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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば同居。
        
        
        
        というわけで寝間着です。
        寝間着に見えますよね? はーい、見えまーす。
        うむ。満場一致。これだから民主主義はヤメられません。
        
        
        
        今回は下がズボンということで、白制服ではなく私服から作成。
        色を変換して前開きのボタンを描き込めばアラ不思議、パジャマでごめんくださいってなもんです。
        襟元は夏服から拝借。ボタンはどうしたんだったかな? 
        よく覚えてませんがすでに作業に年季が入っておりますので素材には事欠きません。
        ネジぐらいそこらへんに落ちてるでしょ、ってなもんです。
        というわけで寝間着に見えますよね? はーい、見えまーす。
        うむ。賛成多数。これだから民主主義はヤメられません。
        
        あと、言うタイミングを逃してたんですが、自宅内ということで自慢のちょんまげを下ろしております。
        
        
        普段外では見せない姿にドキドキが止まりません。ちょんまげっ子の必殺技が炸裂です。
        というか思った以上に人相が変わってしまった気がするのですが、同一人物ってことで通じますよね?
        人相が変わってしまう件に関しては本文中に何の言及もありません。
        そもそも本文の作業をしている段階では、ちょんまげという設定がなかったのでした。
        大丈夫かな。どうしましょう。できれば本文はイジリたくありません。
        一瞬の戸惑いは期待しつつも、同一人物ということは伝わって欲しい。
        伝わりますよね? はーい、伝わりまーす。ああよかった。民主主義って本当にありがたいですね。
        現代のこの国に生まれたことを心から誇りに思います。
        じゃあそういうわけでお金ください。あれ? いつもの返事はどうしたんですか? このやろ〜。
        
        それにしても偽札って難しいですね。
        作るのが難しいだけでなく、使うのも難しい。
        よしんば使うのに成功したとしても、使った偽札が、そのお店の売上として残ってしまいます。
        するとどうなるか?
        そのお店のご主人がそれを別の場所で使おうとして、そこでバレる可能性がある。
        そこでバレなかったとしても、偽札は天下の回りものですから、いつかはバレる可能性がある。
        お札の寿命は大体1~5年ぐらいだそうです。その間、果たして一度もバレずに逃げきれるものでしょうか?
        最終的に日本銀行に回収された段階で偽札のチェックをしているのかどうかは知りませんが、チェックをしているなら確実にバレるでしょう。
        そして当然警察沙汰でしょう。
        その時点では作ったのが私だということまではバレなかったとしても、
        警察沙汰になってしまうということ自体が問題です。警戒されている中では使えません。
        つまり、長続きしない、ということです。
        苦労して作っても、せいぜい数えるほどしか使えない。
        
        絶対にバレない完璧に本物ソックリな偽札を作るのはもちろん難しいですが、
        そこまでのクオリティを求めないならば話は別、という考え方があります。
        パッと見たところではニセモノには見えない程度のものを、
        偽札だとは疑われていない状況で、さりげなく使ってしまう、ということです。
        確かに、それなら成功する可能性はあるかもしれません。
        ですが、上記の理由により、何回も繰り返すことはできません。
        せいぜい一年に一回程度の頻度で、県単位で場所を変えて実行できるかどうか、というところでしょう。
        交通費で足が出てしまうんじゃないですか?
        リターンが少ない上に、リスクもコストも大きすぎます。
        
        一体どうすればいいんだ!
        
        民主主義の国で、私がこんなにもお金が欲しいと言っているのになぜお金をくれないのですか?
        民が主と言いながら、その民の中に私は含まれていないなんて。このやろ〜。
        
        それにしても、なぜこの世はこのようなのでしょう? もちろんダジャレです。
        偽札に関してはですね、今後ともですね、継続してですね、取り組んでいきたいと思うわけですが、
        それを含めた、包括的な問題として、どうしても考えずにはいられません。
        なぜこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        幼虫に注意を要するのと同じぐらい重大な問題です。バスがガス爆発を起こしかねない。おっとこれはダジャレじゃなかった。
        
