> それは、発想の貧困さ、を助長してしまうものではないか?
こういうのは、たぶん、理解はされにくいのだろうなと思います。
> 自分が想定していた種類のページが上位に出てくればいいのですが、
> そうではない場合も多々あります。
この時点で、
「それは不便なことだよね」
という文脈が、読んだ人の頭の中に、出来上がってしまう。
以降に書いてあることは、そのスキーマでしか、読解されない。
スキーマが出来上がってしまった以上、もう、取り返しがつかない。
そして、だんだんと、「何を言ってるのかわからない」と、なってしまう。
わからないことが、わからない、と自覚されるならまだしも、
「読まなくていい理由」「考慮に値しない理由」を作られてしまう。
そうなったら、もう、書かない方がマシだったんじゃないのか?
じゃあ、どう書けばよかったのでしょう?
どう書いても同じなんじゃないのかな。
どう書いても、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には絶対に伝わらない。
絶望。
> スキーマが出来上がってしまった以上、もう、取り返しがつかない。
言葉を尽くせば尽くすほど、「出来上がってしまったスキーマ」からの乖離が酷くなるばかり。
読んでいる人が、自ら、自分の頭の中にできているスキーマを 疑ってくれれば、希望はあるのですが、
それは、こちらが、どう言葉を尽くすか、とは無関係なこと。
関係があるように見えることもあるかもしれないけれど、それは結果論に過ぎません。
> スキーマが出来上がってしまった以上、もう、取り返しがつかない。
ネイティブ言語だからこその「わかったつもりになる」「自分の理解を疑わない」恐ろしさ、
とでも言えばいいのでしょうか。
だめだ。どう言ってもダメだ。
努力すればするほど悪くなる。
他人は操れない。
|