マインドルの対戦パート作成
学園モノと言えばマインドル。
いよいよゲームっぽくなって参りました。
そういえば、マインドル自体の画像を載せるのはこれが初めてなような気がします。
ずーっと全宇宙で私しか知らない状態だったというわけです。
宇宙で私の次にマインドルを見ることができるなんて、あなた方は本当にラッキーですね。
ゲームの内容はさておき、左側に立ってる人が対戦相手のキャラ、ということです。
わかりますよね? わかって欲しい。愛するあなたにわかって欲しい。
左右の位置については、わりと悩みどころではあります。
格闘ゲームとか落ちゲーなんかだと、大抵、左側がプレイヤーですよね。
横スクロールのアクションゲームでも、進行方法が「左→右」の場合が多いような気がします。
ただ、将棋系のゲームだと、大体、右側が自分の駒台になっているはず。すると相手キャラは左に配置、ということになる。
というわけで右側がプレイヤー(の駒台)。左側が相手キャラです。
どっちでもいいと言えばどっちでもいいですよね? はーい、どっちでもいいでーす。うむ。
今さら変えるのも面倒なので、慣れていただくこととします。
ただ、通常時はアングルが基本的に左向きなのですよね。
対戦イベントのときに逆向きになるのはどういう了見なのか?
では、こういうのはどうでしょう?
通常時は向き合っているというより、同じ側にいて並んでいる。
対戦時は盤面の向こう側に移動して、向き合う。
うむ。それだ! これで皆の衆も納得してくれることでしょう。
ちなみにペアバトルのときには味方キャラは右の駒台側に、左向きアングルで表示される予定。
うむ。つじつまが合って参りました。未来は明るい。
それからもう一つ、立ち絵が駒台に重なって邪魔じゃないかどうかが少々心配です。
これも今さらレイアウトをいじるのは精神的にツライ。
最悪、マウスを乗せると半透明になる、みたいな小粋な機能を追加しましょうかね。そんな元気がありますように。
着手時にカットインが発生したりもします。気合を受け止めてください。
画像は今のところ立ち絵の使い回し。
カットイン自体はLuaでいじれるようにしてあるので、余力があったら作り込むことにして、
さしあたりはこんな感じで突っ走る所存です。
試合中に喋ったりもする。
カットイン含め、試合中のキャラクターの挙動はLuaで制御することにしています。
例えば「詰みを読み切ったときのセリフ」とか「n手目で自分が不利なときに表情を変える」みたいな。
結局全員同じパターンになってしまいそうな気もしますけれど、
こういう形にしておけば、後でどうにでも変更できる、というわけで、精神的に気楽ではあります。
あんまり悩まずに突っ走るには好都合。実際に突っ走る精神エネルギーがあるかどうかはさておき。
ちなみにスクリプトにエラーがあるとエラーメッセージをしゃべり出してロボロボしい感じになるという楽しいオマケつき。
セリフなどの挙動とは別に、思考処理のAI自体はC++の別モジュールになっていて、
対戦相手のキャラが自分の手番のときに、設定されているAIに問い合わせる、というような処理です。
というわけで、ゲームの思考AI自体は現状のまま後回しとして、
さしあたり、ストーリー中のイベントして、セリフなどの挙動をスクリプトに落とし込む作業をしているところです。
最悪、指し手の内容は全員同じでも、「完成」と言い張るための表面的な体裁は整いますからね。おぬしもワルよのぅ。
ちなみに現状のAIの強さは、ブランクのある私よりは結構強いぐらいです。
こういうのは強さを追求するとキリがないですが、強さ自体に関しては、多分、現状で充分かなと思っております。
この手のゲームが得意じゃない人にとっては、これでも強すぎるぐらいなんじゃないかなという気がします。
というか、対戦イベントをクリアできなくてストーリーの続きが読めない、ということのないようにしたい。
問題は、たまに長考が発生することと、キャラごとの棋風の差を出しにくいことです。
長考と言ってもせいぜい10秒ぐらいですが、生の人間同士ならさておき、
画面の前で10秒間待たされるというのは、ゲームとしていかがなものか。10秒も何もせずに座ってたら悟りが開けてしまうじゃないですか。
棋風については現状でも、ある程度、設定ファイル上で読みの深さや特定の形状にバイアスをかける、
みたいなことはできるのですけど、これだけだと、見た目上「わかりにくい」ですからね。
序盤の駒組みを使い分ける、みたいな設定ができると「わかりやすく」なるのかな。
さて、どうしようかな。天才プログラマーとして頑張らないとイケませんね。ともかく、そのへんは後回しということで。
そんな感じで、今週は、対戦イベント回りのシステムを作り直しておりました。
死ぬほど久々にCode::Blocksを起動して死ぬほど久々にソースを見て、内容を全然思い出せなくて死ぬかと思いました。
3日前のソースは他人のソースと言いますが、3日どころじゃないですからね。もはや前世の記憶。何度か死んだらしいぞ、と。
間違いなく私が書いたソースではあるのですが、だからこそ、自分で思い出さない限り誰にも教えてもらえない。
全宇宙でただ一人、私がヤルしかない。この追い詰められ感がたまりませんね。ドキュメントを残しておくなど軟弱。
ともかく上記SSのような感じのことは実装できる状態になりましたよ。めでたしめでたし。
あとは同じパターンの設定ファイルをコピペすれば全対戦イベントやっつけ完了!
