静穏特区構想。
音に対する感じ方や考え方が近い人同士でコミュニティを作って暮らせるといいと思います。
音を出したい人・周囲の音が気にならない人は、そういう人同士で。
静かに暮らしたい人・周囲の音が気になる人は、そういう人同士で。
私自身の本音としては、音を出すのは基本的に悪いことだと思っているので、
上記前者の「音を出したい人」に何らかのレッテルを貼るがごとく、一箇所に「収容」してやりたい、と(恨みを込めて)思っています。
が、現代の日本ではむしろ前者の方が多数派で、後者の方が圧倒的に不利な立場にあるようですので、
その願いが叶う見込みは限りなく低いと思っています。
ならばせめて、静かに暮らしたい人同士のコミュニティを作りたい。
そして私もそこに混ぜて欲しい。
騒音被害を解決するには引っ越すしかない、という話をよく聞きます。
しかし、引っ越した先でも同じような騒音被害を受けるかもしれない。
隣人を選ぶことはできないからです。
そういうことのためにも、静かに暮らしたい人同士のコミュニティが欲しい。
そこへ来れば静かに暮らすことができる。
そういう場所が欲しい。作りたい。
防音対策は金次第、という話をよく聞きます。
鉄筋コンクリートや二重サッシなど、防音のための設備投資にお金をかければ、静かな環境が手に入る、という話があります。
しかしこれは「だから貧乏人は我慢しろ」という暴論にも発展しかねない。
そして、自分は被害者のはずなのに自分がお金を投資しなければならないという理不尽さがあります。
そもそも周辺に騒音主が住んでいなければ、そんな設備投資をする必要はない。
静かに暮らす人同志のコミュニティでは、そんな設備投資は不要であるはずです。
コミュニティというと、どの程度の規模か?
最終的には世界征服をするが如く、地球全土が静穏ワールドになれば超最っ高ですが、
それは無理というものでしょう。
たとえば、コミュニティで小さなアパートを一棟丸ごと借り上げる。
そのアパートには、コミュニティのメンバーだけが住む。
こうすれば、少なくともこのアパートの内部に限っては、騒音に悩まされる心配はないはずです。
多少はあるにしても、トラブルに発展することなく、解決できる見込みが高い、と期待していいと思います。むしろそのためのコミュニティです。
なぜなら、音に対する感じ方や考え方が共通している(はず)だからです。
騒音が悩みの種になるのは、音を出さないように申し入れても聞き入れられなかったり、
一時的に聞き入れられても時間とともに元に戻ってしまったり、
あるいは周囲の第三者に理解してもらえなかったり、
といったことが積み重なってのことだと思います。
つまり音そのものが問題というよりは、話が通じないこと、で、苦しみが質的に増大する。
音に対する感じ方や考え方が共通している人同士でのコミュニティであれば、
そうした食い違いは限りなく少ないはずです。
軽く一言伝えれば「あ、ごめんなさい。気をつけます」で解決する。失敗は誰にでもある。失敗は単に失敗として淡々と向き合っていく。
言う方も言われる方も、それで気を悪くする必要はない。そういうコンセンサスのあるコミュニティ。
もちろん、これはアパートの内部に限ったことであって、
アパートの外部からやってくる音に対しては相変わらず無力です。(註:"無力感" は騒音被害を語る上でのキーワードの一つと言えるでしょう)
ですが、身近なところに、共感してくれる人がいるだけでも、精神的にはかなり心強いのではないでしょうか?
そして、コミュニティを作っていれば必ずしも無力ではないはずです。
同じ意見を主張する人間が一定数集まって団体を形成すれば、自治体などの組織からも無視されにくくなるでしょう。
将来的には、同じようなアパートや住宅地を他にも確保して、コミュニティの規模を広げていく。
そして、ゆくゆくは世界征服を……(ゲフンゲフン)。
世界征服は難しそうですが、アパート一棟丸ごと借り上げるぐらいであれば、
それほど非現実的じゃないですよね?
一棟丸ごとが無理なら、隣り合う2部屋だけでも意義があります。
隣接する片側の部屋だけでも、静かな人が住むことが保証される。
音なんて全然気にならないという人にとってはバカげた話にしか聞こえないと思いますが、
騒音被害に苦しんだ経験のある人、あるいは現に苦しんでいる人にとっては、
解決案の1つとして、かなり魅力的に思えるのではないでしょうか?
私には魅力的に思えます。
仮にそういうコミュニティが実現できてどこかに存在しているならば、
今すぐ引っ越すことはできないとしても、
「いつかはそこに引っ越して、この苦しみから脱することができる」
そういう希望を持つことができる。
それは大きな心の支えになるはずです。
「どうせどこに行っても同じ」という絶望感が苦しい。精神を蝕む。
実現および運営には課題はあるでしょうけれど、前向きに取り組む価値のある活動だと思います。
「そんなのは無理だ」ではなく「どうすればいいか」で向き合う。
|