言葉が実在、というわけではない?
↑なんて言い出すぐらいですから、私は言葉こそが実在だと認識しているのですね。
他の何よりも、言葉に、リアリティーを感じる。
あなたにとっては、そうでもなかったりしますか?
というのはですね、
最近、BGM の素材を探して、いくつもの音楽素材サイトを拝見しているところなのです。
マインドルのための。
どんな曲がいいか?
私の関心事項は、曲そのものよりも、
曲を作った人に、思想的に共感できるかどうか、だったりします。
その曲を作った人が、どんな人なのかを知りたい。
だから、素材配布サイトの中で、ブログなど、その人が書いた文章を探して、読むのです。
それで、曲は素敵だと思えても、
文章から伝わってくるものを、精神的に受け付けられないことが、当然ながら、ある。
そこで冒頭の疑問。
> 言葉が実在、というわけではない?
どういうことか?
> だから、素材配布サイトの中で、ブログなど、その人が書いた文章を探して、読むのです。
この発想が、果たしてどうなのか? ということです。
曲と文章があったとして、
どちらが、「その人がどんな人か」を、より直接に表しているか?
私は、文章、だと思っていた・いる、のですね。ほとんど何の疑問もなく。
うん。このように疑問に付してみても、
やっぱり私には、言葉にこそ、リアリティーを感じます。
これはちょっと、覆しにくい。
でも、他の人は、そうとは限らないのかもしれない。
たとえば自分で曲を作ってネットで公開しているほどの人であれば、
音楽にこそ、リアリティーを感じていらっしゃる、のかもしれない。
極端な話、口先でいくら嘘をついても、その人にとっては、あんまり重要じゃないかもしれない。
言葉、というものが、その人にとっては、そんなに、こだわるもの、では、ない。のかもしれない。
その人にとっては、音楽こそが、こだわるものであって、言葉なんて、別にどうでもいい。のかもしれない。
宇宙の構成要素が音楽、という人間存在。
> やっぱり私には、言葉にこそ、リアリティーが感じられます。
> これはちょっと、覆しにくい。
>
> でも、他の人は、そうとは限らないのかもしれない。
私は、言葉の上でつじつまの合わないことを、そのままにしておくのは、
気持ち悪くてしょうがない。
宇宙の構成要素は言葉だから。
だけど、世間を見回してみると、つじつまの合わないことだらけ、ですよね?
そこが、昔っから不思議でしょうがありませんでした。
なんでみんな平気なの?
あるいは、平気な顔を保つことが「大人」である、というような言説。
それこそ、もうすでに、つじつまが崩壊した言葉なわけで、私には耐えられない。
ですが、
宇宙の構成要素が言葉じゃない、という人間存在、ならば、平気なのかもしれません。
耐える耐えないじゃなく、そこでは、合っていないつじつま、は、
単なる絵に描いた餅。言ってるだけ。リアリティーがない。問題にならない。
宇宙の構成要素が言葉である必然性は、もしかすると、ない。
私の口から「ない」と断言は、できないのですが、
せめて、相対化は、しておきたいと思います。
ある人にとっては、言葉は宇宙の構成要素ではなく、
人を脅して言うことを聞かせるための道具でしかないのかもしれない。
同情を集めて身の安全を確保するための道具でしかないのかもしれない。
人を言いくるめて要求を通すための道具でしかないのかもしれない。
連想をかき立てて気を紛らわせるための道具でしかないのかもしれない。
きっと、言葉が宇宙の構成要素ではない世界が、あるのですね?(本当に?)
> それで、曲は素敵だと思えても、
> 文章から伝わってくるものが好きになれないことが、当然ながら、ある。
無茶苦茶なこと言ってるけど、曲は素敵、
という作者さんが、仮に、いらしたとして、
その人のことを好きになることができるか?(好きになるにはどうすればいいか?)
という課題。
そして、それは、すべての人を好きになるにはどうすればいいか?
という課題でもあるのだと思います。
そこに宇宙を見つけること、と言うこともできるでしょうか。
言葉ではない何かで構成された宇宙を。
あなたを好きになりたい。
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