「結局、Windowsを使っちゃうんでしょ?」という絶望
Windows10への強引な勧誘アップグレード祭りが先日やっと終了しましたね。
さて、これで「健全な市場競争」が機能しているならば、
「もうこんな会社の製品使わねぇよ!」と評判が下がりまくって Microsoft は潰れるはずですが、
そうはならないところが恐ろしいところです。くわばらくわばら。
で、それについていろいろ書こうと思って、実際、下書きを原稿用紙300枚分ぐらい書いたのですが、
結局のところ「聞き飽きた話」の繰り返しにしかならないのですよね。
もちろん Windowsが好きで使ってるならいいのですが、などと前置きしないと反発を招いてしまうかとも思うのですが、
それもまた当たり前すぎて、前置きする意義をもはや感じません。
「聞き飽きた話」を繰り返すことしかできない。
倫理的に問題があると思う企業の製品は使わない方がいい、だとか、
そうは言っても今までの習慣を変えるのは(内外両面で)難しい、だとか、
代替手段がどれも頼りない、だとか、
どこかで散々繰り返されてきた話にしかならない。
そういう飽き飽きした繰り返しの果てに「今」がある。
まさに「ご覧のありさま」ってやつです。
聞き飽きている。しかし問題が解決されたわけではない。
そして問題に取り組もうとすると、やはりまた、聞き飽きた話の繰り返しにしかならない。
人々のうんざりした顔が目に浮かぶようです。
結局、人間の心の仕組みが変わらないことにはどうにもならないのでしょう。
たかがパソコンぐらいで大げさな、と自分でも思わないでもありませんが、
そういう次元の問題では多分ない。
人間の心の仕組みの側が今や限界に達しているのだと思う。
今回のWindows10の問題は、その表れの一環に過ぎない。
人間の心の仕組みが変化しない限り、同じような問題は今後も起こり続けるでしょう。
パソコンの話に限ったことではありません。
政治や経済、あるいは身近な人間関係に至るまで、
人々が互いに不満を押し付け合いながらストレスを増幅させていく。
人間が人間に絶望する世界です。
いや、こんな深刻な言い方せずに、もっとカジュアルに振る舞っていけばいいのかな?
しかし深刻なのですよ。実際。
人類の最終回は近い。
なんだか黒い背景に黄色い手書きの文字で書いてあるアレみたいな文言ですな。
しかしどうすればいいんかな?
人間の心の仕組みが変化しない限り。
で、たとえばここで私が
「こんな仕組みの心を持つようにしましょう」
などと言ったとしても意味がない。
意味がないどころか、単なる押し付けがましい教条にしかならない。逆効果にさえなる。
やっぱりあれですかね。
人類は核戦争で滅びるしかないのかな?
できればあんまり苦しまずに一瞬で蒸発したいですね。
ゴートゥーヘブントゥギャザー。多分カジュアルの意味を間違えてますね。
いや実際、ちょっと、なんか、考えていきましょうよ。
Windows10の話から始まって、なんか妙な話になりましたが、
考えて、実行していきましょうよ。
別に Windowsを使う・使わないって話じゃなくてさ。
些細なことから。カジュアルに。
善いことをしよう。
世紀末善人伝説をプレイしよう。
あっ、そういえばこのゲーム Windows専用だ。おのれ〜、もう我慢ならん!
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