◆◆ 思ったこと: ◆◆ |
善意が悪意に変化するところ 根本的には全部善意だとしても、 それで何もかも済むというものではない。 善意で人に不快な思いをさせる、というケースが非常に厄介。 あるいはこれは、あくまでも「テクニカルな事象に過ぎない」? そういう見方も、場合によっては有効かもしれない。 場合。根本の根本を確認するときなど。 ただ、「にも関わらずこの世には問題があふれているのはなぜ?」で、 なぜなのかと言えば、その善意が悪意に変わっている瞬間がある、ということなのではないのか? そこを無視するわけにはいかない。 というより、無視してはいけない。 根本は善意であること、と、結果として人が不快になっていることは別の問題。 根本が善意だから、といって、結果として被った不快感が「なかったこと」になるわけではない。 根本が善意だから、という理由で、あらゆることを「許さねばならない」とすれば、その論理は暴力です。 |