マインドルのCG作成
学園モノと言えばたんこぶチェックで至近距離。
結構がんばりました。主にメガネのレンズなど。
立ち絵の場合はフレームだけでごまかしていたのですが、ドアップでは逃げ場がございません。
メガネっ子と見せかけて、近くで見ると実は枠だけっ子だったなんて、せっかくのドキドキシーンが台無しです。
俺、先輩のこと信じてたのに……。ごめんなさい、いつか話そうと思ってたんだけど……。もういいです! ま、待って……! とかなんとか。
というわけで自慢のGIMPスキルで半透明のレイヤーをハメ込んだぜ。メガネっ子の看板に偽りは許されません。
しかし今気づいたのですが、度が入っているようには見えませんね。
さて、どうしましょう。このぐらいで勘弁してもらうことにしましょう。そうしましょう。
ところでイベントCGをこういう形で先に見せてしまうというのはいかがなものか?
と一瞬だけ思ったのですが、もったいぶるほどのものではないので、あまり深く考えないこととします。
ちなみにコミPo!でうつむきアングルにすると、なぜかアゴが伸びて違う人みたいになるので、
これも自慢のGIMPでケズっております。
それと見ての通り、髪型がデフォルトではないので、こちらもGIMPでガンバっております。
立ち絵のときは一度用意してしまえば後は使い回せたのですけど、
CGの場合は毎回オーダーメイドするしかなさそうです。
とは言え、デザインは確定しているので、迷いはありません。
立ち絵よりもアップになるケースが多くて、その分、ごまかしが効かず、
うまくできるかどうか不安でしたが、うまくできたので大満足です。うまくできてますよね? はーい、できてまーす。
よーし、同意を得たぜ。いつもご声援ありがとうございます。
さて、そんなふうにいつも通り耳元の生々しい声と戯れつつ、やみくもにCG作業に突入しております。
省略できそうなものは省略していこうとは思いますが、
事前に一つずつ精査して選り分けていたら命がいくつあっても足りないので、
「ヤリたいと思うもの」「ヤレそうだと思うのもの」から手当たり次第に片付けていこうと思います。
その上で、後に残った「ヤリにくそうなもの」について、省略を検討することとします。完璧なプランですね。
というわけで上記のSSも含めて、なんだかんだと13枚片付きました。
さらに、立ち絵作業の過程でついでに少々ヤっていた分も実はあるので、現時点で合計17枚。素晴らしい。
しかも全部で約200枚だと思ってましたが、正確に数えてみたら140枚でした。素晴らしい。たまには正確に数えてみるものですね。
とは言うものの、このペースだと結局56億7千万年かかってしまう計算ですね。
何か効率をアップさせる方法を模索したいところ。たとえば私の人数を増やすとか。
あっ、でもパソコンが一台しかないから結局同じなんじゃないですか?
いえいえ、寝ながら交代してヤレるのでノンストップですよ。おお、確かに。これは名案!
では私の人数を増やす方向でガンバッていこうと思います。未来は明るいですよ。
それはそれとして、今日もこの世はドウショウモナイですね。
ここでこのように「ドウショウモナイ」と言っているのはどういう意味かと言うと、
「本当はどうしょうもなくなんかないはずなのに」という地平からの発言ということになろうかと思います。
本当にどうしょうもないというのは、たとえば純粋な自然現象や物理法則のようなもののことです。
たとえば人は死ぬ。はい、どうしょうもないですね。
だから、そんなことはどうでもいいんですよ。いや、どうでもはよくないですけど、
しかし特段大騒ぎするようなことではありません。誰が悪いわけでも何が悪いわけでもありません。
そんなことより、問題なのはもっと人為的なものです。
たとえば戦争だとか差別だとか虐待だとか騒音だとか受動喫煙だとか寒いダジャレだとか。
それは人間が作り出している不幸です。人間が作り出しているのだから人間がなくすこともできる……はず。
はずです。が、そうは問屋が卸さない。そうはイカのドラゴンボール。
こんな状況を望んでいる人間がいるはずがない……と思う。その「はず」、と思う。
しかし状況は変化しない。
不思議で仕方がない。
裏で何者かが陰謀を企てて人々を操っているのではないか、とさえ思ってしまうほどです。
仮にそういう何者かがいるのだとしても、大多数の人が望まないはずの状況がなぜ変化しないのか? 一体なぜ?
人間がやっていることなのだから、人間の意志でやめることができるはず。
しかし、そうはイカのドラゴンボール。
つまり「何かが」「ドウショウモナイ」。
何か圧倒的で度し難いドウショウモナさがそこにある、ということです。
これは理性の及ばない領域です。
理性で判断するならば、戦争であれ寒いダジャレであれ、決してあってはならないものであることがわかるはずです。
しかし、そうはなっていない、という事実がある。
つまり、理性ではない「何か」がそこにあるということです。理性では把握できない「何か」がそこにあるということです。
理性の判断によればありえないはずのことが、しかし事実として世間を席巻しているのです。
理性で理解することも制御することもできない。
まさにドウショウモナイ。
では仮に、理性以外の何かに実効的な力があり、それにより理性が目指すのとは別の形で何らかの改善が可能なのだとすれば?
しかしそれは理性が納得できるものなのでしょうか? 私たちが理性を持っているということの意味は何だったというのか?
今の現状が「このようであること」が理性の理解を超えており、
一体全体何がどうしてそうなっちゃってるのかが理解できないのと同じように、
もしかすると、ある日、何か、これまた理解不能な形で、「このようであること」の様相が、
劇的に、あるいはいつの間にか、「改善」される、というようなことが、ないとも言い切れません。
だとしたら、しかし、じゃあ、理性とは一体何だったのか??? 人間の意志とは何だったのか???
そんな結果に、私は果たして納得できるでしょうか?
「おちょくってんのか!!」と言いたくなってしまうような気がします。
しかし、さしあたりは、そのような意外な改善の予兆さえ見当たりません。
本当にどうしょうもない。
どうしようかな。
だからどうしょうもないんですってば。ああそうか。困ったな。困ったな。困ったなぁ。
とりあえず、窓の外が明るくなる前に寝たいと思います。
今日もあなたが幸せでありますように〜。
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