算数とは嘘を押し通す技術のことなのではないか?
たとえば "10 - 8" は、算数の答えとしては "10 - 8 = 2" ですが、
答えを見ているだけでは、右辺の 2 の意味を忘れてしまいます。
右辺の 2 の意味は 左辺で "10 - 8 " という演算を行った結果です。
結果だけをみれば、それは紛れも無く "2" であり、それ以外の何物でもないのですが、
しかしながら、それはやはり "10" と "8" があって、その両者を引き算した、という事実の結果です。
ただ "2" である! とだけ主張することは、そうした事実を隠蔽することに他なりません。
「あったこと」を「なかったこと」にしているのです。つまり嘘です。
私が、あなたが、見ている "2" は、何かを隠蔽した結果なのではないか?
「物分りのいい」私たちは左辺の存在に目をつむる。
あるいは「こんな簡単な計算もできない愚か者」と罵られることを恐れて、
そこに左辺として見えている事実から目を逸らす。
引き算されているのは他ならぬあなたかもしれない。
それでもきっと「こんな簡単な計算」という常識にしがみついてしまう。
それ以外にこの世界で生きる方法を知らないから。
「物分りがいい」
「みんなが知ってる程度のことはわきまえている」
そして自己自身を見失う。
取り澄ました答えの左側で、演算装置にかけられた私やあなたが、今日も血を流しているのではないか?
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