マインドルの立ち絵作成
学園モノと言えば四天王の残り。
四天王といえども全員均等に出番があると思ったら大間違い。
コスチュームが決まらずに後回しになっていた分を片付けました。
というか、この人の色違いです。
全員模様を変えてたら命がいくつあっても足りません。
と、こんな感じで後回しにしていた分をサクサクと片付けております。
なお、サクサクというのは嘘です。
あと少し。枚数はそれほど多くはないのですが、「どうしたもんかな〜」という感じのものが残っております。
たとえば2キャラで腕を組んでいるところ、とか。一体誰がこんなスクリプトを書いたんだ。このやろ〜。
そういうのはもう画像をナシにしてご覧になる方の想像力にお任せするというのはどうか?
下手に絵を入れるよりはマシかもしれません。いっそそれも辞さぬ構えで。
さて。
今日もこの宇宙はどうしょうもないですね。
ネットを見ていると、ときどき切ないものを見つけることがあります。
典型的な例としては、こういう感じです。
・ブログ。記事数は少ない。すでに最後の更新から数年放置されている
・わりと勇ましい内容の文章が書かれている
・コメント欄が荒れている
・プロフィールによると高確率で大学生
・高確率で一人称が「俺」
なんだか胸がキュンキュンしてきます。
それで例えばブログのタイトルの下にあるキャッチフレーズみたいなところに、
「大学生の○○○が世の中のことについて常識にとらわれず鋭く考察するブログ」
みたいな感じのものが書かれているんです。もう胸の鼓動が高鳴るのを隠すことはできません。どうしよう聞こえちゃう。
そこへさらに「俺の文章を読んで不快に思う人もいるかもしれませんが、あくまで俺個人の考えですので」
とか、いかにも後付けで追記してあったりして、もうたまりません。耳しゃぶらせて。
残念なのは私が見つけた時点ではすでに更新が停止しているケースが大半ということです。
しかし、だからこそいい味が出ているとも言えます。
なぜ更新をヤメてしまったのでしょう?
始めたときの勇ましい気持ちはどのような経過をたどり、今はどこでどうしているのでしょう?
もう大学は卒業したのでしょうか? 今でも一人称は「俺」なのでしょうか?
やはりたまりません。耳しゃぶらせて。はむはむ。
記事の内容としては、例えば、例えばですけど、こういう感じです。
「差別というものは昔から存在したものだ。人類はこうして進化してきたのだ。
ある意味では必要なものであり、これからも完全になくすことはできないのではないかと俺は思う」
実際はもっと長い文章で、ご本人のお考えが展開されているのですが、骨子としてはこういう感じです。
「骨子としてはこういう感じ」というのは主張の内容自体ではなく、
・世間的な常識に反するような主張を掲げて
・自分なりに考えた理由や根拠を展開する
という全体的な構成のことです。
そしてもちろん、コメント欄は荒れます。
小学校の学級会のように荒れます。はーい、○○くんは人の気持ちを考えないのでヒドイと思いまーす。そう思いマース。そう思いマース。
当然ながらブログ主さんは果敢に応戦します。誠実に対応します。正面から丁寧に返信します。
しかし会話が成立するはずはありません。しかも多勢に無勢。コメント欄は荒れる一方です。
というか、それでもコメント欄をオープンにしている、というところが、何というのでしょう。
やはり耳をしゃぶりたくてたまらない気持ちになります。まさに胸キュン。
コメント欄に群がる人々は寄ってたかってブログ主さんのことを、
人として基本的なことさえわかってないゴミクズであるかのように言い募りますが、
ブログ主さんが、その手のコメントの内容程度のことは充分に承知した上で記事を書いていることは明らかです。
その上で、敢えて「世間的な常識に反するような主張を掲げて」いる。
この時点で充分にリスキーなわけですが、ただちょっとマズイことに、
「自分なりに考えた理由や根拠を展開する」段階で、ちょっと「口を滑らせている」ようなところがあるような気はします。
ここで「口を滑らせている」と言ったのはどういう意味かと言いますと、
本当にその理由・根拠で、自分の心の底から納得できているのか、ということです。
ブログ主さんは、本当のところ、もともと、何を言いたかったのか? 何を感じていたのか?
それを言語化する段階で、「罠にはまった」のではないか、という気がいたします。
ブログ主さんの「もともとの動機」は何だったのでしょう?
いつものように得意のイマギナティオーンを発動して霊視してみるに、この例でいうと、
「異口同音に "差別=悪" と口を揃える "世間的な風潮" に対して、"なんとなく違和感を感じた"」
というようなことではなかったのか? と思います。あ、思いますじゃなくてクッキリ視えたんでした。ゴホン。
感じていた違和感そのもの、は、決して嘘ではないでしょう。これ自体は善悪や正誤の問題ではありません。
むしろ自分の感性に敏感かつ正直であるという純粋さの証。だからホラ、こんなに耳がおいしそう。はむはむ。
その純粋な感性で感受した違和感です。それ自体は実際にご本人が肌身にしみて感じていたものであることでしょう。
紛う事なき実感としての「違和感」。
それでいて、「いわく言い難い」何か。
「な〜んか変だな〜、ムズムズ」ということです。
ご本人はそれに取り組んだ。言語化しようとした。
そして、出てきたのが「人類の進化に必要なことなのだ」という「理由」です。
表面的な理屈の上では「つじつまが合っている」はずです。だからこそ「罠」なんです。
表面的な理屈の上では「つじつまが合っている」はずです。だからこそブログ主さんをして勇敢にネットに参戦せしめたのでしょう。
だからこそ「罠」なんです。
もともと感じていた「いわく言い難い違和感」自体は嘘偽りのないご本人の実感であったはずです。
しかしその後に出てきた「理由」の方は、果たしてどうであったのか?
