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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        考えないことの逆としての考えること。
        
        何も考えずに行動することは、充分、可能なようです。
        行動する前に考えない、行動した後に、自分が何をしたのかを、すぐに忘れる。
        そのような、こと・人、は、決して珍しいことではないようです。ありふれている。
        
        しかし、
        この話は、視点の方向が、偏っています。
        考える立場、から、考えない立場、へ、向けられた視点です。
        
        ということは、
        この視点から発せられる視線を逆に辿ることで、
        考える、とはどういうことなのか、を見ることができるのではないでしょうか?
        
        
        考える/考えない、は、単純な二極構造ではないように思います。
        その間も前後もある。
        
        たとえば、ある行動が、為された。
        そのとき、そこに、どれだけの考えがあったか?
        ある行動が、考えて行われた行動だったとする。
        そのとき、それよりも、さらに考えて行動することも、ありえた。
        それはきっと、無限に、「考える側」へ、遡ることができるはず。
        
        つまり、究極の「考えて行動する人」から見れば、
        地上の全ての人間は、考えが足りないままに行動していることになる。
        人間は全員キ○ガイだ。
        
        
        将棋のたとえ。
        ある局面で、ある手を指したとする。
        そのとき、どれだけ読みを入れていたか?
        終盤で詰みを読みきった場合意外は、どこかで、考えることをやめているはず。
        
        いつだって、多かれ少なかれ、考えが足りない。
        
        
        
        > ということは、
        > この視点から発せられる視線を逆に辿ることで、
        > 考える、とはどういうことなのか、を見ることができるのではないでしょうか?
        
        考えない行動と、考えた上での行動の違いは何でしょうか?
        いや、考えることは考えないこととの二者択一ではなく、程度問題なのでした。
        ではどういう言い方で問いを立てるのが適切でしょう?
        
        考えないことについて。
        考えない部分に何があったか? 何を「考えずに済ませた」か?
        
        考えることについて。
        考えずには済ませなかった、とはどういうことか?
        
        意識して、選び取る、ということではないでしょうか?
        自分の感覚や周囲の状況について、
        こうすると、どうなる、そうなると、こうなる、
        といったことを、どこまで、意識するか? 自覚するか?
        その上で、選び取る。
        
        
        考えることがそのようなものであるのはもちろんのこと、
        考えないことも、実はそのようなものだったりしますか?
        
        いつだって、多かれ少なかれ、考えが足りない。
        考えても、考え切れない部分について、
        意識して、切り捨てる。
        それまた、別の話、ケースバイケースでしょうか。