確率の問題として、どんな悪い人でも存在し得る、という事実。
私やあなたは善人ですから、「万引きなんて絶対しないよ!」と思っているはずですし、実際、する意志はないはずです。
しかし世の中にはたくさんの人がいて、中には万引きをしてしまう人がいる。
これはもう確率の問題で、人が多ければ、その多さに応じて、実際に悪いことをする人が何人か含まれてしまう。
たとえば数字は適当ですが、人間が万引きをする確率が 1% なのだとすると、
人間が 100人いれば、その中の 1人は万引きをする、という計算になる。
人間が 1000人いれば、その中の 10人は万引きをする、という計算になる。
ある店の一日の来店者が1000人だとすると、その店では毎日10人から万引きをされているという計算になる。
もしその店の一日の来店者が半分になったとしたら、万引きをする人の数も半分になる。
では、そのとき、万引きをしなかった 5人は、なぜ万引きをしなかったのでしょう?
あるいは万引きをした方の 5人は、なぜ万引きをしたのでしょう?
それは来店者数という人数のせいでしょうか?
人数と確率のゆえに、ある者は万引きをし、ある者は万引きをしなかった。
そうなのでしょうか?
そんなはずはない。
万引きをしようという意志を持った者が万引きをしたのであり、
万引きをしようという意志を持たなかった者は万引きをしなかった。
それはどこまでも意志の問題であるはずです。
ところがそれを個人を超えた数字の視点で見ると、確率の問題ということになってしまう。
意志の問題なのか? それとも確率の問題なのか?
この両者をつなぐ地点はどこにあるのか?
それはおそらく、心の中にある。
「万引きなんて絶対しないよ!」と思っている私やあなたのような善人の心の中にある。
自分の心の中をよく見つめてみる。
「万引きなんて絶対しないよ!」と思っている。
しかし、店に並んでいる商品を見て、
「お金を払わずにポケットに入れてもバレないかも? ……いや、やらないけどね」
などと、ほんの少しも思ったことはないか?
少しぐらいはある。私はある。きっとこれからもある。
もちろん、万引きを実行するほど強く思うわけではない。だけれど、それにつながる欲望を抱いたことがある。
この「少しは思ってしまう」ことが確率の問題につながっているのではないでしょうか。
「少しは思ってしまう」ことが、「人数が多くなれば中には悪いことを実行してしまう人がいる」、という確率的な事実とつながっている。
世界から悪が消えないのは私のせいだ。
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