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◆◆ したこと: ◆◆

        マインドル本文・3rdヒロ子氏のパート・第13話が完了。
        
        ついに残すところあと1話!
        このまま突っ走りたい!
        だけど、このページを更新しないまま一ヶ月近く経過してしまっています。
        私のファンのみなさんを心配させてはいけません。
        したがいまして、一息入れて進捗報告などを書こうではありませんか。心して熟読せよ。
        
        まずですね、今回ですね、びっくりしたことがありまして、それは何かと言いますとですね、
        分量がちょっとだけ多いのですよ。
        原稿用紙換算で404枚分。我々ベテランネットサーファーにとっては覚えやすい数字なので覚えてしまいました。
        さて、びっくりするポイントはどこだろう?
        数字とか。量の多さとか。
        どちらもびっくりするほどではないような気がしてもきました。
        びっくりもタダじゃないですからね。安売りはいけません。
        
        > びっくりもタダじゃないですからね。
        
        気がついたら指がそんなフレーズをタイピングしていたのですが、マジですか?
        初耳ですよ。ファーストイヤーですよー。
        なるほど。人が一生の間にびっくりできる回数には制限があるのですね。
        そういえば人が一生の間に食べることのできる量も決まってると聞いたことがあるということを今思いつきました。
        いや、でも、それって、あとから数えれば、ってことなんじゃないんですか?
        漢字3文字でわかりやすく言うと結果論というニクイやつです。ニクイですねー。実にニクイ。
        
        だからー、何が言いたいかっていうとー、
        未来はこれから作っていくことができる! ってことですよ。
        何が制限されてるですって? 何が決まってるですって?
        何にも決まってやしません。全ては私の意志次第。全てはあなたの意志次第。
        いくらだってびっくりできる。いくらだって食べられる。
        未来は僕たちのものなんだ!
        
        いいですね。なんだか泣けてきました。
        もちろん涙の量だって一生分が決まってるなんてことはありません。
        いくらだって感動できる。涙腺ジョバー。
        
        今こうして変換してみて気づいたんですが、涙腺の「腺」って、左半分が「月」のセンなんですね。
        なんだか油っぽいですな。脂っぽいですな。僕たちの未来はギトギトだぜ。
        
        あっ! もう一つ、大変なことに気付きました!
        えっとですね、これは世界でも一部の人しか知らない情報なのですが、
        北陸地方の方言で「キトキト」っていう単語があるのですよ。
        海産物などが新鮮でイキがいい、というような意味です。
        これって、もしかして、「ギトギト」の類義語なんじゃないですか! 大発見!
        
        すなわち、こういうことです。
        「キトキトの魚」≒「ギトギトの魚」
        うむ。完璧な方程式が出現した。美しい。実に美しい。てっかてかに輝いております。
        
        言い換えると、今回、原稿用紙換算で404枚分だったのであり、今までで初の400枚越えだったのであり、
        思わずびっくりしてしまったのですが、
        これは果たしてびっくりに値することだったのかどうか?
        私は一生の間にびっくりすることのできる貴重な回数を無駄に浪費してしまったのではないか?
        そのように思い悩んでいる最中だということですか?
        
        なるほど。
        でも、ネットで検索してみたら、人が一生の間にびっくりできる回数に制限はないって出てきたから、
        情報を鵜呑みにして安心しきっているところ、というわけです。
        ネットって本当に便利。
        
        あっ! 「鵜呑み」で気付いた!
        DuckDuckGo ってあるじゃないですか。検索エンジンの。
        鵜じゃなくてダックなんですよね。
        ネットの情報を鵜呑みにする、と意味をかけてるのかな?
        いわば鵜呑みじゃなくてダック呑みだぜヒャッハー、という意味なのかな?
        多分ちがいます。だって日本製じゃないんだもーん。だよねー。だよねー。
        