……と言いたいところですが、本文によると他にも特殊な試合形式があるらしいじゃないですか。
ペアバトルとか、口出しモードとか、相談バトルとか。
いつもながら本文担当の人は勝手なことばかり言ってくれますね。天才プログラマー使いが荒い。
というわけで、もう少しシステムの拡張をガンバりますよ。できるかな? ドキドキ。できなかったらご愛嬌。
ところで話は変わりますが、ついにジオシティーズが終了してしまいましたね。
よく拝見していたサイトの中には、そのまま消滅してしまったものもあります。
保存しておきたいものについては、直前にwgetで手元に保存しておいたのですが、
管理人ご本人が復活させる意志がないのに私が勝手にネットに上げるわけにもいきません。交流があったわけでもないですし。
さみしい話ではあります。
というか、いつの間にか「個人ホームページ」というものを、あんまり見かけなくなってしまいましたね。
ブログやSNSの方が手軽だから、というのは理解はできるのですけれども。
ただ、純粋に手軽で便利だから、というだけでなく、
何か、こう、ワードプレスやフェイスブックで情報を発信すること自体がモダンでオシャレなのダ!
みたいな風潮があるような気がして、それはちょっと本末転倒なんじゃないの? とは思わないでもありません。
それを言い出すと、かつての「個人ホームページ」も同じだったと言えば同じだったかもしれませんけど。
しかしワードプレスってそんなにイイものなんですかね? なんだか、うさんくさいイメージしかないんですけど。
検索エンジンで何かを検索すると、上位に出てくるのは大抵Neverまとめかワードプレスで、
「あなたは損をしている!」だとか「いまさら聞けない!」だとか、神経にさわる鬱陶しいタイトルがずらーっと並ぶ。
その内容はWikipediaからコピペしてきたようなテキストを切り貼りして、最後に「いかがでしたか?」のパターンです。
おかげで検索エンジンが使い物にならない。
有名な本からの引用があったりしますけど、おまえその本読んでないだろ、っていうね。
本文と関係ない画像が多用されていたりするのも、いかにもアヤシゲです。
札束の画像とか、サラリーマンふうの人が頭を抱えている画像とか、いら○とやさんの素材とか。
最近、い○すとやさんの素材を見かけるたびに拒絶反応が起きてしまうんですけど、どうしてくれるんですか。
そういえばRPGツクールでアレックス症候群てのがありましたね。
しかし、それを言うならコミPo!症候群というのもあるのかもしれません。人のこと言えないじゃないですか。ドキドキ。
もちろんワードプレス自体に罪があるわけではないですけどね。アレックス氏は無罪。コミPo!氏も無罪。私も無罪。あなたも無罪。
でも、単なる道具というより、結局、むしろ積極的に「ああいうふうに」ツクっちゃうのが、
何か、こう、「ネットを活用して情報発信してるゼ!」ってな感じなんでしょ?
ワードプレスを使うからと言って、わざわざ「ああいうふうに」ツクらなきゃならないってことはないはずなのですけど。
みんなアレックスが大好きなんですよ。仕方がないですね。
そんなわけで、私の中では「ワードプレスでツクってある=眉ツバ」という偏見が出来上がりつつありますので、
私に好印象を持ってもらいたかったらワードプレスは使わない方がいいですよ! 役に立つアドバイスをもらえてよかったのぉ皆の衆。
こんな時代だからこそ、「個人ホームページ」には頑張っていただきたいと思うのですが、
ジオシティーズが終了してしまったことですし、流れとしてはどうにもならないのかもしれません。
昔に逆戻りすることが正しいということにはならないとは思うのですが、
かと言って、現在の流れが、そんなに「善なる方向」に向かっているようにも、あんまり思えません。
表面的なオシャレっぽさにかけては洗練の度合いを高めつつも、内実は邪悪さを増しているように思えてなりません。
いかに人の「気をひいて」アクセスさせるか? たとえば「炎上商法」なんてのが一つの典型です。
不幸をふりまいてでも、注目を集めたもん勝ち、みたいなところがあります。
むしろその方がアクセスは集まりやすいという面はありますからね。そういうのが跳梁跋扈する必然性は理解はできます。
注目を集めるために変なことをする、ということ自体は昔からありましたけども、
そんなに、悪質なものではなかったはずです。わざわざ特定の人を傷つけるような乱暴なことを言って、煽る、みたいな。
そういう「煽り」が実現できてしまうというのは、SNSの負の側面ということでしょうか。
それから、今は昔以上にネットに「カネのニオイ」が漂ってますので、
注目を集めようとするにしても、必死さの次元が違うような気がいたします。
好きなことをやって笑いをとる、とか、そんなほのぼのしたものではなくなってます。
いかにして人に不安を植え付けて、アクセスさせるか?
