> しかし彼らは、根本的に、我々とは異質な精神構造を持った存在です。
> http://www.site-a.info/text/2014-12-31_1.html
ではどのような精神構造を持っているか?
根本的に異なっているゆえに、あくまで想像と推測に過ぎませんが、
「騒音」という文脈に絞って言えば、おおよそ、次のような特徴を持っていると言えるでしょう。
自分の欲望を叶えることが第一。
そのせいで他人がどう苦しもうと一切構わない。
文句を言われた場合、自分の欲望の追求に支障が出ない範囲であれば譲ることもある。
ただし、これは、相手の苦しみを考慮しているのではなく、自分の欲望の追及に支障が出るかどうか、その駆け引きの問題でしかない。
自分の欲望は叶えることができて当然だと思っている。
ほんの少しでも他人のせいで妨げられることは許せない。いわば「損をした」ことになる。
だから可能な限り、最大限、自分の欲望の追求を行う。
「このぐらいならいいだろう」が口癖。
つまり、許容範囲の基準を自分の中で勝手に作っている。
「他人の心を想像する」という能力が欠落している。
文句を言われるかどうかの駆け引きで「このぐらいならいいだろう」と、ボーダーラインをじりじりと際限なく広げていく。
そこに「誰かに迷惑をかけている "かもしれない"」という発想はない。
「他人の心を想像する」という能力が欠落しているからです。
「数日で元通りになる」件もこれで説明がつきそうです。
苦情を言っている人間が目の前からいなくなれば、そこで交わされたやりとりは、無かったことになってしまう。
「他者」という概念を持っていないからです。
話が終わって相手が自分の目の前から去った後も、その人間が、自分の知らないところで、どこかに存在し続けている、という、当たり前の事実。
それを、彼らは認識することができない。
目の前に「何かごちゃごちゃ言ってる」相手がいれば、お得意の屁理屈と言い訳スキルで「表面的な会話」はするけれども、
その目的はあくまでも「さっさと話を終わらせて相手を追い払うこと」です。
「迷惑をかけて悪かった」「聴きたくない音を聴かせて申し訳なかった」という感情は持ち合わせていません。
表面上は謝罪の言葉を述べることもあるでしょう。しかし、それはあくまでも(駆け引きとしての)表面的なことに過ぎません。
「なんで俺が我慢しなきゃならないんだ!」という怒りが本音です。
彼らの心に他者はいません。自分だけです。
他者を気遣って我慢する、などという発想が出てくるはずもありません。
「ごちゃごちゃ言われたから」一時的に我慢する。
そして「これだけ我慢したんだからもう充分だ!」という完全に自己都合の理屈で「元に戻る」。
まとめると「欲望を追求する貪欲さ」「"他者" という概念の欠落」と言えるでしょうか。
このように書くと、いかにも傍若無人で暴力的な人物像がイメージされてしまうかもしれません。
しかし、実際は、大部分のケースで、少なくとも表面的にはそんなことはないようです。
どうやら彼らは非常に「駆け引き」に長けている。
つまり、表面的には常識的な人間のような顔をして、我々の社会に溶け込んでいる。
もしかすると、彼らの上記のような特徴は、競争社会である我々の社会では、有利に作用する場面さえあるかもしれません。
たとえば、もしかすると、あなたの上司が「彼ら」の一員かもしない。あなたの配偶者が「彼ら」の一員かもしれない。
話し合いが通じるという幻想を捨てる。
相互理解を諦める。
共にいる限り、彼らから受ける被害が止むことはない。
かといって彼らを殺したいとは思わない。ぜひぜひ地球上に存続していていただきたい。
ではどうするか?
離れるしかない。
住み分けるしかない。
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