死ぬのが怖い、というのは嘘でしょう。
よく耳にするフレーズで、ときには口にもしてしまうフレーズですが、
これは死についての正確な表現とは言えないはずです。
事実として、死ぬのは難しい。
いざ死のうと思っても、なかなか実行できない。完遂もできない。客観的な現象として、そういう事実がある。
「死ぬのが怖い」というのは、そのことを言い表すための習慣的に根付いている表現に過ぎないはずです。
つまり、他人の目から見た表現です。
自分のことであっても、それを他人に向けて説明するための表現です。
自己自身の体験そのものではない。
死ぬことは怖いことではないはずです。
たとえば、ビルの屋上へ登って、下を覗き込んだときに「怖い」とは思う。しかし、それは死ぬのが怖いというのとは違う。
切れ味のよさそうな刃物を見ると「怖い」とは思う。しかし、それは死ぬのが怖いというのとは違う。
目の前を猛スピードで車が通りすぎると「怖い」とは思う。しかし、それは死ぬのが怖いというのとは違う。
「なぜ怖いのか?」と他人に問われたときに「死ぬのが怖いから」と答えておけば、相手を黙らせることができる。
そういう便利な表現というだけのことです。
「死ぬのが怖い」と言ったときの「死」は、単に言葉として発せられた観念としての「死」なのであって、
手触りのある実体験としての死からは無限に隔たっています。
自己自身の体験としての死、について思いを巡らせたとき、私自身の内に沸き起こってくる感覚はどのようなものであるか?
うまく表現することはできませんが、
少なくとも「怖い」という言葉で表現しうる種類の私の知る限りでの感覚ではない。
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