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◆◆ したこと: ◆◆

        『学園棋神伝マインドル』の攻略情報ページを作りました
        
        
        前回ここで書いた文章を読んだ人が宇宙全体で果たしてどれぐらいいらっしゃるかと言えば、
        それはもう地球人の数の概念では表しきれないほどなのであり、
        そうであるならば、あのように書いた手前、放置しておくわけには参りません。
        
        というわけで、持ち前の義理堅さを発揮し、攻略情報ページを作った次第であります。
        これで地球のお友達も安心ですね。
        慈悲深い私はもちろん地球の皆さんにも理解できる言語で書いて差し上げましたよ。
        
        「教えて!仮面マインドラー」
        
        
        さて、攻略ページを実際に作るにあたって、どういうふうにしようかな〜、と色々考えました。
        ちなみに、いつもなら「マイ○ドル」のように一部伏せ字にするのに
        前回ここで攻略情報に触れた際には珍しく伏せ字にせずにフルネームで記載したのには深い深い理由があります。
        それは検索エンジンです。
        フルネームで記載しておけば、検索エンジンに拾ってもらえる可能性がある。
        ゲームの進行で困った地球のお友達が検索エンジンで検索した際に、
        あの文章が出てくる可能性を作っておこうとしたわけです。
        
        実際にそうなってくれるかどうかは検索エンジン氏のさじ加減一つではありますが、
        そうなってくれれば、ネット上の情報リソースとしては必要充分なのではないか?
        
        逆に言えば、改めて「攻略情報だぞ!」と体裁を整えて清書したページを作ったとしても、
        人々がマ○ンドルの攻略情報を求めることがあるとすれば、
        「私に(そのページに)」ではなく、
        「検索エンジン」に、尋ねることでしょう。
        
        では、その検索結果に出現する可能性のあるページを、
        前回の日誌ページ以外に、あらためて増やしておく必要性は、果たしてどれほどあるか?
        
        あるいは、このように問うこともできるでしょう。
        前回の日誌ページ以外に、「敢えて」増やしておくのであれば、「どのような」ページとするのか?
        
        というわけで3億年ほど考え抜いて3億年後には発明されていたタイムマシンで帰ってきた結果、
        どうせ作るのであれば、それ自体で「マ○ンドル」関連コンテンツとして、
        胸を張って地球の皆さんにお披露目できるような体裁のものとしよう、と決意した次第であります。
        
        ノベルゲームの攻略情報というと、
        選択肢ごとの正解や、イベントの出現条件などを列挙したりするような、
        「(味気ない)データ集」になりがちだと思うのですよ。
        「情報」としては機能的だとしても、
        「コンテンツ」としては、あくまで「裏情報」的な位置づけ、という感になる。
        
        特に、作者が事後に補足情報のような形で(こそっと)ブログ等に書き加えるような場合は
        そういう傾向が強いような気がします。
        つまり公開後に、内容に関して「わかりづらい」点などがあったかも……、という
        いわば、調整ミスに対する罪滅ぼし、のような意味合いで情報を出す、という経緯が、
        わりとよくあるパターンなのではないかな、と、テレパシーで読み取っています。
        
        その気持ちは同業(?)者として分かるし、
        私もそれに近い形(つまり前回のこのページ)で済ませようかとも思ったのですが、
        だからこそ、ここは敢えて、堂々と「お披露目するためのコンテンツ」として、
        作っておこうと思ったわけです。
        私は本当にカッコイイですね。
        
        私がカッコイイのはこの期に及んで言わずもがなですので深くは語らないことにしますが、
        前回も触れたように、新時代の個人ゲ制の在り方として、
        作者が自ら攻略情報を出していくスタイルというものが必要だと思うわけです。
        そのお手本を地球の皆さんにお示しすることも、カッコイイ私の義務であると理解しております。
        
        そんなわけで、愛する地球の皆さんのためにも、一肌脱いで差し上げた次第であります。
        カッコイイのも楽じゃありませんね。ヤレヤレ。
        
        
        さて、他に何かあったかな。
        
        何を語っても、結局のところ、私が口を出しても仕方がない、というところに落ち着いてしまうのではありますが、
        それを承知の上で、敢えて、言葉を展開してみようと思います。
        
        ……と思って今しがた、文庫本14冊分ほど書いてみたのですが、
        やはり、とりとめのない話になってしまうというか、
        あれこれを語った挙句、結局全体としてそういうものだよね、という着地点にしかなり得ない。
        
        というわけで、書いたものを消したところです。
        
        ちなみに何を書いて消したかと言うと、
        ・レトロゲームが「("若い人" に)クソゲー扱い」されがちな風潮
        ・発表の場としての「コンテスト」の需要の背景
        ・「作る事」を奨励する文化の飽和状態
        
        のような事に関して大長編を書いて消したのでした。
        消したままなのも私的に残念なので端折ってお伝えすると、
        
        >・レトロゲームが「("若い人" に)クソゲー扱い」されがちな風潮
        → Youtubeなどの(ネタ的)実況動画の影響は大きいのではないか?
        
