近況報告など
愛する地球の皆さん、こんにちわ。
いろいろとキリのいいところに来たので、
最近放置ぎみですが一番の「ホーム」であるこの場に近況まとめ的なことを書いておくの巻。
さて、長らく小出しにしてきたゲ制の動画シリーズ、
めでたく最終回まで到達し、ゲーム公開にこぎつけました。
その件に関しては動画の方で語っているので、ここで書くことは特にない……
と見せかけて、実は結構あります。
動画の方では私のことをよく知らない人の目に触れることを想定して、自粛した面も色々ありまして、
そのあたりの突っ込んだ話をこっち(個人ホムペ)の方で……、
と見せかけて、一度ああいうふうに動画としてまとめてしまうと、
あれで充分かな、という気分になってくるから不思議なものです。
本当はもうちょっと、こう、深い話というか、
ゲ制界隈を巡る世相に関して思うことなんかもお伝えしようかと思ってたんですけど、
そんなコトを「お伝え」してもしょうがないかなという気もしますね。
今はただ、
視聴してもらえるありがたみ。
高評価を押してもらえるありがたみ。
チャンネル登録してもらえるありがたみ。
それを何よりもお伝えしたいですね。
数字にこだわるとかじゃなく、その数字の一つ一つに「人の動き」があるわけです。
それがとても嬉しく、ありがたい。
実際に動画投稿をやってみて実感します。
ゲームのダウンロード数自体は今のところ、今までの宣伝方法と比して
特別目立った結果が出ているわけでもないかな?
という感じだったりもしますが、それはなんかもう、重要なことではないですね。
当初から「動画>ゲーム」という思想ではあったわけですが、
動画を観てもらえたこと自体に充実感を感じている次第であります。
いっそ最後の最後で、
「ゲームを作ってたというのは実はフィクションでした」
ってのでも良かったんじゃないか?(それは詐欺だ)
今後のこと。
大体動画の最後で語っている通りなのですが、
今現在、進行形で制作中のものも実はあります。
ただ、別件が忙しくなってしまって、思いのほか時間が確保できない状況だったりします。
別件とはコレのことです。
↓
バーチャルカリスマ凡夫の御託宣(YouTubeチャンネル)
個人ホムペやブログに文章を書いてもあんまり読まれにくく、Twitterでは文章量に限りがある。
それはゲ制の活動報告に限ったことではなく、時代とメディアの特性上、避けられないなという思いはありました。
スマホユーザーが増えたことも、「若者のテキスト離れ」に関係があるのかも?(画面が小さいから、の意)
しかしPCと身体が一体化して久しい私も、ここ最近は文章を読むより動画を観る(聞く)方が楽なので、
テキスト系の情報源よりも動画を優先的に摂取している状況だったりします。
というわけで、今までだったら個人ホムペに記事として書いてたようなことを、
音声読み上げソフトを使って、アバターが喋ってる体裁の動画にしていこう、という趣向です。
そんな感じなので、一度フォーマットを決めてしまえば手間はかからずに量産可能……
……と思ってたのですが、実際やってみると、それほど楽なものではないですね。
いや、楽をしようと思えばできるのだけれど、
やってるうちに欲が出てしまっているというのが実際のところかな。
特にテーマ。
当初はテーマを固定せずに、それこそ日誌の動画版みたいなノリで適当にやってみようか、
ぐらいの感覚で始めたんですが、
どうせやるんだったら「私がやるからにはこのテーマを」というものを選んで気合を入れてしまう。
一度気合を入れてしまうと、ゆるいノリに戻しづらくなっていく。
毎回、台本を書くのに命を削っている次第です。
ただ、やはり、動画という形式でYouTubeに出すと、
上澄みの先生方とは比較にならないとは言え、文章だけでネットに載せるよりは
多くの人に観てもらいやすいという実感と手応えがある。
とは言え、だからこそ、長く続けていくなら、
負担が少ないやり方を模索していかないと私が死んでしまいそうだなという危機感も。
ゲ制の時間も確保していきたいですしね。
観る側の立場でも、トークが淡々と長時間続くのは長文を読むのと同様に負担が大きい。
もうちょっと、こう、「Twitter寄り」というか、
受け手にとっても飲み込みやすい形式を模索していきたい。
……とかなんとか、これまた「欲が出て」しまってるわけですね。ぎゃふん。
以前、「ゲームも思想の表現」というようなことを申し上げましたが、
ゲームは「プレイする」という性質のものなので、
単に情報を「読む」「聞く」「受け取る」だけでなく、
特定の「文脈・状況」の中で「意志・目的」を持って「行動」する、という形、
つまり思想「の中」に身をおいて「体験」するツールになり得るのではないか、という気がしております。
「そのゲーム」、を、「する」、ということ。
に、かかり、
「それは(霊的に)どういう意味を持つのか?」
という問いを立てることができる。
おっと、霊的とか言っちゃった。オカルトガチ勢であることがバレてしまいますね。でへへ。
つまり、文章やトークで「受け取る」「伝える」ものと、
ゲームという形式で「体験する」ものと、
どちらも車の両輪として重要であろう、という気がしております。どちらの活動も意義がある。
さて、長文は負担が大きいと言いつつ、この文書が既に長文になってきているので、
お話は尽きませんが、今回はこのぐらいにしておこうかな。
ここまで読んでくれた貴方、愛してるぜ!
ん? いつもここでは何て言ってましたっけ?
「今日もあなたが幸せでありますように」だ。
というわけで。
今日もあなたが幸せでありますように!
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