        
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
        
        今ちょっと集中力が切れたのでゴロンと横になってました。
        横になってばかりもいられないのでムクッと縦になりました。
        
        こういう文章を書いてて困ることが一つあります。
        それなりに、話題に関係のあることを書かなければならない、ということです。
        思うところはいろいろあるのです。
        しかしながら、話題に関係のあることを書かねばならない。
        あるいは、話題に関係があるかのごとく書かねばならない。
        一体誰がそんなことを決めたのですか? あなたですか? コノヤロー。
        
        どうしてこうなるのか?
        一番いいのは私があなたの目の前にいて、直接おしゃべりできるといいのですよね。
        それができないから、やむなく、文章という形式でバーチャル体験をしていただいている。
        なるほど。
        つまり、今この時点での私の思念の状態を丸ごとキャプチャーして再生できるような、
        そういうテクノロジーがあるといい、ということですね。
        で、その丸ごとデータを丸ごとあなたの精神にインジェクション(お注射)すれば会話をする必要さえない。
        なるほど。未来の姿が見えてまいりましたね。
        
        つまり、今は個人という単位で人間が分割されているわけですが、
        それを統合して一つの存在にする。
        私とあなたの現時点での思念状態のみならず、全人類の全精神状態を丸ごと統合する。
        それがコミュニケーションの究極の姿というわけです。
        
        してみると、問題が一つ浮かび上がってまいりますね。
        なぜ、今、我々は「こう」なのか?
        「こう」とは、つまり、個人という単位で分割されているということです。
        なんで人間は「たくさんいる」のでしょう?
        最初っから「一つ」じゃダメだったんでしょうか?
        
        ともかく今は「たくさんの人間がいる」という存在の形態なわけでして、
        それじゃあいろいろ不便でござる、というわけで、
        インターネットが発明され、糸電話が発明され、そしてついに人類は授業中の回し文(ぶみ)をも発明した。
        その究極の行き着く先は人類を全部丸ごと統合して一つの存在になるぜヒャッハー、なわけですが、
        もしかして、これって、二度手間なんじゃないんですか? ってことです。
        
        だって、それだったら、最初っからそうなってればいいじゃないですか。
        神サマが手抜きしたんですか? むしろ手が込んでる気がします。余計なお世話をしてくださったわけですか。コノヤロ〜。
        あ、やばい。なんか腹立ってきた。腹がムクッと縦になってきた。
        人間をわざわざバラバラにするなんて、神のやつめ! 天罰を下してやる!
        ええっと、訴訟を起こせばいいのかな? それともまずは110番かな?
        事件ですか?! 事故ですか?!
        ええ、実はその、神がですね、
        うん。さっそくピーポーピーポーとね、お迎えがね、来ちゃいますよね。
        
        
        それでちょっと、そもそも何を書こうとしていたのかを思い出すために DuckDuckGoで検索してみたら、
        マインドル本文・3rdヒロ子氏のパート・第13話が完了したことについて書こうとしてたってことがわかったので、
        その情報をダック呑みにして、思うところをその話題に関連することだけに厳選して今から書こうと思います。
        
        原稿用紙換算で? 404枚? でしたっけ? そうダックよ〜。
        語尾に自分の名前つけりゃあいいってもんじゃねぇぞコノヤロー。
        404枚って言ったら大長編ですよね。ええ、300枚で大長編と言っていたのですから、404枚ならもちろん大長編に決まってます。
        
        ねぇねぇ、もしもさぁ、あなたがさぁ、人工知能だったらさぁ、
        「300枚で大長編と言っていた」というデータをもとに、どうしたら「404枚だって大長編である」という情報を導き出すと思います?
        
        ・大長編とは「分量が多い」という意味である
        ・300枚 と 404枚を比較すると 404枚の方が分量が多い
        ・ゆえに、404枚も大長編だぜヒャッハー
        
        でも、これだったら大大長編だぜヒャッハー、とか言ってしまいそうじゃないですか?
        そうなんですよねー。
        でも私は人工知能じゃないから空気を読んで、「大大長編」なんて言葉はないじゃん、言ったら変じゃん、と、判断したんです。
        ねぇ、私、壊れてるのかな? 私のこと捨てちゃう?
        心配ないダックよ〜、オイラはキミを捨てないダックよ〜。
        だから語尾に自分の名前つけりゃいいってもんじゃねぇって言っただろうが。捨てるぞこら。や、やめてダック〜。
        
