「他人だからしょうがない」というドン詰まり:そして私へ帰ってくる
たとえば何か、いわゆる「マナー違反的なこと」をしている人を見かけたとします。
その人が若い人だった場合は
「まぁ若いんだししょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人が老人であった場合は
「まぁ年寄りなんだししょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人が両手に荷物を抱えた買い帰りの主婦だった場合は
「まぁ両手に荷物を抱えた買い物帰りの主婦なんだししょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人がスーツを着込んだビジネスマン風の人物だった場合は
「まぁスーツを着込んだビジネスマンなんだししょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人がホームレス風の人物だった場合は
「まぁホームレスなんだししょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人が外国人だった場合は
「まぁ外国人なんだししょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人がサルだった場合は
「まぁサルなんだからしょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人が猫型ロボットだった場合は
「まぁ猫型ロボットなんだからしょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人がプレアデス星人だった場合は
「まぁプレアデス星人なんだからしょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人がヘビー級チャンピオンだった場合は
「まぁヘビー級チャンピオンなんだからしょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
その人が内閣総理大臣だった場合は
「まぁ内閣総理大臣なんだからしょうがないか」という諦め方が成立するかもしれない。
つまりどういうことか?
一言でまとめると、こういうことです。
「まぁ他人なんだからしょうがないか」
では、この諦めメソッドは万能なのか?
いいえ、万能ではありません。
このメソッドが使えるのは対象が他人である場合のみです。
すなわち、自分には使えない。
「他人だからしょうがないか」とは言えても、同じように「自分だからしょうがないか」とは言えない。
他人の行動を制御することはできないけれど、自分の行動はそうではないからです。
もしも自分の行動さえも制御できないというならば、それはもはや自分ではありません。
自分が自分であるならば、自分で行動を制御せねばならない。
それを放棄したとき自分は自分ではなくなる。生きている意味がなくなる。
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