マインドルの立ち絵作成
学園モノと言えば帰り道での偶然の遭遇。
元素材はコミPo!に入っていた「夏制服」です(左端)。
学校指定にしてはエラくアバンギャルドな制服です。むしろ私服として活用できるのではないかと以前から虎視眈々と狙っておりました。
というわけで制服っぽさをさらに無くすために胸元のリボンと襟をGIMPで削除。
さらに鎖骨を装備すれば向かうところ敵なし。
ちなみに鎖骨はキャラ3先輩から受け継ぎました。持つべきものは鎖骨の輝く先輩ですね。
あなたの身近にそのような先輩がいらっしゃいましたら、卒業の際にはぜひ少し分けてもらうとよいですよ。
それにしても、どうしてこの世はこのようなのでしょうね。もちろんダジャレです。
先週に引き続き、同じネタを繰り返す。
つまり、この世がこのようであるという現前の事実が何一つ変わっていないということに他なりません。
やりきれません。
みなさん、コンビニってご存知ですか?
いつ行っても開いてて、不動産以外は大抵何でも売ってる上に種々雑多なサービスを受けることができる高級店です。
私は普段はそのような高級店に足を踏み入れることはないのですが、
金だけは持ち歩くのに困るほど持っておりますのでATMの活用が欠かせません。
そこで、たまにATMを利用するためにコンビニに入ります。
で、大体ATMって店内の隅っこにあるじゃないですか。隅っこのちょっと狭いところにあるじゃないですか。
先日自転車に乗ってコンビニに乗り付けてよーし今日もタンマリと出金して街に繰り出して豪遊するぜ!
とワクワクしながら店に入ったのですよ。
そしたら、ATMが設置してある狭い通路の壁に制服姿の小娘が寄っかかって、携帯デバイスに夢中になってるんですよ。
なんて言うか。
一瞬で全身から気力が完全に抜け出て、何もする気がしなくなりました。
タメ息さえもままならないほど体が重い。
その場に56億7千万年ほど立ち尽くしていたような気がしますが、弥勒は降臨しなかったので実際には3秒ほどだったのと思います。
体のバランスを保つのに苦慮しながらその場で回れ右して店を出ました。
なんて言うか。
圧倒的な「どうしようもなさ」を目の当たりにしました。
いや別にね、その小娘がどうしても邪魔で困るというわけではないのですよ。
その気になれば蹴散らしてATMを使えばいいでしょう。
別に蹴散らさなくても一言声をかけてどいてもらってもいいでしょう。
ただ、そこまでしてATMを使いたかったというわけではないのです。
強いてその小娘が「邪魔」か「邪魔じゃない」かの2つに1に限定して言うならば、明らかに「邪魔」です。
ただ、
強いてその娘が「重罪を犯している」か「重罪を犯していない」かの2つに1つに限定して言うならば、明らかに「スマホに夢中」です。
だからつまり、それ以上でもそれ以下でもないということです。
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
ちなみに私はテレパシーが使えるから明確にわかるのですが、
その小娘は別に「ATMを利用しにきたやつらの邪魔をしてやる! 誰にもATMを使わせるものか!」と思ってそこに仁王立ちしていたわけではないのです。
むしろ誰の邪魔をするつもりもなくて、「ここならスマホに夢中になってもいいワヨね!」と思っていただけなのです。
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
決して「他人の存在に無頓着」というわけではないのですよ。だから隅っこで夢中になっている。
そもそも本当に「他人に無頓着」なんだったら、裸で歩いてるはずです。
しかもキレイな制服なんかをお召しになってるってことは、どこぞのお上品な学校の生徒さんなのでございましょう?
それでいて派手な感じではない。
ご存知の通り、私はイマギナティオーンが使えるので明確にわかるのですが、その小娘はとってもいい子です。
世間の常識をわきまえている、どこに出しても恥ずかしくないお嬢さんです。
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
その小娘は何しろ小娘ですから、自分でATMを使うということはないのでしょう。
だから、店のど真ん中の通路でスマホに夢中になっているというわけではなくてですね、
あくまでも「店の隅っこ」でスマホに夢中になっているのです。
そこは「店の隅っこ」なのであって「狭い通路のATMの前」では決してないのです。
ATMというもの自体が、その小娘の小宇宙(コスモ)には存在していないのです。
残念ですがこんなコスモじゃゴールドセイントには傷一つつけられません。
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
その日、自分がそこでスマホに夢中になっていたために、ATMを使うのを諦めた人がいた、
ということをこの先の人生で一生知ることなく生きて、そして死んでいくのでしょう。
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
念のために言っておきますが、私にはその小娘を裁くことはできません。
裁くのは私の役目ではない。私にできるのは、ただ「見る」ことだけです。
私に見えたのは「この世がこのようである」ということです。つまりダジャレです。
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
どうしょうもなくこの世はこのようなのです。もちろんダジャレです。
今日も相変わらず、布団という吹き飛ぶはずのないものが吹き飛ぶという「ことになって」いる。
そのような「常識」という人工の孤島の上で、人々がひしめき合っている。
「悪い人」なんてどこにもいない。
一人一人の人間は「どこに出しても恥ずかしくない」お嬢さんです。性別は知りませんが、ともかく誰もがお嬢さんです。
でもお嬢さんだから自分でATMを使うことなんてないし、
そこにATMがあるということ自体がコスモに含まれてないし、
「ここならいいワヨね」なのです。
ゴールドセイントには傷一つつけられない。
見えるものは限られている。誰だってすべてを見通すことはできません。ゴールドセイントの拳は光速を超えている。
かと言ってセブンセンシズを開発しろなどと、そんな過酷な試練を身近な大切な人たちに要求できるでしょうか?
だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
どうして人間には目が2つしかないのでしょう?
昔は3つあったんですよ。
それがいつの頃からか1つ失くなってしまった。いつ頃かと言えば、大体紀元前1200年頃です。
オデュッセウスが旅をしていた頃にはまだあったようですが、ダビデがゴリアテにとどめを刺した頃から「中央の目」の時代は終わりました。
それ以来、人間は前を向いて生きなければならなくなりました。
しかし時あたかも21世紀。人間にスマホという第四の目が与えられてしまった。
第四の目はとてもよく見える目で、今までの2つの目で見ていた世界よりも重要なものが見えているように思える、と言います。
第四の目を人間に与えたのは何者なのでしょう?
第四の目を人間に与えたのは何が目的なのでしょう?
第四の目は人間の発明なのでしょうか? それともハイテク宇宙人の陰謀なのでしょうか?
第四の目はとてもよく見える目で、今までの2つの目で見ていた世界よりも重要なものが見えているように思える、と言います。
だから、その目が人間に見せる世界によると、
「ここならいいワヨね」なのであり、
「そこにATMがあるということ自体がコスモに含まれない」のであり、
第四の目で熱心に世界を見るお嬢さんはどこへ出しても恥ずかしくないいい子であり、
私は第四の世界に生きる人々の誰にも知られることなくATMの使用を諦めて今日も偽札で用を足すのです。
私の使うお金は偽札であり、
どこを歩いても前からは徒歩の人間が迫ってきて、
後ろからは自転車に乗った人間が迫ってきて、
横にそれようとすれば四つ足の獣の首に伸縮性のロープをつけて連れ回している人間が迫ってきて、
もう一度後ろへ戻ろうとすれば、狭い道幅いっぱいの大きな車体を乗り回した人間がクラクションを鳴らしながら迫ってくる。
いや、そんなことはどうでもいいのです。
問題はもっと根本的なことです。つまり、この世はどうしてこのようなのか? もちろんダジャレです。
ところでなんでこんな話になっているのかと言えば、
今回に関して言えば、ATMの前の小娘です。
ふと思ったのですが、これっていわゆる「たかがその程度のこと」ってやつですか?
なるほど。反論する意欲が排水口に吸い込まれるように消え失せていきます。
確かにその通り。
きっとその小娘だって、もっと別の重大なことが身の回りで発生すれば、チャーンと反応することでしょう。
じゃあ、その「たかがその程度のこと」と「もっと何か重大なこと」の境界線はどこにあるのか?
そんなものは自明です。問うまでもない。
たまに災害が発生して数百人死ぬのは「重大なこと」であり、
毎年何万人も自殺で死んでいるのは「たかがその程度のこと」です。
何に注意力を割り振り、何から注意力を逸らすか?
切り替えは完璧です。さすが日頃から拡声器放送で「ご注意ください」とトレーニングを受けているだけのことはあります。
加えて、おそらくスマホの画面には災害の被災地への募金を促す広告が表示されているのでしょう。
もちろん被災地の復興のため政府がお金を発行するように促す署名キャンペーンの広告などといった有害極まる情報はシャットアウトです。
第四の目はとてもよく見える目で、その目に入ってくる情報に従ってさえいれば間違いは一つも起こりません。
もはや前を向いて歩く必要さえない。
いいですか? もう一度言っておきます。
も は や 前 を 向 い て 歩 く 必 要 さ え な い。
我々はそうした便利極まる環境に到達してしまった。
もはや後戻りは不可能です。つまりどうしょうもない。
我々はどこから来てどこへ行こうというのでしょう?
この問いを少し変形して、次のように言ってみましょう。
スマホはどこから来てどこへ行こうというのでしょう?
つまり「どうしょうもない」ということです。
果てしなく「どうしょうもない」。
根源的に「どうしょうもない」。
圧倒的に「どうしょうもない」。
さらに今キーボードで入力していて変換したら「銅賞もない」などと言われる始末。
銅賞さえもないってぐらいですから、同然ながら金賞は僅少であり銀賞も今や吟唱でもするしかない有様なのでしょう。
これだからAnthyはヤメられません。
一体どうすればよいというのでしょう?
だから、どうしょうもない、んですってば。
はい、そうなのでした。
あらゆる物事は正確に構築されており、12月31日の次は1月1日なのでした。
どうしても13月にたどり着くことができない。
やっと一週間が終わったと思ったら、すぐにまた月曜日になる。
どうしてもここから出られない。
圧倒的にどうしょうもない。
「見る」ことはできても、「動かす」ことはできない。
どうしてこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
こうなった原因。眼前の現状。それが維持される仕組み。
根源的なトリムルティが完璧なトライアングルフォーメーションを構築してこの世を囲っています。
圧倒的にどうしょうもない。
このどうしょうもないことに対して何をしてもどうしょうもない。
だってどうしょうもないのだから。
このどうしょうもない中で、せめて何ができるか。
せめて、どうか、あの小娘が幸せであって欲しいと思います。
せめて、どうか、ハイテク宇宙人が幸せであって欲しいと思います。
どうか、お願いですから、あの小娘が幸せでありますように。
どうか、お願いですから、ハイテク宇宙人が幸せでありますように。
どうか、お願いですから、私の大切な人たちが幸せでありますように。
どうか、お願いですから、私の嫌いな人たちが幸せでありますように。
どうか、お願いですから、私を嫌っている人たちが幸せでありますように。
だからと言って、このどうしょうもないことが1ドットでもどうにかなる、などということはありません。
なにしろ「どうしょうもない」のです。
ただ、それはそれとしてですね。
今日もあなたが幸せでありますように。
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