであるように、と。
        
        私の好きな人が幸せであるように、と。
        私の嫌いな人が幸せであるように、と。
        私を嫌っている人が幸せであるように、と。
        
        行き止まりは絶望ではない。希望の発信地点だ。
        突き当たったら、あとはもう、願うだけ。
        そうか。そういうことか。
        
        ここから先は……そういうことか。
        
        それが他人ということなんですね。
        
        この世界の仕組みだ。
        
        この世界には人間がいる。
        人間には2種類ある。
        私とあなた。
        
        なぜ、そういう仕組みになっているのか?
        何のために、そういう仕組みになっているのか?
        
        理由は決まっている。
        もう少し詳しく言うなら、こうです。
        理由は決まっていない。
        決まった理由があるのではない。
        私は何を願うか?
        それが全てを決める。
        
        さて、この世界には人間がいて、それは私とあなたの2種類あるのでした。
        それが何のためであるのか? 私の願いは何でしょう?
        
        幸せを願うために、そういう仕組みになっている。
        もしこの世界に、1種類の人間しかいないのだったら、そういうことはできないでしょう。
        しかし、幸いなことに、2種類の人間がいる。私とあなたという2種類の人間がいる。
        なんて、なんて幸いなこと!
        おかげで、私は、あなたの幸せを願うことができる。
        こんな幸いなことってない。
        こんなふうに世界を作ってくれた存在があるのだとすれば、感謝せずにはいられません。
        いや、それもまた私の願いだったのかもしれません。
        宇宙の始めに、私が願った。
        幸せを願いたい。
        すると、その対象が生じた。
        あなたが生じた!
        ありがとう! 生じてくれてありがとう!
        私はあなたの幸せを願う。存分に願う。願うよ。
        それがこの世界の仕組みなんだ。それが私の願いなんだ。
        
        大丈夫。私は無力ではない。
        いや、無力なのかもしれない。
        無力だからこそ、願うことができる。
        なにしろ、あなたは、願いの対象なのでした。
        ならば、こう言いましょう。無力って素晴らしい!
        
        ああ、やばい。感謝の気持ちでいっぱいです。今にも鼻血が出そうです。
        この鼻血を、あなたにも分けて差し上げたい。
        
        うん。いい感じ。
        今日は、とっても素敵な洞察を授かりました。ありがとうございます。
        
        床を鼻血で汚す前に、このへんで切り上げることにします。