ほとんどの迷惑行為は、わざと行われているのではないか?
先に結論というか、私が思っている仮説を書きます。
・ほとんどの迷惑行為は、それが迷惑だと知った上でわざと行われている
・その犯人は低級霊である
では、順を追ってお話します。
迷惑行為について不満を述べると、次のような定番の批判を受けることがよくあります。
「あなただって気付かないうちに人に迷惑をかけている。お互い様なのだから文句を言ってはいけない」
もっともらしく聞こえます。
ですが、これは本当に本当なのでしょうか?
「気が付かないうちに誰かに迷惑をかけている」可能性。
確かにこれはゼロであると断言することはできません。
しかし、その度合いは、実際のところ、それほど高いものなのでしょうか?
たとえば、あなたの身の回りで、実際に迷惑なことをしている人を思い浮かべてみてください。
その大半は、(よくよく考えてみれば)わざと行われていること、ではないでしょうか?
たとえば騒音。
犯人が耳の不自由な人であるという場合は例外ですが、
音を出している本人にも音は聞こえているはずです。
というより音の発生源なのですから、誰よりも大きく直接に聞こえているはずです。
それで「音が出ていることに気付かない」などということがあり得るでしょうか? あり得ません。
音が出ているということは、その音が、自分以外の人の耳にも届くかもしれないということです。
自分以外の人なのだから、自分とは感性が異なっています。
自分とは感性が異なっているのだから、自分にとっては不快ではなくても、その人にとっては不快かもしれない。
実に簡単な理屈です。何一つ難しくありません。風は吹いてないし、桶屋も儲かってません。
だから、誰かにとって「騒音」として感じられるような音が出ているとき、
その音を出している本人が、「本当に気付いていない」というケースは、かなりの特殊なケースなのではないでしょうか?
自分の出す音で誰かが不快になっていることは知っている。しかし、行動を改める気はない。
実際、何度苦情を申し入れても改善しないケースが非常に多いと聞き及んでおります。もしかするとあなたも経験済み(経験中)ではないでしょうか?
つまり、騒音は基本的にわざと行われている。
もう一つ別の例を挙げます。
咳やくしゃみの撒き散らし。
「周囲に人がいる場所で咳やくしゃみをするときは口元を覆うべき」
これは誰かが最近になって突然言い出した思いつきというわけではなく、誰もが知っているはずのことです。
幼い子供は別として、社会に出るような年齢の人間で、上記の命題を一度も聞いたことがないなんて人は、少なくとも我が国にはいないはずです。
咳やくしゃみを撒き散らしている本人であっても、それは例外ではないはずです。
つまり、それが悪いことだと知った上で行っている。
もちろん、咳やくしゃみそれ自体は不随意の現象ですから、突発的に出てしまって、口元を覆うのが間に合わないこともあるでしょう。
ですが、それが通用するのは「一発目」だけです。
しかるに、あなたの職場にいる「撒き散らし野郎」はどうでしょうか?
「一発目」だけでなく、最初から最後まで徹頭徹尾ゲボゲホゴホゴホと撒き散らしていませんか?
つまり、そもそも口元を覆う気がないということです。
たまーに、思い出したかのようにグーを口元に持ってくるかもしれませんね。
しかしそんなポーズで咳で飛び散る唾液を防げると本気で思い込んでいるとしたら、その人は完全にkiが来るっています。
だからつまり、わざと撒き散らしている、ということです。いいですか、もう一度言います。わざと撒き散らしているんです。
マスクをするように進言しても、息苦しいだのなんだのと言い訳をして、頑なに撒き散らしを続けようとする。
さて、マスクをするように進言されて、自分の口から言い訳の言葉を述べたということは、
自分が撒き散らし行為をしているということを、わかっている、ということです。
そういう会話が為された以上、もはや「気付かずにやってしまっていた」などということはあり得ませんね。
このように、いわゆる迷惑行為というものは、基本的に言って、わざと行われるものだと思います。
もちろん、気付かずに迷惑をかけてしまっているケースも実在するでしょう。
ですがそうしたケースと、気付いていてわざわざ継続しているケースと、どちらをメインと呼ぶべきでしょうか?
人をして日常的に「迷惑だなぁ、やめてくれないかなぁ」と不快にならしめている迷惑行為の大半は、
本人も気付いていて、それでも行動を改めない種類のものなのではないか?
もちろん、これは実際に統計をとったわけでもなんでもなく、私の単なる勝手な推測です。
しかし体験的な実感として、「気付いていない迷惑行為」と「気付いている迷惑行為」とを比較すると、
後者の方が質・量ともに圧倒的に深刻なような気がするのです。
質的に深刻である理由。
気付いていないなら、何らかのキッカケで気付くことで行動が改まる希望があります。
しかし、気付いているのに改めないとなると、希望がありません。
量的に深刻である理由。
これはもう、統計をとって調査したわけではない以上、勝手な推測しか言えないのですが、
「本当に気が付かない」というケースは、そんなに簡単に成立するでしょうか?