        なんだかまた集中力が切れてきたダックよ。
        ゴロンと横になってムクッと縦になる動作を密かに何度繰り返したことでしょう?
        しかし人生とはそういうものかもしれません。寝て起きる。起きて寝る。
        人生には2つのことしかない。それはゴロンとムクッだ。
        ゴロンとムック? なんか NHKの幼児向け着ぐるみ番組のキャラクターみたいですね。
        こんにちわ〜ゴロンだよ。ムックどえーす。
        念のために言っておきますが、ムックじゃなくてムクッですからね。
        発音難しいですが、イタリア人になったつもりで頑張ろう。モッツァレッラ。ファルファレッロ。アッー!
        
        それで404枚なのはいいからさ、このままじゃ収まりがつかないんだよな。今度は内容について話す番だろ?
        内容は完璧です。
        なんたって仏の仕業ですからね。感心することしきりです。
        ただ、一つだけ不満があります。
        なぜこんなに疲れるのでしょう?
        この作業に集中するために、私は毎日毎日、精神エネルギーを注ぎ込みまくっております。
        注ぎ込むなんて言えるほどの量はすでになくてですね、
        カラカラに乾いた心を絞りに絞って、手のひらに豆をつくりながら絞りに絞って、やっとこさ作業を続けている。
        実際に作業をしているのは私ではなくて仏だから、私はもう、ただひたすら仏の声を聞くだけなのですけれども、
        私がこんなに消耗しなきゃいけないなんて、ひどいじゃないですか。まるで鬼です。仏のくせに。
        いや、だからさぁ、それはさぁ、それもまた仏の思し召しってことなんじゃないのですか?
        なるほど。確かにそうです。
        私がこうしてカフェイン中毒になりながら作業を続けているのも、なんらかの意味があることなのです。
        でもですね、もう一回言いますよ?
        私がこんなに消耗しなきゃいけないなんて、ひどいじゃないですか!
        こんちくしょう。もう仏だからって容赦しないダックよ。仏罰を下すダックよ。
        神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬るダックよ。
        さっきから元気ですね。
        くぅぅぅぅぅぅ、カフェインが切れてきた。カフェインが切れてきたぁ〜〜〜!!!

        ゴロン。ムクッ。

        仏の何がすごいかって、私がすっかり忘れてることまでキチンと把握してるってところです。
        なにしろ404枚ですから、長いわけですよ。終盤になってくると、最初の方どんなのだったか忘れてしまうわけですよ。
        でも、仏はチャーンと覚えてる。
        だから、後で読み返してみると、見事につじつまが合っている。伏線が入ってる。1つのエピソードとしてまとまっている。すごい。
        いつもながら南無阿弥陀仏と言わざるを得ません。
        
        ゴロン。ムクムクッ。
        
        それでこう、なんというか、精神エネルギー的にいつも赤字なので、
        この調子で死ねると望ましいのだけどなー、と思うところなのですが、
        残すところあと1話!
        こういうふうに頑張るのももうすぐ終わりかと思うと少しサミシイ気がしないでもありません。
        
        ゴロン。ムクムクッ。
        
        ただ、ちょっと何か、こう、忘れてることがあるような気がして、
        それは何かというと、多分、あれです。
        プロローグというか、第0話です。
        それ、残りの作業の分量の見積りに入ってないんじゃないですか?
        うん、だから、忘れてるわけですよ。
        この調子で忘れたままでいるにはどうすればいいのか?
        おおっと、質問の方向が間違っているぞ。
        いいえ、そうでもないですよ?
        今気にしてもしょうがないこと、ってのはあるじゃないですか。
        実際、第0話をどうしようかなーってことが気になって気になって、
        外を歩いてるときも意識が吹っ飛んで、何度も車にひかれそうになってますからね。
        こういうのは忘れてしまった方がいい。そんな過酷な運命のことは忘れてしまった方がいい。
        それでやさしい人たちに囲まれて安楽な生活を送っていたのだけれど、
        ある日、屋敷に地下室があるということに気付いて、ねぇお兄様、あの地下室には何があるの?
        ダメだよ、あそこには決して近寄っちゃイケないよ、わかったね。……はい、お兄様。
        とは言うものの、好奇心には勝てず、ある日、地下室に降りていってしまうわけですよ。
        カビの匂いのする薄暗い地下室に足音を響かせながら進んでいって、こ、これは一体何……?! ガビーン!
        ついに見てしまったんだね。いつかは話さねばならないと思っていたよ。お、お兄様てんてんてんびっくりマーク!
        