腹の底で感じていた違和感の正体を照らし出す光であったでしょうか?
コメント欄に大量発生する「学級会のはーい」とのブログ主さんの果敢な応戦を見る限り、
「議論」を繰り返せば繰り返すほど、持ち出した「理由」の正誤や、ぶつけられる感情的な言葉との応酬にからめ捕られ、
「そもそもの違和感の正体」には迫るどころか、離れてしまっている印象を受けます。
もちろん学級会の参加メンバーたちとの間で、そうした問題意識が共有されることは絶対にありません。
さらに私がテレパシーで見たところによると、ブログ主ご本人も、自分のもともとの動機がどこにあったのかを見失っているようです。
いや、最初から「そのような自覚」は明確には意識されていなかったのではないかとは思います。
個々別々具体的なテーマに「気をとられて」いた。斬り込むべき本丸は実のところどこにあったのか?
ブログ主さんは他にもいくつかのテーマで同じように「俺の個人的な意見」を果敢に展開した記事をアップします。
そしてどれも同じようなパターンでコメント欄が荒れます。
やがて、ぷっつりと更新が途絶えます。
コメント欄で群れをなして「学級会のはーい」をしていた連中はそれを見届けたでしょうか?
さぞかし満足していることでしょうね。邪悪な「何か」の哄笑が廃墟に低く轟くのが聞こえます。実に忌々しい限りです。
まるで威勢よく翼を広げて飛び立とうとするイキのいい若者を引きずり下ろして、
寄ってたかって「世間の常識」を叩き込もうとするイニシエーションを見ているかのようです。
発生の現場はインターネットという現代的な環境ですが、同じようなことは太古の昔から繰り返されてきたのかもしれません。
これが本当の古のイニシエーションってやつです。ギャフン。
あ、ちなみに「古」って書いて「いにしえ」って読むんですよ!
万一伝わらない人がいるとイケませんので解説しておきました。これでバッチリ。
つまりこれも「ドウショウモナイ現象」の諸相の一つということです。
・いわく言い難い違和感を覚える
・自分なりに理由を考えて人に話す
・世間の連中に寄ってたかって袋叩きにされる
・まさに古のイニシエーション
ご覧の通り同じパターンです。
「正しいことを言っているはず」なのに、何を言っても伝わらない。本当にどうしょうもない。
最後にはバッチリと寒いダジャレまでついております。本当にどうしょうもない。
ちなみにこういう場合の「正しいことを言っているはず」というのは、「俺個人の意見」の内容そのものというより、
「俺個人の意見を言ってるだけなのに、そんなに感情的に否定しなくていいじゃないか」という
「議論をする上でのフェアな態度」ということに結果的にシフトしてしまう傾向があるようではあります。
そしてもちろんのこと、そうした「議論をするための心がけ」を説いても「学級会のはーい」の騒乱を鎮めることは不可能です。
最初に「いわく言い難い違和感」を感じ取ったまではよかった。
しかし、それを言語化する段階で、わかりやすいロジックの罠にハマってしまった。
明晰さが戦士の目を曇らせる。もはや敵の正体を見極められる望みはない。
完全無敵の装備に身を固めた。意気揚々と旅に出る。
しかし実のところ裸同然の無防備。
物理攻撃の効かない霊属性の敵の群れの中ではがねのつるぎを振り回すようなもの。
こんなはずじゃなかったのに。勇者撃沈。
このような戦士の墓標がネットのジャングルにはいくつも眠っているのでしょうね。
本当に悲しいことです。
イニシエーションを施されてしまった勇者諸氏の皆様はその後どこでどうしていらっしゃるのでしょう?
力を蓄えて別のどこかで活動を再開しているのでしょうか?
ひっそりと息を潜めて過ごしているのでしょうか?
それともイニシエーションを施す側に身をやつして、どこかのSNSにつまらないコメントを書く大人になってしまうのでしょうか?
あなたは伝説の勇者の末裔なのに。そんなことをするために生まれてきたというのですか?
本当に悲しいことです。
つまり「ドウショウモナイ現象」に立ち向かうことがイカに難しいことであるかということです。
数多の勇者が命を落とした。体の命ではありません。心の命を落とした。それは死ぬよりも悪いことです。
わかりやすいロジックに惑わされてはイケない。「正しいことを言えば人に伝わる」という期待は諦めなければならない。
不屈の闘士を燃やし続けて、わからなさの無限の暗闇に向かって、目を閉じず、たった一人で歩き続けなければならない。
それにしても一体どうしてこの世はこのようなのでしょう?
なお、何度でも言っておきますがダジャレです。
本当にわけがわかりません。
しかし一つだけわかっていることがあります。あなたが幸せであって欲しい。
あらゆる不確実さを削ぎ落としたあと、にもかかわらず、あるいはだからこそ、明らかであること。
あなたの幸せを願う。この宇宙あり。
もちろん、この宇宙なんて別に存在しなくてもよいのです。
しかしどういうわけか存在してしまっている。
ならばあなたの幸せを願うしかありません。
イニシエーションを施されてしまった勇者のみなさんが幸せでありますように。
イニシエーションを施しやがる世間の連中が幸せでありますように。
今日もあなたが幸せでありますように。
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