        ガス爆発のついでに申し上げれば、青赤黄の巻き紙のために今この瞬間も幾人もの人が舌から血を流しているわけですが、
        そもそも巻き紙って何なんですか? 身の危険を犯してまで発音しなけれなならないほどのものなのですか?
        正体すらわからないもののために、そのような問いを発することさえ許されず、今も数え切れない人が苦しんでいる。
        やりきれません。
        これはほんの一例に過ぎません。
        たとえば布団なんてそう滅多に吹き飛ぶハズもないのに、さも重大なリスクであるかのごとく脅迫的なメッセージが流布され、
        それを防ぐための役にも立たないスキルやノウハウで人々が互いに互いを値踏みするよう仕向けられています。
        同じようなことは枚挙に暇がありません。
        だからこそ問わねばならないのです。
        なぜこの世はこのようなのでしょう? もちろんダジャレです。
        ついでながら、なぜあの世はあのようなのか? ということも合わせて問わねばなりません。
        この世がこのようであることを理解するには、あの世があのようであることについての洞察が不可欠です。
        
        そのようにオカルトも辞さない態度で虚心坦懐にこの世について思いを巡らせると、
        どうしても、いわゆる陰謀論のような考えに思い至ります。
        
        表現の仕方はいろいろあります。
        たとえば、謎の組織が裏側からメディアや社会を操って人々を搾取している、だとか、
        たとえば、悪の宇宙人が地球人にマイクロチップを埋め込んで利用している、だとか、
        たとえば、霊界から捕食的存在がやってきて人類を苦しめて苦痛の感情を餌にしている、だとか、
        表現の仕方はそれぞれですが、言っていることは同じです。
        
        一人一人の人間はそれぞれに懸命に生きているだけなのに、
        全体として、個々の人間が幸せにならない。そういう仕組みになっている。
        「私たち」の努力が「私たち」の利益にならない。
        まるで「私たち」以外の何者かに操られて利用されてでもいるかのよう、ということです。
        
        本当にそういう「何者か」というものが実在するか否か、というのは、割とどうでもいいことです。
        いや、どうでもよくはないのですけど、ここは敢えて、どうでもいいと言い切っておきたいと思います。
        なぜかと言うと、そこに囚われると話が泥沼にしかならないからです。
        
        問題の核心は、人々の振る舞いにマクロな視点を向けたときの「やりきれなさ」です。
        「なんでだよ!」と叫びたくなる。
        しかし、いくら叫んでも変化は起きません。むしろ叫べば叫ぶほど逆効果になる。
        だからこその「陰謀」なのでした。
        人々はメディアで洗脳されており、宇宙人のマイクロチップで操られており、霊的捕食者の「外来の心」で意志を奪われているのでした。
        陰謀を告発する声には反発を示すように仕向けられており、告発者は手際よく排除されてしまう。
        そこまでを含めての「陰謀」なのでした。まさに家に帰るまでが遠足というやつです。おそるべき引率!
        
        全体を俯瞰して、問題に気付いて、「こんなのはおかしい!」と声を上げる。
        そこまでは威勢がいい。
        「言えば伝わる」と思っているうちは威勢がいい。
        自分なりに物事を考えて問題点に気付いたというプライドがある。「真実の告発者」としての使命感に燃える。
        目の奥に使命感の炎が燃えたぎっている限りは戦える。価値のあることをしているという信念が保たれる。
        
        しかし、どうにもならない。
        だって「陰謀」だから。
        
        あらゆる社会問題は謎の組織の自作自演で、権力の中枢は宇宙人に乗っ取られていて、あらゆる悪行は霊的捕食者が仕組んだ罠。
        個々の人間がいくら努力や善行を積み重ねても、結局は謎の組織や宇宙人や霊的捕食者の餌になってしまう。
        だから告発する。
        しかし、告発しても誰も聞く耳を持たないようになっている、というところまで含めて連中の作り上げたシステムの一部なのでした。
        どうしょうもない。
        
