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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば男装のタキシード。
        
        
        
        作り置き済みのブレザーの色違いなので楽勝です。
        並べてみればスライムベスですが、並べずにタキシードと言い張ればタキシードです。タキシードに見えますよね? 見えましょう。
        適当に色変換したら服のシワが濃すぎるかな? とも思いましたが、
        タキシードらしい黒光りした感じで縁起が良いのではないでしょうか。
        「タキシードらしい黒光り」ってのが何のことかはよくわかりませんが、
        この世にはよくわからないことがたくさんありますので、この程度でうろたえてはいけません。
        
        
        
        ちなみに男性用の服ということなので服の前面のボタンのつき方の左右を逆にしてあるのですよ。
        いつもながら隙がない。隙はないですが私はあなたが大好きです。やったね!
        万が一伝わらない人がいるといけませんので解説しておくと、「隙」と「好き」をかけた韻律です。
        これで私がいかにあなたを好きであるかが確実に伝わったことと思います。やったね!
        
        ところでスライムで思い出したのですが、
        カタカナでスライムって書くとスラ仏なのですよね。
        序盤に出てくる最弱の敵キャラが実は仏だった。仏に会うては仏を斬る。どうのつるぎで。
        知らぬこととは言え、さんざん修羅道を歩んで来てしまっていたというわけです。
        ハーゴンさんのことを邪教とか言えた義理じゃありませんね。
        あるいは最弱と見せかけて、あれは大いなる慈悲だったのかもしれません。おそるべし。
        
        さて、ゲームと言えばどういうわけか必ず何らかの形で争いや攻撃が含まれます。
        そういうことが「楽しいこと」なのだと私たちは教育されてきた。まさに地獄です。
        地獄とは場所のことではなく心の状態のことです。
        せっかくクリアして平和になったはずなのに、すぐにまた次の争いを求め始める。
        「暇つぶしに」と称し、何かを攻撃することに明け暮れる。
        他にすることが思い浮かんでこない。
        そういうことが「自分のしたいこと」なのだと思い込んでいる。まさに無間地獄です。
        しかしこの度、地獄にも仏がいらっしゃるということが明かされました。まさに地獄に仏です。
        ちなみに無限地獄じゃなくて無間地獄です。パソコンの漢字変換機能のおかげで過ちを犯さずに済んでおります。やはりAnthyは素晴らしい。
        
        > ハーゴンさんのことを邪教とか言えた義理じゃありませんね。
        
        現役時代には深く考えませんでしたが、ドラクエ2って宗教戦争なんですよね。
        RPGのステレオタイプとして「勇者と魔王」というのがありますが、
        ドラクエ2に魔王は出てこない。ハーゴンさんは「神官」でシドーさんは「邪神」なのですね。
        ローレシア城の地下牢には悪魔神官が捕まってる。普段から「邪教徒狩り」が行なわれていたことを窺わせます。
        
        で、ラスボスを倒した後って街の人々のセリフがグラフィックごとに固定になるじゃないですか。
        悪魔神官ってグラフィックが神父ですから、もしかしたら街の神父と同じセリフになってたりして?
        と思ってラスボスを倒してローレシアに戻って、王様に話しかける前に地下に行こうとしてみたんですけど、
        地下に行こうにも画面が切り替わらなくなってました。隙がないですね。あっ、でも私はあなたが好きです。
        念のために解説しておくと今のは(以下略)。
        
        > そういうことが「自分のしたいこと」なのだと思い込んでいる。まさに無間地獄です。
        
        ドラクエの何がいいかと言えば、ずばり「天気がいいこと」です。
        緑の草原。青い海。赤茶けた山脈。白く泡立つ波打ち際。全てが色鮮やか。そこがいい。
        本当は戦いたくなんてないんです。
        というわけで最近は春になって天気もいいことですし、電源を切って外を散歩する。
        青い空。乾いた道路。
        足元ではアスファルトの隙間からはち切れんばかりに草が飛び出して花を咲かせている。頭上には木の葉が揺れる。
        普段は視線を止めないようなところからいくつもの草花が顔を出しています。
        歩きながらあっちこっちに視線をさまよわせる。
        ハタから見ると不審人物のように見えるかもしれませんが、いくら見ていても飽きません。
        どこかに大麻でも自生してないかなと思いながら視線をさまよわせる。
        ハタから見ると不審人物のように見えるかもしれませんが、否定はしにくいところです。
        そういえば少し前にポケモンのスマートフォンの野外ゲームが流行りましたね。
        スマートフォンを構えていれば「レアポケモンを探してるんだな」と思ってもらえるかもしれません。当たらずとも遠からずだぜ。
        ナイスアイディア。と思ったのですが私はスマートフォンを持っていないのでした。ギャフン。
        
        そんなわけで私は所持していないので基本的なことがわかってないんですけども、
        スマートフォンってスマートフォンって言うべきなんでしょうか? それともスマートホンって言うべきなんでしょうか?
        「フォン」を選ぶか「ホン」を選ぶか? どちらも選ばないということは許されません。意図して片方を選び抜け。生きるとはそういうことです。
        しかし「フォン」と「ホン」に互換性があるということは、
        選択次第では「本屋」は「フォンや」になってしまうということです。
        そのような世界をあなたは望むのか? 問題はそこです。
        「あほんだら」は「あふぉんだら」になってしまうということです。
        そのような世界を私は望むのか? 問題はそこです。
        恐るべき分岐点。
        どちらを選んでも別な面から見れば間違うことになるでしょう。
        正解することなどできません。正解しようなどという願望はすなわち「正解して逃げ切ろう」というさもしい逃避に他なりません。
        選ぶとは間違いを引き受けるということです。生きるとはそういうことです。
        どのように生きても自己自身が悪であることを免れ得ない。生きるとはそういうことです。
        意図して間違いを選び取り、意志を持って情熱的に進む。生きるとはそういうことです。
        本屋を「ふぉんや」と発音するあふぉんだらとしての人生を情熱的に選び取る。生きるとはそういうことです。
        
        ところで大麻と言えば、少しネットで調べた範囲では、そんなに悪いものではないみたいですね。
        むしろいろいろと役に立つものであるらしい。
        目の敵にして規制する方がどうかしてるのではないか? 最近はそう思うようになりました。
        でも喫煙ってのがイヤだなぁ。煙をまき散らさないで欲しい。
        体にいいか悪いかというのはどうでもいいんです。煙をまき散らさないで欲しい。
        仮に今「合法化に賛成か否か?」と聞かれたら「賛成」を選びます。情熱的に選びます。しかし煙をまき散らさないで欲しい。
        他人を巻き込むのはよくない。この点は譲れません。情熱的に譲りません。
        
        > そんなわけで私は所持していないので基本的なことがわかってないんですけども、
        
        さきほど申し上げた「所持」というのはスマ某だけではなく大麻も所持しておりません。
        先日、業務スーパーで七味唐辛子のでかい袋を買ったのですが麻の実が入ってないやつでした。このやろ〜。六味め!
        つまり所持できていないというわけです。つまりって何だ。
        ていうかスマ某って何だ。情熱的にどちらかを選べ。このやろ〜。
        
        さて、大麻の種は入ってませんでしたがお話の種は尽きません。
        しかし人生は有限ですので、今日のところはこのあたりでキーボードから手を離そうと思います。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。