接客バイトの時給が低いのはどうしてなのでしょうか? 賃金でへりくだって見せているのでしょうか?
よくコンビニなどの店の前に、バイト募集の貼紙がありますよね。
安い時給で店員を雇っていることを、来る客みんなの目につく場所にさらしている。
それは店として恥ずかしいことではないのでしょうか?
客に接する従業員に、その程度のコストしかかけていないことを堂々と暴露している。
堂々と貼り出している。
そのことを恥ずかしいとは思わない思考回路。
それはどのような思考回路か?
「思考回路」は言い方として礼を失しているかもしれませんね。
人様を、あまりにも対象化しすぎている。
言い方を変えます。
そのことを恥ずかしがる必要のない脈絡。
それはどのような脈絡なのでしょうか?
(どうでしょうか? この言い方は……)
本題に戻ります。
> そのことを恥ずかしがる必要のない脈絡。
> それはどのような脈絡なのでしょうか?
それは、もしかすると、
「へりくだり」だったりするのでしょうか?
業務の性質上、客から見下される構造になっている。
それが、時給に反映されているのではないか? 心理的に。
我々はこの程度の人間でございます。
接客は客よりも立場を低くして奉仕しなければならない精神的にツライ業務。
それは事実。
事実は1つでも、そこから導かれる「次の一手」は1通りではない。
接客は客よりも立場を低くして奉仕しなければならない精神的にツライ業務。
だから → より高い給料が設定されるべきである
だから → 低い給料で身分の低さを表現するべきである
接客業の時給がほかの業種に比べて時給が低い傾向にあることの説明として、
あながち的外れではないのではないかという気がします。
より正確に言うと、
接客業の時給が低いことを「当然」とみなして疑わない風潮の説明。
「あいつらはその程度」という結果。
> 客に接する従業員に、その程度のコストしかかけていないことを堂々と暴露している。
あるいは、この程度の賃金にも関わらず立派に接客をこなす、
奉仕精神の豊かな人間を雇っていますよ、と言っていることになるのでしょうか?
そして、その貼紙を見た(横柄な)客が、存分にその横柄さを発揮する?
事実は1つでも「だから」は1つではない。
事実:その程度の賃金
だから → 上等な接客を期待するべきではない
だから → 店員を下等な人間と見なして、横柄に振舞ってもいいのだ
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