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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        典型的な迷惑行為は決して「小さなこと」ではなく「危険なこと」と言うべきではないか?
        
        たとえば騒音だとか、咳の撒き散らしだとか、受動喫煙だとか。
        
        こうしたことに苦情を申し立てると、
        少なからぬ頻度で、「そんな小さなことを気にするな」などと圧殺されます。
        
        こうした苦痛が「小さなこと」として否定される理由としては、まず次の2つが思い浮かびます。
        
        ・犯人の言い逃れ
        ・無関係の他人にはその苦しみが想像しにくい
        
        そしてもう1つ。
        実際、こうしたことは「小さなこと」なのだと思います。
        
        ただし!
        
        「だから気にするのが間違っている」というのは間違いです。
        正反対です。
        「だからこそ、全力で否定するべき」です。
        
        こうしたことが「小さなこと」だというのは、決して「害が小さい」という意味ではない。
        「関わることで得られるものが何もない」という意味です。
        
        この世には様々な「悪いこと」がありますが、
        悪でありながらも、人間にとって重要な意味を持っていることがあります。
        
        たとえば殺人や不倫や喧嘩や戦争は悪いことですが、
        ドラマ等の創作物のテーマとして普遍的です。
        悪いことなのだけれど、人間にとって意味がある、ということなのでしょう。
        
        しかし、騒音や咳の撒き散らしや受動喫煙をテーマにしたドラマ等の創作物があるでしょうか?
        少なくとも私の知る限りでは思い浮かびません。
        もちろん、世間にはたくさんの創作品がありますから、ないわけではないでしょう。
        しかし、仮にあったとしても、特殊なものでしかないのではないでしょうか? 良く言えば異色作、悪く言えばイロモノ。
        決して人生にとって重要な意味のある普遍的なテーマとはなり得ないでしょう。
        
        つまり、どういうことか?
        単なる害悪でしかない、ということです。
        騒音や咳の撒き散らしや受動喫煙といった典型的な迷惑行為は、
        それと関わることで人生が豊かになったり人間的に成長したりできるような、そういう種類の悪ではない。
        単なる! 単なる害! 百害そしてゼロ利!
        
        その意味で「小さなこと」というのは、まさしくその通りです。
        その通りなのですが、「だから気にする方が間違っている」というのは大間違いです。
        「だからこそ全力で否定するべき」なのです。
        
        「小さなこと」という表現は一面の事実を表しているとは言えますが、
        その危険性を過小評価してしまうという誤謬をまねく言い方です。
        
        こうした害悪は非常に「危険」です。
        ただ単に、私たちの人生にとってマイナスです。
        触れれば触れるほど、私の、あなたの、一度きりの貴重な人生の「よさ」が削ぎ落とされていく。
        
        関わっても得られるものは何もない。
        それでいて、向こうからやってきて、何の意味もなく、人生の意味を削り取っていく。
        もちろん、こうした害悪を撒き散らす行為に、いかなる正当化もあり得ない。
        人の人生の邪魔をする最低の行為です。
        人間の尊厳に泥を塗る最低の行為です。
        
        
        ですので、もし、あなたが、こうした日常的な迷惑行為に悩まされていて、
        さらに「私はこんな "小さなこと" にこだわっているダメな人間なのだろうか……?」と二重に悩んでいるとしたら……。
        私は声を大にして、あなたを応援します。
        
        あなたの悩みは正当です!
        あなたは「小さなことにこだわるダメな人間」なんかじゃない!
        むしろ自分の人生を真剣に生きようとしている誠実な人間です!
        そのあなたの人生を無粋に邪魔する行為を認める必要はありません!
        
        いや、これ私、自分に言ってるんですけどね。
        同じようなことで悩んでいる人は間違いなくたくさんいらっしゃると思うので、
        こういうふうに言ってみました。
        
        
        > そのあなたの人生を無粋に邪魔する行為を認める必要はありません!
        
        しかし、それで具体的にどう対処すればいいか、というのは非常に難しい問題なのですよね。
        一体どうすればいいんでしょうね、本当にもう。
        日常的に迷惑行為を繰り返していて行動を改める意志のない人間に、一体どう対処すればいいのか?
        
        こういう人間が、それでいて社会に溶け込んでいるという奇妙な現実。
        その迷惑行為のゆえに誰からも嫌われている……のであれば話は単純なのですが、実際はそういうケースはむしろ稀でしょう。
        
        ごく普通の善良な人間であるような顔をして世の中に溶け込んでいる。
        あなたや、生活を共にしている周囲の人に対しては迷惑行為を継続していて、
        しかし社会的には法を犯すわけでもなく、必ずしも仕事の能力が劣っているわけでもなく。
        
        基本的な道徳感覚が欠落していることは明白なのですが、
        それでいて、社会的な地位を保つことができてしまうような、なんらかの、からくりがある。
        
        それは一体何なのか?
        何か、これまでの「常識」を覆すような発想が、必要であるような気がしてなりません。
        
        (たとえば、それこそ、そういう人間には邪悪な霊が取り憑いている、とかなんとか……)
        (問題は、こうした突拍子もない仮説を立てると、それ以降の話を筋道立てて展開しにくいことです)
        (魔方陣を描いて念じれば、303号室の彼が静かになる、とでも?)