> 静穏特区構想
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住み分け、つまり、話し合いを諦める、ということです。
「騒音主」には絶対に話が通じない。
いいですか? 「絶対に」です。
まず、その現実を認めましょう。
「同じ人間」だと思っていると、事態は永遠に前進しません。
程度の差で、表面的には話が通じるかに思える場合もあるでしょう。
しかし彼らは、根本的に、我々とは異質な精神構造を持った存在です。
それゆえ、言葉によるコミュニケーションは成立しない。
「表面上」「ある程度」成立しているように見えることはあるでしょう。
ですが、騙されてはいけません。
それはあくまで表面的なことにすぎません。
その証拠に、一度はあなたの苦情を聞き入れて音を小さくしたけれど、
数日後には元通りになってしまったでしょう?
数日前には成り立った話が、数日後以降には成り立たなくなる?
そんなことはあり得ない。
ところが彼らの中ではあり得る。
そうです。
我々とは根本的に異質な精神構造を持った存在だからです。
一緒に住むのは不可能です。
我々の論理で彼らを理解することはできないし、
彼らの口から出る論理を、真に受けて、我々が我々自身に適用することもできません。
それはただ、我々を卑屈にする一方です。
根本的に異質な存在であること。
まずはそれを認める。
> 「同じ人間」だと思っていると、事態は永遠に前進しません。
彼らの方が「人間」なのかも知れない。
むしろ我々が「人でなし」なのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
「人間」という称号なんかどうでもいい。欲しけりゃくれてやれ。
大事なのは、我々と彼らは異質であるという事実を認めること。
どっちの方が上等か、などという比べっこ勝負にうつつを抜かしている場合じゃない。
異質な存在を認めた上で、もっとも平和に生きる方法としての「住み分け」。
それを模索したい。現実的な対処法として。
おそらく、出て行くのは我々になるでしょう。
そして、それでいい。彼らと離れて住む場所を確保した上でならば。
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