マインドル本文・3rdヒロ子氏のパート・第三話が完了!
思わず語尾にビックリマークをつけたくもなるというものです。びっくりせよ。これは命令です。ビクッ!
今回は予定通り、一日で完了しました。
なにしろ "一日" の定義を "私が一話分の作業を終える間" に変更しましたからね。
これで安らかに邁進できるというものです。
そのはずなのに、あれあれ? どうして暦ちゃんは勝手にくるくるとめくられちゃってるのかなぁ?
暦ちゃんは字が読めないのかなぁ? 足元をめくられるのが大好きなのかぁ?
見る者をして、めくりたい衝動をかき立てずにはおかない。誘惑の暦ちゃんなのかなぁ?
困りましたね。
一つ言っておかねばならないことがあります。
時間は自然現象ではない。
人為的な取り決めです。
地球さえも、みんなの足で回してるんです。
その証拠に、みんなでタイミングを合わせて一斉にジャンプしたら地球の回転は止まります。
覚えておいてください。
-------------------------------------------------------------------
一言で言うと、疲れたとか、そういうようなことが、ある。
しかしながら、愚痴っぽいことを言うのは避けたい。
とは言え、無理にハイテンションにすればいいというものではないとも思うのです。
困難や苦しみは、困難や苦しみとして、語っていきたい。
それを避けてハイテンションにすることは抑圧的なことだと思うのです。
苦しみが語られているから苦しいのではない。
苦しみがあるのに語ることが許されないことこそが苦しいことです。
-------------------------------------------------------------------
↑こういう区切り記号を使っているということは、
話を全体として論理的につなげて書くエネルギーがないということです。
思うところはいろいろあるのだけれど、断片的かつ散発的なまま、まとまらない。
あえて一言でまとめるなら、あなたが好き、ということです。
だけど、たまには、もうちょっと丁寧に言いたいじゃないですか。
空回りする思いのたけを持て余して区切り線に託す。
-------------------------------------------------------------------
今回ねぇ、今回ねぇ、Linux で作業してました。
ずーっと Linux でした。
最初の頃は念のために Windowsマシンをスリープ状態にして隣で待機してもらってたのですが、
結局一度もお助けしてもらうことなく、やがて電源を切ったままとなりました。
うん。イケますね。
もう特定の用事以外では Windows を使わなくてもイケそうです。
Windowsさん、今までありがとう。
Windows10 やそれ以降は今後どうなっていくでしょう?
先のことはわかりませんが、いずれにせよ、自分の中で移行先を確保できたことは安心材料です。
ただ、先のことがわからないと言えば、Linux だって先のことはわかりません。
むしろ Linux の方がディストリビューションの流行り廃りが激しくて、バージョンのアップグレードも頻繁にあります。
だから、パソコンに対する態度として、乗り換えを頻繁にしていく、という心づもりをしておいた方がいいのかなという気がしています。
特定の OS の特定のバージョンを長期間使い続ける、というのではなく。
心づもりというのは具体的には、たとえば、
データをホームディレクトリ以外の場所に作らないようにしておく。そうすると乗り換えが楽になりそうですね。
Windows だと私の場合は Cドライブ内のいろんな場所にデータを散らかすような使い方をしてしまっていたのですが、
Linux の場合は自然とホームディレクトリに収まりそうです。どうも普通に使ってると自然にそうなるように仕組まれてる感じです。
これなら多分、別のマシンに移し替えるのが楽です。
> もう特定の用事以外では Windows を使わなくてもイケそうです。
ではその特定の用事とはどういう用事かというと、
どういう用事かというと……あんまり思いつかなかったりします。
Windows用の実行ファイルをビルドするときぐらいでしょうか?
あとは HDD に残してあるデータを拾いに行くとき。
でも、あんまり長期間電源を入れないでいると、アップデートが溜まって大変なことになりますよね。
ちょっと用事があって電源を入れただけなのに、起動後、ずーっと更新のダウンロードで重いままで、なかなか目的の操作ができず、
やっとダウンロードが終わったと思ったら「あたしを再起動しなさい!」ですからね。
しかも再起動の前後に、更新のインストールがかかって長時間待たされる。
ちょっと用事があっただけなのに、おおごとになってしまう。
なので、用事がなくても、たまには電源を入れて構ってあげた方がいいのかも。
しかし最後に電源を入れたのはすでに二週間以上前。なんだかもう、電源入れるのが億劫です。
あ、LANケーブルを抜いた状態で電源入れればいいんだ。なるほど。
用事が済んで余裕があればネットにつないで更新する。これだ!
ちなみに、もちろん Linux にも日々のアップデートはあるのですが、
再起動しなければいけないようなのは、今のところ、インストール直後の大きな更新のときだけでした。
Windows で、作業中に更新が始まって「あぁ、また再起動しなきゃいけないのか……」という面倒くさい感じ。
あれを味わわなくて済むというのは、とても精神衛生によいです。
-------------------------------------------------------------------
何か大事なことを言い忘れている気がします。
あなたが好き。
それはさっき言いましたよね。
えーっと、えーっと。
今回の出来栄えのお話をしましょう。
いや、出来栄えが素晴らしいのはいつものことだから、
それよりも、ちょっとだけ面白い別のことをお話しましょう。
分量の話。
ご存知の通り、ここのところ毎回のように時間が時間がって地球を踏みつけにしているわけですが、
よくよく考えると、分量が多い。あからさまに膨れ上がってきている。
初期の頃は大体、一話につき、原稿用紙換算で50枚超ぐらいでした。
それが回を重ねるごとに増加の傾向をたどり、一話の分量は100枚前後になることが常態化。
今回の分に至っては190枚超でした。
この数字は単純計算したものなので、正確な分量を表しているわけではありません。
本文の中には画像や BGM を指定する記号や、コメントアウトしたメモ書きなどが混ざっているので、
最終的に「読む」分量としては、この数字よりもいくらか少なめになるはずです。
それにしても多い。初期の頃の約3話分です。
それを思うと、作業に要している時間は、必ずしも遅いとは言えないわけであります。
すなわち、一話分の量が三倍になったのだから、地球の自転速度も3分の1になるべきなのです。
憲法だって、時代に合わせて変えようというのですから、地球の自転だって、私に合わせて変える。
こういう当たり前のことが当たり前にならないというのは実に世間の不条理と言うほかありません。
次の第4話も、詳細設計を見たところ、同じぐらいの分量になりそうですよ。
量はさておき、内容の方はと言えば、すごく楽しみです。
早く作業に取りかかりたい。うずうず。楽しみすぎて鼻血が出そうですよ。
-------------------------------------------------------------------
時間を民主化する。
世界中どこへ行っても同じように時間が流れるなんて、非民主的だと思いませんか?
私には私の時間がある。
あなたにはあなたの時間がある。
他人の時間を踏みにじってはいけない。
お互いの時間を尊重し合う。
時間とは人が生きることです。
時間を尊重することは人が生きることを尊重することです。
誰もが生きることを尊重し、尊重される。
そういう世界を作りましょう。私とあなたで作りましょう。
|