一時的なことならまだしも、日常的に継続しているとなると、気が付くチャンスはいくらでもあるはず。
「気が付かないケース」が「気が付くケース」を量的に上回るとは、私には、あんまり思えません。根拠はないです。すみません。
しかし根拠がないと言えば「あなただって気付かないうちに人に迷惑をかけている」という批判だって同じぐらい根拠がない。
その根拠のない推測にもとづいて「だからお互い様だ」などというのは、おかしい。
ちなみに仮に本当に「お互い様」だとしても「だから文句を言ってはいけない」ということにはなりません。
お互いにかけ合っている迷惑の内容は別だからです。「どっちが悪いか」の比べっこ勝負ではないのです。
「私に悪い点がある」ことが「私が彼の悪さの改善を求めること」及び「被っている害の解消を求めること」を妨げる理由にはなりません。
「私が被っている害の解消」を求めているのであって、「私の悪さへ報いられる罰の多寡」に意義を申し立てているわけではない。
しかし、この話は今回の話からは離れるので、これ以上は立ち入りません。
さて、以上が、冒頭で述べた仮説のうち、
「ほとんどの迷惑行為は、それが迷惑だと知った上でわざと行われている」
についての説明です。
では、次の仮説「その犯人は低級霊である」についての説明に入ります。
ここで私が「低級霊」と呼んでいるのはどのような存在か?
人の意志が不在になったところへ取り憑いて、その人をマイルドに操って悪戯をするような、人間の目には見えない何らかの思念体。
そのようなものを指して「低級霊」という語を(暫定的に)用いています。
たとえばコックリさんを思い浮かべてみてください。
あれは複数人で指をコインに乗せると、その中の誰も自分で動かしているつもりはないのにコインが動く、という現象ですね。
実際には指を乗せている中の誰かが主導して動かしているか、あるいは関与の程度に差はあれども参加者みんなが協力し合って動かしているに決まっています。
少なくとも最初はそのはずです。
しかし、指を乗せている誰もが「自分が関与している」とは自覚しない。
そのように、人の意志が不在になったところへ取り憑く何らかの思念体のような存在があるのではないか?
ところで、少し話がさかのぼるのですが、
「気がつかないうちに迷惑をかけてしまう可能性」について、次のように考えてみたいと思います。
「気がつかない」ということは、どういうことか? 自分が何をしているのか自覚をしていない、ということです。
今自分は何をしていて、周囲に対してどのような影響があるのか? そうしたことへ意識が及んでいない状態。
たとえば、極端なケースとして、完全に自己制御を失ってランダムに動いている人、を想像してみましょう。
その動きはランダムです。そのランダムな動きが、周囲の人にとって不快である確率はどのぐらいでしょうか?
シンプルに考えて五分五分であるはずです。
善意も悪意もない無作為な行動なのですから、その結果がプラスになるかマイナスになるかは、完全に運任せ、大体五分五分。
乱暴な議論であることは承知の上ですが、あくまで大雑把に言って、五分五分のはずです。
しかし、そこへ上記のような「低級霊」が取り憑くとどうなるか?
確率だけなら五分五分だったのに、「低級霊」の悪戯のせいで、大幅にマイナスに傾くことでしょう。
つまり、ただ単に「周囲への気配りが足りない」だけなら、それが迷惑行為となる確率は、必ずしも高くない。
しかし、「周囲への気配りが足りない」ということは、すなわち「意志の力が弱い」ということです。
それは上記のような「低級霊」の恰好の餌食です。
すると、もともとは良くも悪くもない行為が、「低級霊」の悪戯のせいで、迷惑行為となってしまう。
しかし私が思うに、しょせん「低級霊」ですから、それほど力は強くない。
取り憑いた人の意識を完全に奪い取るほどの力はないのだと思います。
だから、一応、基本的な日常会話や日常生活は維持できる。完全にkiが来るった状態にはならない。
そして、本人に取り憑かれているという自覚はないでしょうけれど、しかし客観的に自分が何をしているのか、わかってないわけじゃない。
自分が人に迷惑をかけているということは、(実は)気が付いている。
しかし、自分が悪かった、ということを認めるのは、大きな精神力を必要とします。
もともと意志が弱いため、自分が悪かったと認めることができない。
取り憑かれていたとは言え、自分の行動を客観的に見つめることができない。目をそらしてしまう。
すると、また、そこに意識の空白が生じる。すると「低級霊」にとっては、ますます取り憑きやすい状態になる。
こうして、慢性的に取り憑かれた状態が持続してしまう。
これが、明らかに本人も気が付いているはずの迷惑行為、が、一向に改まらないメカニズム、なのではないか?
> ・ほとんどの迷惑行為は、それが迷惑だと知った上でわざと行われている
> ・その犯人は低級霊である
さて、仮にそうだとすると、どうすればいいのでしょう?
こうした「低級霊」とどのように付き合っていけばいいのか?
次はそれが課題ですね。
人間も「低級霊」も、それぞれに幸せでいられるといいのですけれど。
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