        A=BでB=CのときはA=C以外ありえないというのと同じぐらいどうしょうもない。
        12月31日の翌日は1月1日であるというのと同じぐらいどうしょうもない。
        初恋のあの子が今では肝っ玉母さんになっているのと同じぐらいどうしょうもない。
        
        閉ざされた可能性。閉塞したサイクル。幾重にも傷つけられた夢。
        何も手に入らず、どこへも行けず、何もない。
        
        つまり「どうしょうもない」ということです。
        圧倒的に「どうしょうもない」。
        もう一度言います。
        圧・倒・的に「どうしょうもない」。
        
        卑近な言い方をするなら「理想と現実のギャップ」ということになるでしょうか。
        わかりやすいですね。ぶっちゃけそんな感じと言えばそんな感じなのかもしれません。
        ですが、この言い方は卑近に過ぎます。
        何が卑近かと言えば、第一に「現実」の側を無条件に所与の基準として黙認しているという点で卑近であり、
        第二に「理想」という言葉でそれを「都合の良い夢物語」としている点で卑近であり、
        さらにそれを個人的な挫折譚に押し込めるとするならば、輪をかけて卑近です。
        このフレーズ自体が、問題を小さく見せて、この問題に真剣に向き合うことは愚かしいことである、というキャンペーンになっています。
        これだから「陰謀」ってヤツは油断も隙もない。
        
        より中立的な言い方を心がけるなら、こうでしょう。
        「本来はこうじゃなきゃおかしいことと」と「実際にはそうなっていない現状」との埋めがたいギャップ。
        その「埋めがたい」というのが、圧倒的にどうしょうもない、ということです。
        努力次第で、などというような甘っちょろいものではない。
        ギロチンで首を切られた後、気合で生き続けることができるかと言えばそんなことは不可能であるというのと同じぐらいどうしょうもない。
        じゃあ首を切られてもいいのかと言えば、いいわけがない。だからこそ「どうしょうもない」。
        諦めることさえできない。この「どうしょうも」なさ!
        
        そのどうしょうもなさを手の届かない闇の権力と呼んでもいいでしょう。
        地球人の科学技術をはるかに上回る宇宙人のハイテク兵器と呼んでもいいでしょう。
        無意識レベルで人間の心を食い物にする霊的捕食者の超常能力と呼んでもいいでしょう。
        表現の仕方は何でもいいです。
        ただ、ただ、どうしょうもない。もう、ひたすら、どうしょうもない。
        
        つまり「どうしょうもない」というのが、この件における本質的な核心の1つのようです。
        
        義憤にかられて、どうにかしようとして必死になればなるほど、嘲笑と迫害の的になる。
        利益を守ろうとして戦っている、当のその人々から白眼視される。
        何しろ人々はメディアに洗脳されており、宇宙人のマイクロチップを埋め込まれており、霊的捕食者に意志を乗っ取られているのでした。
        システムは1ミクロンの隙もなく完璧に構築されており、
        もがけばもがくほど、その流れを加速させることにしかならない。
        勝利の凱旋ではなく、嘲りの投石が勇者を出迎える。
        
        どうしょうもない。
        
        圧倒的にどうしょうもない。
        
        果てしなくどうしょうもない。
        
        根源的にどうしょうもない。
        
        
        だけど、こんなのってあんまりじゃないですか。
        
        私に石を投げたければ投げればいい。
        だけど、こうしている間にも、巻き紙の発音をするために人々が舌から血を流してるんです。
        それが一体何なのかという問いを持つことさえ許されず、ただひたすら素早く発音するよう急き立てられて……
        あかまきがみ、あおまきがみ、きまきまっ……! 
        
        こんなのって!! あんまりじゃないですか!!!!
        
        大体なんでバスがガス爆発するんですか? ガソリンじゃないんですか?
        と思って今ちょっと検索してみたら天然ガスのバスってのがあるんですね。
        じゃあバスがガス爆発ってのも、あながちあり得ない話ではないということですか。ドカーン。
        だからって! だからって! だからって!
        
