絶望したくないというより、絶望させたくない
人間が人間や人間の世界について絶望してしまったら、人間の「負け」なのだと思う。
この世界にはどうしょうもないことがたくさんあって、
どうしょうもない人間がたくさんいらっしゃるわけですが、
そういった様子を見て、私が、人間や世界に絶望しそうになるわけですが、
それはあんまり重要ではない。
実際、私は頻繁に絶望しています。
さぁ、絶望した!
ではさて、次にすることはなんだろう?
他の人には絶望させないことです。
私が、人々に、人間や世界に絶望させないようにしたい。
私が、私以外の周囲を評価する、というのではなく、
私こそが、世界を構成する一部として、周囲の人々から評価の材料になっている。
その事実を心にとどめ、
その私が、人々に、世界とは、人間とは、絶望するしかないようなものであるとの思いを抱かせないようにしたい。
たとえば財布を拾ったらネコババせずにしかるべきところへ届け出るとか、
ゴミをどこにでも捨てないとか、分別をして出すとか、
図書館の本を傷つけずに返すとか、分類の違うところに入ってる本を見つけたらしかるべき書架に移動しておくとか、
自転車は自転車置き場に並べてとめるとか、ドアは静かに閉めるとか、
スマホ持ってないですがスマホを見ながら歩かないとか、もちろん自転車も。
人間が人間を見て、人間ってその程度なんだなー、と絶望の念を深めていくような、
そんな行動をとらない。
世の中にはいい人もいるんだなー、と希望の念につながるような、
そんな行動を心がける。
自覚する以上に失敗もしているだろうけれど、ともかく心がける。
それは私が個人的に得をするかどうかという話ではない。
私が幼稚園の先生に、いい子でちゅねー、と言ってもらうためではない。
人々に絶望して欲しくないんです。希望を持って欲しいんです。
この世界に生まれてきてよかったなー、と思って欲しいんです。
ここは生きる価値のある世界だ、と思って欲しいんです。
今の時代に必要なのはそういう行動原理だと思う。
人間が人間や人間の世界について絶望しきってしまったら、
そのとき人類は滅びる。
と、黒い背景に黄色い手書きの文字で書いて街中に掲示しまくる。
そうね、あんまりね、深刻なね、感じをね、出しすぎずにね、
カジュアルにね、やっていきたいですね。
カジュアルにね、黒い背景に黄色い手書きの文字でね、
って、やっぱそれかよ、と誰かカジュアルにつっこんでください。
ちなみにアレ、聖書配布協力会というところがやってるらしいですよ。
聞くところによると拡声器での布教もやってるとかで、そこは騒音反対活動家の私としては勘弁して欲しいところですが、
基本的には悪意のある団体ではなさそうです。ちなみにリンク先は検索エンジンなので安心してクリックしてね。
もしかして、かの有名な「うるさい日本の私」の中で出てきた
「私は神様の使命で行動しています。あなたは神様ではないのにどうしてあなたの言うことを聞く必要がありますか?」
の団体ってここなんじゃなかろうか?
などとたまには話を脱線させたりもしつつですね、
カジュアルに善いことをしていきたいですね。
カジュアルに善人伝説をプレイしていきたいですね。
あ、Linux でも Wineで一応動きましたよ! いろんな意味で "一応" ですけども。
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