人間やめますか? バイキンやめますか?
人間の「自分自身の行動原理」を語る言葉が貧困すぎるのではないか?
性能がいいから使う、悪いから使わない。
便利だから使う、便利じゃないから使わない。
お得だから買う、お得じゃないから買わない。
近くにある店だから入る、遠いから入らない。
儲かるからやる、儲からないからやらない。
これじゃあバイキンやゴキブリと同じです。
栄養さえあればどこででも繁殖する。
ここで繁殖してもいいものか?
どこで繁殖するべきであるか?
私はなにゆえにここで繁殖するのか? あるいはしないのか?
私はいかに生きるのか? いかに死するのか?
バイキンやゴキブリにそのような理性や分別を求めても詮無いことです。
なにしろバイキンやゴキブリなのですから。
彼ら彼女らには彼ら彼女らなりの生き様や役割があるのかもしれませんけれど、
それは私たち人間のそれとは異なるものでありましょう。
人間であるならば、人間として、いかに生きるのか?
性能が悪いけど、好きだから使う。
不便だけど、正しいから使う。
お得だけど、間違ってるから買わない。
遠くの店だけど、いい店だと思うから行く。
儲かるかもしれないけど、私の信念に反するからやらない。
> 自分自身の行動原理を語る言葉が貧困すぎるのではないか?
言葉、と言いました。言葉です。
つまり認識です。あるいは自覚です。と同時に表現です。
「私は このゆえ に こう する のである」
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