第一回暫定通しプレイ完了
今までは、各パラメータとして導通確認のためだけの仮の値が入っていたわけですが、
ここに当初からの方針(後述)に沿って値を入れ、最初から最後まで通しプレイをしてみました。
総プレイ時間は約3時間。
思ったよりデカかった。
内容を熟知している私が脇目も振らず突っ走ってこの結果なので、
普通にプレイすると5〜10時間ぐらいはかかる感じなのかな?
規模感としてどうなのか?
「短篇というわけではないRPG」としては、大体こんなもんかな?
ノベルゲームだったら間違いなく「長編」扱いですが、
RPGの場合、時間のレートが違うようではありますね。
ダンジョンは大小合わせて全部で実質的に約16あるので、
1箇所平均10分でクリアするとしても、全体で2時間40分かかる計算に。
規模に関しては大体想定通りというか、必然的な結果という感じではありますね。
プレイ自体が大変になってしまうのは避けたいという思いはあり、
私以外の人がプレイしたときに(情報不足が原因で)「詰まる」「迷う」ことのないようにはしたいですね。
その他、やはり実際に動かしてみると、想定外のことがイロイロとあるものですね。
なお、死ぬほど面白いというのは想定内のことなので驚くには値しないのであります。
面白いのはさておき、「不便さ」は随所に感じましたね。
UI的なことと、それからゲーム進行のナビゲーション的なこと。
UIに関しては、操作方法として使いにくいと感じる点に加え、
総じて、ゲーム内で「何が起きているのか?」をプレイヤーの意識に伝える部分に難がある気がしました。
テンポを落とさないように、という意図で、
エンカウント時のメッセージは自動的に流れていくようにしているのですが、
やはりちょっと、何が起きているのか把握しにくい感じはしますね。
いわゆるゲームの難易度的には低めにする(した)つもりなのですが、
そこが、かえって、「何か知らんけど、進んどる」という「プレイヤー置いてけぼり感」が醸し出される感じ。
例えば現状、フィールド上でステータスを確認するには
毎回メニューから選ばないといけないという不便さがあるのですが、
確認しなくてもそれなりに進めることができてしまうため、
プレイヤーという立場で「ゲームに関与している実感」を得にくくなっているのかなと思います。
エンカウントを経て「で、今どうなってるの?」が把握しにくく、
「でも、別にどうでもいいか」になってしまう。
難易度的な「手応え」ではなく、「していること」の意味を実感するという「手応え」の問題。
ゲーム進行のナビゲーション的なことに関して言うと、
私は内容を熟知しているのでスラスラ進める筈……と見せかけて忘れている部分もあり、
予想以上に引っかかる箇所がありましたね。
いわんや事前情報を持たないプレイヤーにとっては「道はどこにもない」ことを忘れないようにしたい。
NPCに世界観を壊すようなメタ発言をさせるのは極力避けたいんですが、
場合によっては、それも仕方ないかな。自然に導線を作れるといいんですけども。
で、話が前後しましたが、今回の主目的だったパラメータの調整ぶりの確認について。
いわゆる「難易度」的には低めにしておきたいと思っているのでした。
難易度というか、むしろ、テンポかな。
毎回のエンカウントのたびに、じっくり取り組むようなプレイは要求せず、
適正レベルであれば、一番上の行動を選ぶだけで、ほぼ1ターンで終了する感じに。
その方針に沿って、全体的に数値を設定したところ、
大体想定通りというか、数値的に計算した通りのプレイ内容になってくれました。
ただ、あまりにも「手応え」が無さすぎるかな? という懸念も。
「サクサク」と言うより「スカスカ」な感じ。
で、そこがさきほどお話したUIの話になってくるわけですね。
これは「(いわゆる「死にやすさ」という意味での)難易度」の問題ではなく、
ゲーム内で起きている事象がプレイ体験として意識に残らず素通りするという「手応えの無さ」
なのではないかという話。
これを作るにあたり、昔のRPGをいくつかプレイしなおしてみたんですが、
総じて「時間がかかる」ものが多いのですよね。
エンカウントのたびに、とにかく時間がかかる。フィールドでの移動も低速に感じる。
しかし、時間をかけさせることで没入感を醸し出そうとしているようにも見受けられ、
ゲーム速度というのもプレイ体験の演出の手段として見過ごせないものはあるのかなとは思うところです。
高速なのは良いことの筈ですが、
高速でありながら、プレイヤーの(能動的な)認識を素通りすることなく、
「何が起きているのか」を体験として認識・実感できるようにするにはどうすればいいか?
