「一週間」とは「7日間」のことではありません。
毎日のことです。
延々と繰り返される毎日のことです。
ところがそれがどうしたわけか、単なる7日間のことであると勘違いされやすいようです。
「単なる7日間」とはどういうことか?
延々と繰り返される毎日の中から、任意の7日間を切り取ったもの、ということです。
つまりその7日間が「月〜日曜日」のことなのだとすると、
まるで「月曜日」より以前に「何曜日でもないただの日」が過去の方向に延々と並んでおり、
「日曜日」より以降にも「何曜日でもないただの日」が未来の方向に延々と並んでいる、
という勘違い。
もちろん表立ってそのように思い込んでいるという人はいないでしょう。
しかし、「一週間」と言ったとき、そのように勘違いして時間をイメージしてしまうのではないか?
たとえば、「週五日勤務」と言うとき。
これはすなわち、「人生の7分の5」に他なりません。
大変な量です。 (註:厳密にはもっと多い。たとえば勤務日の前日は夜更かしが許されない。勤務日は非勤務日を侵食します)
しかしながら、そのようには理解されていないのではないか?
次のように勘違いされてしまっているのではないか?
"永遠に続く自由な日々の中から任意の連続した7日を切り取る。
その中から5日を「勤務日」として献上する"
もしこの通りなら、大したことはないですね。
だって「一週間」の前後には、どの曜日でもない自由なただの日が無限に並んでいるのだから。
馬鹿馬鹿しいと思うでしょうか?
自分はこんな馬鹿馬鹿しい勘違いなどしているはずがないと思うでしょうか?
本当にそうでしょうか?
日曜日の後は何の曜日でもない自由な日が無限に続いていて、ようやく自由の身になれる、
と期待して胸を躍らせて喜び勇んでいる。
けれど、もちろんそうはならない。
おかしいな、おかしいな、こんなはずじゃないのにな、と思いつつ、
あまりにもおかし過ぎるものだから、そんなことは思わなかったことにして、
自分を叩き起こした目覚まし時計を叩き返して、冷たい雨が降る中を無理して移動して、空気の悪い場所で笑顔を振りまいて、一週間後に同じことを繰り返す。
一つ大事なこと。
私がこんなことを言うのはなんのためかと言うと、いじわるで言っているのではないのです。
絶望感を煽ることが目的で言っているのではないのです。
気付きましょう、と言っているのです。
自分が檻の中に閉じ込められていることに、まずは気付くこと。
どうすれば外に出ることができるのか?
そして外へ出てどうするのか?
中にいるままではいけないのか?
それはわかりません。
これから考えていきましょう。
何はともあれ、まずは気付くこと。
気付かなければ何も始まらないと思うのです。
言われなくても気付いてるって?
本当でしょうか?
ある意味本当でしょう。
敢えて無視あるいは過小評価をしているということは、実は気付いているということですよね。
いやな気分になったならごめんなさい。
ただ、いじわるで言っているわけではないことと、
あなたと何かを競い合って、言い負かしたり、知識自慢をしたり、といったことをしたいわけではないです。
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