昔はネット自体に「そこまでする」ほどの価値がなかった、ということではあろうかと思います。良くも悪くも。
ただ、今は昔と違って検索エンジンがカシコイですので、そんなに小細工をしなくても、
やがて関連するキーワードでそこそこ検索されるようになる「はず」なのですけど、
だからこそ、いかにして検索エンジンにスパムするか? を頑張ってしまうということにもなってしまうのでしょうか。
どうしょうもないですね。
検索結果の見出しタイトルの語尾に「?!」がついてるものはクリックする気になれません。
> かと言って、現在の流れが、そんなに「善なる方向」に向かっているようにも、あんまり思えません。
> 表面的なオシャレっぽさにかけて洗練の度合いを高めつつ、内実は邪悪さを増しているように思えてなりません。
じゃあ何が「善」なのかと言えば、話はわりと簡単でして、
要するに、誰もがそれぞれに、自分の好きなことを好きなようにしていて、
それで何の問題もなく、それぞれに幸せでいられる状態、ということです。
具体的にどういうものが、ということについては「それぞれ」ですが、
全体的なあり方としては、そういう状態が「善」以外の何物でもないはず。
インターネット自体はあくまで一つの道具に過ぎないとは言え、そういうものに資するポテンシャルを持っているはずで、
黎明期の熱狂というのは、まさにそういう意味合いのものだったはずですが、
じゃあ、現在、そういう状態が実現しているのかと言えば、むしろ逆行しているような感じがするわけです。
今、増えているのは、本人が好きで発信している情報というよりは、
「おまえはこれを見るべきなのだ」「見なければ損をするのだ」というような脅迫的なメッセージです。
息苦しい。
本人が自分の思いを書いているというよりは、世間的な「常識」を寄せ集めて切り貼りしていたり。
たとえば「今、○○が話題になっています」なんてのはよく見かけるフレーズですが、奇妙な表現ですよ。
「話題になっています」じゃなくて、おまえが今そうやって話題にしてるんだろ、っていうね。
つまり「私は」という個人の姿がそこにはないということです。
昔の「個人ホームページ」って、管理人が好きなことを好きなようにやってて、
理解はできなくても、なんか楽しそう、みたいなのって、よくあったじゃないですか。
今そういうのを全然見かけません。あるところにはあるのかな。あって欲しいな。
たまーに見つかるので、こそっとブックマークに入れる日々。
そのうちリンク集をつくろうかな。というか「リンク集」という単語の懐かしさときたら。
それから、特定のジャンルごとの集約サービスというか、ポータルサイトのようなものが林立して、
便利と言えば便利ではあるのですけども、型にハマってしまっているような感は否めません。
そのポータルがその分野のポータルとして権威を持つようになるにつれ、
敢えてそこを通して情報を発信すること自体が目指されるようになってしまうというか。
「個人」が「個人」として表に出る機会が削り取られている、と言えばいいでしょうか。
それの何が悪いのかと言われれば、何も悪くない、と言う他ないのですけれど。
ただ、あんまりワクワクはしません。
なんと言いますか、「キミらは大体こんな感じなんでしょ?」と最初っから言われていて、
言わせるだけにとどまらず、「はーい、その通りでーす」と喜んで従っていく、というような。
そうして衆生から情報を差し出させて、ポータルのトップページに
「人気の○○!」とか「注目の○○!」とか「よくアクセスされている○○!」などとケレン味たっぷりに貼り出すわけです。
私などはそういう空気に触れた瞬間にヘナヘナと気力が萎えてホームセンターにロープと踏み台を買いに行きたくなってしまうのですが、
でも、みなさんはそういうのが好きなんでしょ? みなさんの幸せは私の幸せ。みなさんがそれでいいなら私は何も申しません。
そこにワクワクがあるか? あるのでしょうか。あるのかもしれません。きっとあるのでしょう。
せめて規約に違反してガンガン削除されるようなものをビシビシ投稿していくぐらいの気概を持って楽しんでいただきたいな思います。
と、誰も読まないと思って好きなことを言う。
ではまた。
今日もあなたが幸せでありますように〜。あれ? これ久しぶりに言った気がします。今後とも言い続けますよ。
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