        今日も街では坊主の絵を描ける異形のジョーズが我が物顔で泳ぎ回り、
        庭では鶏が乱獲されて生命が死に絶え、
        防災無線は幼虫へのご注意を放送し、
        メディアでは本来吹き飛ぶハズのない布団をいかに吹き飛ばないように保持するかという役にも立たないノウハウが、
        知らなければ恥をかく一般常識であるかのように喧伝され、人々が互いに互いを値踏みするよう仕向けられている。
        
        こんなのってないですよ!!
        あんまりですよ!!
        
        涙が止まらない。
        
        
        義憤の叫びは許されない。
        許される言葉は1つだけ。わかってるでしょう?
        あおまきがみ? はい。
        失意の唇からかすれた声を出す。
        ……あかまきがみ、きまきまっ……!
        
        こんなのってないですよ!!!!!
        こんなのってないですよ!!!!!!!
        
        
        やっぱり誤魔化すことなんてできっこない。
        今こそ心の底から叫べ。
        
        こんなのはおかしい!!!!!!
        
        ぜーはーぜーはー。
        
        
        ひとまず、事態を俯瞰してまとめてみましょう。
        要点は2つ。
        
        ・こんなのはおかしい
        ・どうしょうもない
        
        さらに「ごまかすことなんてできっこない」というのも外せません。
        
        ・こんなのはおかしい
        ・どうしょうもない
        ・ごまかせっこない
        
        順番には気を遣うところですが、念のため誤解のないように五回ほど言っておくと、
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        あと4回。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        
        
        ごまかすことができるのであれば、「どうしょうもない」ことを受け入れてしまえばいい。
        黄巻紙の発音を練習し、俺だって練習すればできるようになったんだ、とか言って、舌を噛んでる人を探しては見下すような大人になればいい。
        でも、そんなことはできないのでした。
        たとえ投石で迎えられるのだとしても、もはや勇者であることを辞めることなどできないのでした。
        なぜなら「こんなのってない」のだから。
        
        と同時に「どうしょうもない」のでした。
        この点も同じぐらい誤魔化せません。下手な希望は欺瞞にしかなりません。
        
        希望はない。希望なんてないのです。
        ただ、「こんなのってない」ということを誤魔化すことのできない自分だけは、せめて、
        少しでもその影響を受けないように心がけることは可能です。
        なお、「心がけることが可能」なのであって、「影響を受けない」ことが可能というわけではありません。
        何度でも言いますが、希望なんてないのです。
        もちろん、影響を受けないように心がけることで、周囲の人間を感化して状況を変えていく……なんてことも望めません。
        結果的にそういうことが起きないとも限りませんが、それもまた「陰謀」の範囲内であることを免れません。
        自分の声が他人に届くことはなく、この世がこのようであることを変えることもできません。どうしょうもない。
        よしんば法律を変えたり指導者をすげ替えることに成功したとしても、それは表面的なことに過ぎません。
        あの世があのようであることをも含めた全体としての人間の有り様を変えることはできません。何しろ相手は宇宙人なのですから。
        どんなに上手に発音したって到底太刀打ちできません。きまきまっ!
        
        それから「こんなのってない」という気持ちを失くしてしまっては何にもなりません。
        なぜ「こんなのってない」と思うのでしょう?
        それは人々を愛しているからではなかったか?
        たとえ石を投げられても、その愛を失わずにいられるでしょうか?
        マイクロチップで操られたエージェントとの勝ち目のない戦いを通して、
        「こんなのってない」がいつの間にか「いい気味だ」に変化してしまうかもしれない。
        そんなことでは何にもなりません。
        勇者の役割は人を裁くことではありません。そんなことは宇宙人に任せておけばいい。
        石つぶての中でこそ、人を愛さねばなりません。
        私の好きだった人の幸せを願い、私の嫌いな人の幸せを願い、私を嫌っている人の幸せを願い、あなたの幸せを願う。
        卑屈にもならず尊大にもならず、目を開けて、顔を上げて、戦士の道を一人で進んでいくしかない。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        誰もが幸せでありますように。
        メディアを操ってる組織の人が幸せでありますように。
        ハイテク宇宙人が幸せでありますように。
        霊的捕食者が幸せでありますように。