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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        算数とは嘘を押し通す技術のことなのではないか?
        
        たとえば "10 - 8" は、算数の答えとしては "10 - 8  = 2" ですが、
        答えを見ているだけでは、右辺の 2 の意味を忘れてしまいます。
        
        右辺の 2 の意味は 左辺で "10 - 8 " という演算を行った結果です。
        結果だけをみれば、それは紛れも無く "2" であり、それ以外の何物でもないのですが、
        しかしながら、それはやはり "10" と "8" があって、その両者を引き算した、という事実の結果です。
        
        ただ "2" である! とだけ主張することは、そうした事実を隠蔽することに他なりません。
        「あったこと」を「なかったこと」にしているのです。つまり嘘です。
        
        私が、あなたが、見ている "2" は、何かを隠蔽した結果なのではないか?
        「物分りのいい」私たちは左辺の存在に目をつむる。
        あるいは「こんな簡単な計算もできない愚か者」と罵られることを恐れて、
        そこに左辺として見えている事実から目を逸らす。
        
        引き算されているのは他ならぬあなたかもしれない。
        それでもきっと「こんな簡単な計算」という常識にしがみついてしまう。
        それ以外にこの世界で生きる方法を知らないから。
        
        「物分りがいい」
        「みんなが知ってる程度のことはわきまえている」
        そして自己自身を見失う。
        
        取り澄ました答えの左側で、演算装置にかけられた私やあなたが、今日も血を流しているのではないか?