        ゴロン。ムクムクッ。
        
        さっきからゴロンしてる回数よりもムクムクしてる回数の方が多いんですけど、どういうことですか?
        七転び八起きってことですか? 宇宙の法則に違反してるじゃないですか。時空警察に怒られちゃいますよ。
        なるほど。私がこうしてゴロンしてもないのにムクムクすればするほど、
        世界のどこかで誰かが因果律に反してゴロンゴロンしてしまうのですね。七転び八起き恐るべし。
        
        しかしやっぱりできるだけムクムクしたいなって思ってしまう。抑えがたいムクムク欲がある。
        それで結局、世界中の2割の人々が8割のムクムクを独占してるという現状がある。
        
        ただ、実際、どうなんでしょうね?
        ゴロンとムックの果たしてどっちの方が人間にとって幸せなのでしょう?
        日常に流されているとついついムクムク欲に負けてしまいますが、
        ゴロンこそが人に安らぎをもたらすのではないのか?
        なんとなれば、人生は必ずゴロンで終わるのです。どんな人も最後は必ずゴロンとなって動かなくなる。
        人生とはただひとときの儚いムックに過ぎないのです。
        ところで、さっきから発音の都合上ムックと言ってますが、本当はムクッですからね? 
        マクドナルドじゃなくて、マッ! ドォノォ〜ですからね? 天気予報じゃなくてテンキョーホーですからね?
        ちなみにイギリスではトマトはトマトでいいみたいですよ。
        カナダからイギリス王室に嫁いだ今はヤンゴトない女性がトメィトォと言って笑われた、みたいなことを
        CBCで言ってたのを私の耳が聞き取ったので間違いないダックよ。
        
        ところでこれはやっぱり言っておいた方がいいかなと思うので蛇足を承知で申し上げるのですが、
        さっき、"ゴロンとムックの果たしてどっちの方が人間にとって幸せなのでしょう?"
        の中で、言葉の便宜上、"どっちが幸せ" という言い方をしたのですが、
        あくまでも言葉の便宜上ということなのであって、本当言うと幸せってのは具体的なあれこれのことではないのであって、
        すなわち、ゴロンであってもムクッであっても、たとえ発音を間違えてムックと言ってしまっても、
        その他いかなる理由があろうとも、別にそんなことは幸せであることを妨げる理由にはならない。
        などとわざわざ言わなくても日本国民ならば義務教育で暗記させられてるはずですから、わかってますよね?
        いい国作ろうが作るまいが幸せでありますように。
        私がいつも言っている「今日もあなたが幸せでありますように」の中の「幸せ」というのは、もちろん、そっちの方の意味です。優等生ダックよ。
        さもないと、私がこの言葉を言うたびにその「幸せ」が想定している具体的な何かとあなたの現状との差分について叱責していることになってしまう。
        そうなってしまったら、なんだかあんまり幸せじゃない感じですよね。いい国作ってないだとぉ? てめぇはいい肉にして食ってやる! ダ、ダック〜。
        それはともかく、今日もあなたが幸せでありますように。
        
        そうなんですよねー、なんだか久しぶりです。
        このページを更新するのが久しぶりだから、すなわち、
        今日もあなたが幸せでありますように、って言うのも久しぶりです。
        もっと言いたい。言いまくりたい。
        これを言うためだけの理由で、もっと頻繁に進捗報告を書くべきなのかもしれません。書かねばならないのかもしれません。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。