        >・発表の場としての「コンテスト」の需要の背景
        → 「競う」ことの功罪も気にはなりますが、それ以前に「発表の機会」自体が不足しているのではないか?
        
        >・「作る事」を奨励する文化の飽和状態
        → それよりも今必要なのは「プレイする事」を奨励する文化なのではないか?
        
        みたいなお話でした。
        
        それらが「問題」なのかどうかということも含めて実のところ何とも言えないのではあり、
        部分的に「問題」と言える現象があるように見えるとしても、
        結局、その場にいる人々の選択の総体として、そうなっているのであり、
        私もあながち無関係ではないとは言え、
        直接的に「こうすべき、ああすべき」といった話をしても仕方がないのだろうと思います。
        
        個別の件に関し、私としては、
        「あなたたちは、本当にそれでいいの?」と、
        ついつい言いたくなる場面はあったりはするのですけど、
        仮に「そう」なのだとしても、それなら尚更、
        表面的に「風邪の症状」を抑え込めたとしても、必ずどこかで反動が生じるでしょう。
        
        
        さて、私はこれからどうしようかな?
        「祝福の」のPVと攻略サイトを作って、「マイ○ドル」の攻略記事も出しましたし、
        前々から気になっていた案件は差し当たり消化できたところであります。
        
        無理に「新作」を作ろうとはあんまり思わないかな。
        何か、この世に具現化する必要のあるものが見つかれば(意訳:案を思いつけば)、
        作るかもしれませんし、もう一生作らないかもしれません。
        「案」自体はいくらでもあると言えばあるのですけど、
        無闇に「生み出し」ても仕方がないかなという気はしています。
        
        この話は、上で端折ったトピックの3つめに絡むことでもあり、
        せっかく端折ったのをここでまた大長編にするのは避けたいところですね。
        作る事が悪い事だなどとは言いたくないのではありますが、
        「現状」を見るにつけ、「この中」へ「生み出す事」の意味する所とは……と
        考えてしまう面は否定できないと申しますか。
        自分だけでなく、他人にも大なり小なり影響があることですからね。
        っと、油断すると大長編の足音が……!
        「誤解」を避けるのは困難であり、140文字の世界では触れられない話題ではある。
        
        
        > 個別の件に関し、私としては、
        > 「あなたたちは、本当にそれでいいの?」と、
        > ついつい言いたくなる場面はあったりはするのですけど、
        > 仮に「そう」なのだとしても、それなら尚更、
        > 表面的に「風邪の症状」を抑え込めたとしても、必ずどこかで反動が生じるでしょう。
        
        ゲ制に限った話ではなく、結局のところ、
        現代の文明の在り方そのものの上に、何もかもが並んでいる。
        それが「風邪」なのか何なのかも、本当はところは分かりません。
        それで「いい」のか「わるい」のか?
        そんな価値判断とはまったく別の次元で、個々の部分がつながり、全体が動いている。
        さらに言えば、「現代の文明」をも「超えて、含む」何かはあるのかもしれません。
        
        世の中は「変わる」ものではありますが、「変える」ことはできません。
        その流れの一部を(自分なりに)生きることはできるとしても。
        
        また「風邪」のたとえで恐縮ですが、
        病気を治すのは医者でも薬でもなく、患者本人(の体)なのだ、という話がありますね。
        ましてや私などは「医者」ですらなく、このたとえ自体も怪しいのではある。

        「自分の頭で考え」ているようでいても、「時代の影響」は避けられず、
        あるいは結局「日本語で思考している」といった「文化」の影響も避けられない。
        自由に動き回っているようでいて、結局、地球の空気の中を泳いでいる。
        
        現代の文明がどこへ向かっているのか?
        それを想像すると、恐ろしいようでもあり、楽しみなようでもあります。
        
        さしあたり、そこにいる個々の人々が、
        それぞれの意味で「よく」あれますようにと祈りたいとは思います。
        
        それではまた。
        今日もあなたが幸せでありますように。