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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        > 静穏特区構想
        > http://www.site-a.info/text/2014-12-28_2.html
        
        住み分け、つまり、話し合いを諦める、ということです。
        「騒音主」には絶対に話が通じない。
        いいですか? 「絶対に」です。
        まず、その現実を認めましょう。
        「同じ人間」だと思っていると、事態は永遠に前進しません。
        
        程度の差で、表面的には話が通じるかに思える場合もあるでしょう。
        しかし彼らは、根本的に、我々とは異質な精神構造を持った存在です。
        それゆえ、言葉によるコミュニケーションは成立しない。
        
        「表面上」「ある程度」成立しているように見えることはあるでしょう。
        ですが、騙されてはいけません。
        それはあくまで表面的なことにすぎません。
        その証拠に、一度はあなたの苦情を聞き入れて音を小さくしたけれど、
        数日後には元通りになってしまったでしょう?
        
        数日前には成り立った話が、数日後以降には成り立たなくなる?
        そんなことはあり得ない。
        ところが彼らの中ではあり得る。
        そうです。
        我々とは根本的に異質な精神構造を持った存在だからです。
        
        一緒に住むのは不可能です。
        我々の論理で彼らを理解することはできないし、
        彼らの口から出る論理を、真に受けて、我々が我々自身に適用することもできません。
        それはただ、我々を卑屈にする一方です。
        
        根本的に異質な存在であること。
        まずはそれを認める。
        
        > 「同じ人間」だと思っていると、事態は永遠に前進しません。
        
        彼らの方が「人間」なのかも知れない。
        むしろ我々が「人でなし」なのかもしれない。
        でも、そんなことはどうでもいい。
        「人間」という称号なんかどうでもいい。欲しけりゃくれてやれ。
        
        大事なのは、我々と彼らは異質であるという事実を認めること。
        どっちの方が上等か、などという比べっこ勝負にうつつを抜かしている場合じゃない。
        
        異質な存在を認めた上で、もっとも平和に生きる方法としての「住み分け」。
        それを模索したい。現実的な対処法として。
        
        おそらく、出て行くのは我々になるでしょう。
        そして、それでいい。彼らと離れて住む場所を確保した上でならば。