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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        事実と願い。2つの視点。
        
        我々は常に2つの視点から問いを持つことができます。
        
        1つは、事実は何であるか?
        もう1つは、願いは何であるか?
        
        たとえば次のような言動に触れる、または自己自身がそのように言うとします。
        「世の中カネなんだよ!」
        
        このとき、上記2つの視点から、次のように問うことができます。
        世の中はカネであるという、それは事実なのかどうか?
        そして、私自身は、あなた自身は、何を願っているのか?
        「世の中はカネである」ことを願っているのか?
        それとも、そうではないことを願っているのか?
        
        事実は何であるか? 願いは何であるか?
        この2つは別々のことであり、並立しうる。
        両者が一致することもあれば、一致しないこともある。
        つまり別々のことだということです。
        事実のために願いを曲げる必要はないし、
        願いのために事実を曲げる必要もない。
        どちらか片方だけが全てであるということはない。
        
        そのはず、だと思うのですが、
        身の回りを見回してみると、どちらかと言えば、
        事実が優先するかのような物言いが多いような気がします。
        どちらかと言えば、と言いましたが、もっぱら、と言う方が適切かもしれません。
        
        なぜなのでしょう?
        
        > 事実が優先するかのような物言いが多いような気がします。
        
        それらの物言いは、
        相手が願いの方を過度に優先していることを想定しており、
        それを戒める、という体裁をとっている。
        
        と、いうことは?
        
        おそらく、我々よりも前の時代では、願いの方を優先するような思考の様式が大勢を占めていた。
        そして、それを是正するような潮流が生じ、それが今の時代にまで続いてきている。
        
        > 我々よりも前の時代では
        
        ここでいう「時代」というのは、昭和何年とかいうレベルのことではなく、1000年単位の話です。
        
        
        > それを是正するような潮流が生じ、それが今の時代にまで続いてきている。
        
        だとすると、現代の我々としては、
        両者のバランスを取るような思考の様式を育てていくこと。
        それが時代的な課題ということでしょうか。
        
        私たちがよい方向へ進んでいくことができますように。