救急車「だからこそ」、うるさいのは深刻なこと
騒音擁護派の人は騒音の「クレーマー」を評して、
「そのうち救急車にまで文句を言い出すんじゃないの?」
などと野次のようなことを言います。
さて、その通り。
救急車のサイレンも立派な騒音源の一つです。
近頃はサイレンだけでなく拡声器でのアナウンスもさかんですね。深刻さに拍車をかけています。
もちろん救急車の本来の目的は緊急の怪我人や病人を迅速に病院に搬送することですから、
その目的そのものを否定することは誰にもできません。
だからこそ、です。
だからこそ、そのような重要なものが、騒音源であってはならない。
なぜか?
誰も逆らえないからです。
救急車は「人の命を救う」という誰も逆らえない目的を持っている。
いくらうるさくても、誰も文句を言えない。
黙って耐え忍ぶ以外の選択肢を認められていない。
だから深刻なのです。
もっと重要性の低いものであれば、まだ少しはマシなのですよ。
たとえば廃品回収車とか選挙カーとか。
たとえ一部の利用者や、それを生業にしている業者自身にとっては「必要」だとしても、
それがなくなったとしても人が死ぬわけではない。
だから、一応、それなりに、文句を言える余地がないことはない。
文句が功を奏するかどうかは別として、文句を言う側の立場が必ずしも全否定されるとは限らない。
(実際は大抵の場合、全否定なんですけどね)
しかし救急車となると、人が死にますからね。
だから、誰も逆らえない。逆らったら確実に全否定です。
お家取り潰しの上に市中引き回し&さらし首のフルコースが待っています。
「うるさい」の「う」の字も口にできない。
誰も逆らえない。
誰も逆らえないからこそ、責任が重い。
たとえば、
戦場で武装した兵士同士が殺し合うのと、
武装した兵士が丸腰の民間人を一方的に虐殺するのと、
どちらの方がより「悪い」と感じますか?
逆らえない相手を一方的に虐殺する方が「より悪質」だと感じませんか?
え? 感じない? そうですか……失礼しました……。
いや、ちょっと変な比喩を出してしまったなー、とは思うんですけど、
我ながら、言い得て妙という気がします。
騒音問題って、「強者に媚びる」ような性質があると思うのです。
"音を出す側" と "強制的に聴かされる側"。
「強い」のは前者です。後者はただ「やめて」とお願いすることしかできない。
そして、第三者たちは強者たる前者に味方する。
よってたかって被害者叩きをする。
騒音問題はいつもそういう構図です。
上の比喩で言うと、武装している側に媚びへつらう、というわけです。
しかし救急車に限って言えば、サイレン(や、それに伴う拡声器アナウンス)がうるさいというのは、
今や、それほど少数派の意見、というわけではないようです。
少しネットで検索してみるだけで、かなりの人があのサイレン(や、それに伴う拡声器アナウンス)を不快に感じている。
しかし、堂々とは言えない。
なにしろ相手は武装してますからね。逆らえない。
騒音擁護派は、救急車様なんだからどんなにうるさくても我慢しろ、と冷徹に言い放ちます。
ここぞとばかりに上下関係を思い知らせてやるぞと言うかの如く目の色を変えて嬉々として言い放ちます。
しかし今回ここで書いたように、
救急車「だからこそ」うるさいのは深刻である、と言わねばなりません。
私はそのように言います。
私は常に騒音被害者の味方です。
あなたの生活に一日も早く静穏が訪れますように。
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