そのへんが今回の暫定通しプレイで得られた大まかな課題かなと思います。
「高難度」なものをクリアしたときの充実感は何ものにも代え難いものはありますが、
本質は「ゲーム=すること」の「実感=手応え」が得られるかどうかであって、
難易度(ハードル)というスパイスは必ずしも必要不可欠というわけではないのではないのかな、
という予感もしているところです。
逆に言うと、プレイ行為の細部に「意味を持たせよう」とするあまり、
「超えるべきハードル」を盛り込み過ぎ、結果的に、想定外に「高難度」になってしまい、
「こだわって作り込んだ」のに、だからこそ、
ほとんどの人が途中で投げ出すものになってしまうという「ミスマッチ」が起きる……
という個人製作ゲームの「あるある」の1つがあるあるような気がしています。
いわゆる「作者が一番うまいから難易度が高くなる」という説がありますが、
むしろ、作り手としての「不安」が「スパイス多め」につながったりもするのではないか。
……などと、あまり語りすぎると、誰かを批判しているみたいになってしまうかな。
あくまで(私を含めての)「一般論(よくある事)」としての話である、とは申し添えておきます。
「ガチガチ」なゲームも個人的には嫌いではありませんが、今回目指す方向は「ユルユル」です。
例えば、「結局使う必要のない技やアイテム」が大半を占めるぐらいで案外ちょうどいいのかもしれない。
「"無駄" ではなく "余裕"」というやつですね。
「無駄」などと言い出せばゲーム自体も生きること自体も「無駄」なのであり、
そこは大らかに構えてよいのではないか。
「意義」を作り出すために「苦」を設ける、というのは、「本当は必要ないこと」なのかもしれない。
ちなみにこのへんのことは「祝福のナワール」のストーリー面に関係することだったりもします。
(だから「ユルユル」である必要がある)
あるいは、「自由度」が広すぎても「これで本当にいいのか?」と不安につながる可能性もあるので、
絞り込む必要もあったりはするのかも。
などなど、実際にプレイしてみることで見えてきた課題は多々あり、
今後はそれらに対処していくフェイズに……
という思いはある一方、あまりそういう「プレイ感」的な、
「ゴールの無い」抽象的な事にこだわると、エターナり路線が待っている予感もいたします。
ここはひとまず、リリースしようと思えばリリースできる状態へと
残りの穴を埋めて具体的に体裁を整えるのが先決なのかな。
残りの穴とは、例えばいまだに固有名詞が決まっておらず、
「町その1」とかのままだったりする。
それこそ暫定でもいいので、何かそれっぽく埋めてしまおうかな。
「タビダーチの村」とか。いやいや、それは。
> という思いはある一方、あまりそういう「プレイ感」的な、
>「ゴールの無い」ことにこだわると、エターナり路線が待っている予感もいたします。
しかし、むしろ、その部分こそがゲ製としての本番なのではないかなとは思っており、
時間はここにこそ費やしたい気はしますね。
だからこそ、リリース自体はいつでも可能な状態にしておきたいかな。
「ゴールが無い」けれど、「いつでも現時点をゴールに」できる状態に。
さて、お話は尽きませんが、現状は大体そんな感じです。
他に何かなかったかな?
あります、あります。無限にあります。
ただ、地球の皆さんにお伝えする必要はないのかもしれない気はします。
地球の皆さんは、それぞれに、必要なことに、日々、取り組んでいる。
そうした「地球はこういうところだった」ということに関し、
皆さんに向けて、私から何か言うようなことはない気はしています。
21世紀も「初頭」と言える時期は過ぎ去りつつある昨今、
既に後戻りできない地点に来てしまっている感じはいたします。
ここ数十年の間に、何度も「分岐点」はあったと思うのですが、
既に選択の時は終わってしまったのかもしれません。
あるいは、大掛かりな「まやかし」が解けようとしている気配も感じます。
何らかの「結果」が出ようとしているのかもしれません。
ただ、いずれにせよ、何があるにせよ、
長期的には、究極的には、悪いようにはなり得ません。
なぜかと言えば、こうして宇宙が「在る」からです。無ではなく有だからです。
今日もあなたが幸せでありますように。
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